第10話 祭りの夜

 朱音の号令で三人が村へ向かっていると、突然朱音が足を止めて夜空を見上げて、


「星がきれいねぇ」


 と言う。百も足を止めて、


「きれい?」


 と尋ねる。


「もっと見てたいくらい素敵ってことよ。花とか虹を見たときとか、あるでしょ? 足を止めてもっと眺めてたいなって思うこと」

「……よく、分からない」


 朱音は優しく微笑んで、


「いいのよ。焦らなくても。そのうち百にも分かる日が必ず来るから」




 そして再び歩き始めると賑やかな声が聞こえてくる。声だけではない。太鼓や他の楽器の音まで聞こえてくる。


「これって……まさか——」


 と千里。


「そ、今日はお祭りの日なの」 


 と振り返る朱音。


「他の村からも見物客が来る収穫祭だから、部外者でも気兼ねせずに楽しめるの」

「へ~」

「露店もたくさん出るから期待していいわよ」


 朱音はそう言ってウインクするも、


「……って言われても俺たち金なんて……なあ、百?」

「カネってなに?」

「……やっぱ、そこからなんだな」

「お金っていうのはね、色んなものと交換できる特別なものなの。食べ物や薬なんかとも交換できるから、持ってても損はないわ」

「そ。まあ、鬼を殺すだけのお前とそれについていくだけの俺には縁のない代物だけどな」


 そう言って千里が頭の後ろで手を組むと、


「ところがどっこい、今夜ばかりはそうじゃないのよね」


 その千里の頭になにかの袋をのせる朱音。チャリンと鳴る音。ずしりと重くて硬い感触。


「これって、まさか——」

「そ、お・か・ね」

「でもわりぃよ。ただでさえ稽古つけてもらっておまけに飯と宿まで世話になってるってのに」


 千里は袋を返そうとするも、朱音は朱音で袋を押し返す。


「いいのいいの。稽古は私にとってもいい鍛練になるし、ご飯は食材調達してもらってるし、それに身の回りの手伝いだってしてもらってるじゃない」

「けど——いたっ!?」


 なおも遠慮する千里にデコピンする朱音。


「『でも』も『けど』もなし。日頃のお礼だと思って素直に受け取りなさい」


 そう言ってから少し柔らかく微笑んで、


「あなたたちが来てくれたこと、感謝してるのよ」


 と呟く。それから遠い目をして、


「自分で人間らしい生き方を選んでも、これまでの私はひとりぼっちで寂しかった。鬼の匂いを隠しきれないことに怯えて住む場所を転々として、誰と関わることもできなかった。


 でも、あなたたちは私が鬼を殺すことをやめた半鬼であると知っても私のそばにいることを選んでくれた。今日のおごりはそのお礼よ。

 ……あとは、私がお祭りってものに憧れてたってのもあるけどね」


 すると百が、


「そういうことなら、お言葉に甘える」


 と言うので千里も


「だな。ご馳走になるぜ」


 と、銭の入った袋を握る。




 それから三人は祭りを堪能した。

 太鼓や笛の音色、それにあわせた人々の躍りを眺めたり、露店でそれぞれ好きなものを食べあさったり。

「どうだ、百。はじめて買い物してみた気分は?」

「とても便利。もっと銭がほしい」

「銭がほしいだなんて、ずいぶん人間らしい俗っぽい欲ね。淡々とした子だと思ってたけど、これは案外、買い物の魅力に取りつかれるのも時間の問題かもね」

「だな。金はあって困るもんでもなし、あればあるほどいい」

「そういう千里は欲にまみれすぎ」


 とつっこむ百。


「現実的なだけだよ、年の割にな」

「それ自分で言うのね」


 呆れる朱音。 


 すると一緒に歩いていた百が足をとめる


「百、どうした?」


 視線の先には、泣いている小さな子がいて、しきりに母親のことを呼んでいる。


「親とはぐれでもしたんだろうよ。贅沢な悩みだぜ。こっちは親なんていねえのにさ」


 そういって千里が舌打ちすると、朱音が、


「探してあげましょう、あの子の母親」


 と言う。


「え、なんで? 俺たちには関係ないだろ」

「現実主義者くんは冷たいのね。でも、あたしは決めたの。人間らしい生き方をするって」


 すると百が、


「朱音の思う『人間らしい生き方』って?」


 と尋ねる。


 朱音は膝を折って百と目線をあわせながら、


「それはね、手を取り合って助け合うってことなの」

「手を取り合って助け合う……」

「そ。まあ、これが案外難しいんだけどね。だからこそ、できるときにやらなくちゃ」


 と言って泣いている子どものもとへ駆け寄る。


「師匠がそう言うなら」


 と百もそちらへ向かうので、


「へーへー、どうせ冷たいのは俺だけですよーだ」


 と千里も不満げについていく。




 泣いていた子どもの名前は健太といった。祭りで金魚すくいを夢中で眺めているうちに親とはぐれてしまったらしい。


「大丈夫、お姉さんたちがついているから。必ずお母さんは見つかるわ」


 そう言って朱音が頭を撫でるとようやく泣き止んで心細そうに朱音の袖を掴んだ。


(これが『ふつう』の子どもなんだよな)

 

 千里はそう思わずにはいられなかった。年は千里より少し下で、おそらく百と同じくらい。この年齢の子どもは親とはぐれたくらいで泣くのが当たり前なのだ。鬼に向かって土を投げつけたり、ましてや淡々と殺す方が異常なのだ。


(ふつうの生い立ちだったなら、俺もこれくらい弱く、幸せに生きてたのかな)


 そう考えたとたん、


(人生に『もしも』はない。今この瞬間に生きてる現実がすべてだ)


 といつもの冷徹さを取り戻した。これが千里の現実との戦い方であり、同時に現実からの逃げ方でもあった。  


 そういう意味では千里は徹底して現実にこだわるという点において、たしかに現実的ではあったかもしれない。


「ま、健太の身なりを見るかぎり、まともな親ではあるみたいだから、向こうも健太を探してるはずだ。どうせすぐ見つかるだろ」


 そう言った矢先に、


「健太!」


 そう叫んで駆け寄ってくる足音がある。振り返ると母親がひしっと健太を抱きしめている。


「ありがとうございます! ありがとうございます! ああ、この子が無事でなによりです」

「——!」


 そう言って顔をあげた母親の顔を見て千里は戦慄した。


 ほかでもない、屋敷に鬼がいると言い、討伐を依頼してきた女性だったからだ。


「いやあ、無事再開できてよかったぜ。じゃあ、俺らはここで——」

「待ってください!」

「げ!」


 まさかバレたのか? 百の正体が半鬼であることが。せっかく久しぶりにシャバらしい楽しみを満喫していたというのに。


 しかし、 


「お礼に、なにかご馳走させてくださいませんか?」


 女性が口にしたのは千里の危惧したのとは別の言葉だった。


「いえいえ、それには及びません」


 と朱音。


「そうそう、大したことしてないし。とにかくこれで——」


 と去ろうとしたのだが、


「食べ物くれるの?」 


 あどけなく期待の眼差しを向ける百。


(当の半鬼が食いついた!)


 これには千里も驚かされた。

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