凡才作曲家の最後に書いた曲

熊パンダ

天才との出会い

 俺は天才だと思っていた。

 高校の合唱祭での伴奏はいつも「すごい!」「ピアノ弾ける男子はカッコいい!」と言われていた。


 その高校は男子でピアノ弾けるなんて俺しかいなかったもんだから、勘違いしていたんだ。


 自分はうまい、凄い、天才だ……と。


 調子に乗っていた俺は高校卒業後に上京し、安いボロアパートを借りた。

 現役で東京藝術大学(国立の音楽大学)に入ろうとしたが、普通に一次試験落ち。


 本気で受かると思っていた俺は酷く絶望に落ちた。

 試験官の耳が悪いと思った。

 本番で使ったピアノが壊れていると思った。

 自分が落ちたなんて信じられない……試験官の目は節穴だと思った。


 滑り止めもとらなかった俺は、現役を諦めた。


 最初は、来年こそ……と思った。

 でも、その考えは長くは続かなかった。


 いつしか俺は家に引きこもるようになり、部屋はゴミだらけほとんど毎日カップ麺、お弁当の自堕落な生活をしていた。


 親が頑張って貯めたお金で毎日お弁当を食べる生活。

 少しでも快適にと、安いアパートの中でも高いテレビがあるアパートを選んでくれた。

 他にも、このままだと服がダサいからと言って、たくさん買ってくれたり、腕時計も買ってくれたり、電子ピアノ、ヘッドフォン……本当にたくさん買ってもらった。


 なのに俺はこんなところで何をやっているんだろう。


 そんな考えが頭の中をぐるぐるしていた。

 時間の流れが速く感じ、毎日毎日同じことの繰り返し……。

 もう嫌になっていた。

 限界だった。


 そこでようやく気づいた……自分は天才じゃないって。

 自分は自分のことを天才だと思っている愚か者。

 親の金で飯食って、苦労させて……そして自分の夢を壊している大馬鹿者。


 ふと、その時やってたテレビに目が行った。

 ピアノを弾いている……高校生だろうか。


「天才高校生ピアニスト、大瀬戸おおせと……舞花まいか……」


 番組のテロップにはそう書いてある。


 言葉には表せないほどの表現力。

 単純なピアノの技術。

 難関曲を余裕のある表情で弾くその弾く姿に、俺はどこかのスイッチが入ったのかもしれない。


 体が求めていた。

 音楽を。ピアノを。


 この日が俺の人生のターニングポイントだった。


 毎日どこかピアノが借りれる施設に行き、弾いた。

 ひたすら弾いた。


 借りれない日は家の電子ピアノで練習した。

 電子ピアノでは軽い指確認などを中心に、施設ではアップライトピアノで念入りに部分練習、そして少しの通し練習。


 当然ハノンもやったし、日々の基礎練習も欠かさず行った。


 人生で一番頑張った時期かもしれない……いや、実際そう思う。

 それほど辛く、そして輝いてた……と思う。

 全てはあの姿に一歩でも近づきたいと思ったから。

 彼女にはどんな景色が見えているのだろう。


 とても気になった。


 そして一年後、俺はまた東京藝術大学を受け、そして……また落ちてしまった。


 壁はかなり厚かった。


 心のどこかで思っていた。

 このくらい努力していればいけるのではないかと……ただそれは、一年でどうにかなるものではなかった。


 そもそもこの練習量は他の受験生が何年も前からやっていた練習量だった。


 またも自分が天才でないことを実感する。


 だが、今回は私立の音楽大学も滑り止めで受けてあり、ギリギリで受かっていた。


 一年前ならなんだ私立かよ、と言っていたと思う。

 だが今は違う。

 とても嬉しかった。

 今まで生きてきて一番、心の底から嬉しかった。

 受かった瞬間叫んだ。泣いた。

 電話で両親に受かったことと、感謝の言葉を何時間も伝えた。


 両親は文句も言わず、嬉しそうに「よかったねぇ……」と、二人して泣いていた。


 俺はこの先もこの日をずっと忘れないだろう。




 大学三年生になった。

 今ではバイトをしながら、ピアノを練習する毎日。

 とても充実していた。

 毎日ピアノを弾くたびに新たな発見があり、講義もそれなりに楽しく受けられていた。


 そんなある日、喫茶店のバイト中に見知った女性を見かけた。


 あの時も、今思えばターニングポイントだ。


「大瀬戸……舞花……」


「はい?」


 これが出会いだった。

 今思えば失礼だったかもしれない。


 だが、目の前には約四年間自分が追いかけた人。

 最も尊敬する人がいたのだ。


 驚かないはずがない。


「しっ! 今プライベートなんです。わかりますか?」


「!! す、すいません!」


 出会いは最悪だったかもしれない。

 よく見ればサングラスをし、マスクをしている。

 髪型もなんか派手だ。


 変装……なのだろうか。


 それから俺はすぐにコーヒーを置き、その場を去った。


 季節は流れ、秋。

 友達の主催するコンサートに出た時のことだ。


 それはピアニスト三人が様々な曲を弾くコンサートだった。

 ただ、人がやけに多い。


 疑問に思っていたが、特に気にしなかった。

 俺は基本、本番前までは自分の演奏のことのみを考える。


 楽譜を見て、想像する。

 音楽を頭で脳内再生させながら、楽譜に入り込む。


 ギリギリまで。


 そして、本番。

 俺はトップバッター。

 ピアノ椅子を調整し、座ると会場の空気が可視化して見える。


 緊張感のある空気。

 ここに俺が想像しているものを創造していく。


 言っちゃえば単純作業だが、音の一つ一つに意味がある。

 今回のコンサートのテーマは『未来の作曲家』と言うもので、初演(作曲して初めて公開する演奏のこと)のものが多かった。


 俺の演奏した曲の作曲者はこのコンサートに俺を呼んでくれた友達、主催者だった。


 心の中にある嫉妬を題材にした曲だった。

 悲しくもどこか恐ろしく、表現がとても難しかったのを今も覚えている。


 まぁ、なんとか俺の演奏は終わった。

 結果は、まぁまぁだ。


 舞台袖に行き、次の演奏者とすれ違う。

 その時は何も気づかなかったが、音が流れ出した瞬間に俺は気づいた。


 この弾き方、表現……間違いない。


 ピアノの方を見ると、そこには大瀬戸舞花がいた。

「音楽が生きてる……」


 思わず口に出ていた。

 それほどまでに彼女の音楽は美しく、綺麗だった。


 曲の方も美しく、俺の心に響いてくるいい曲だ。

 思わず作曲者を調べるとそこに書いてあったのは……大瀬戸舞花だった。


「嘘、だろ……」


 衝撃だった。

 どこまで天才なんだろうかこいつは……

 そう思った。


 コンサート終了後、俺は大瀬戸舞花を訪ねた。


 コンコン

「はい……?」


 出てきたのは大瀬戸舞花、もう着替えたらしく、私服で顔を出した。


「あなたは……」


「えっと……」


 なんで彼女の所へ来たんだろうか……俺は自分自身でわからなくなっていた。


「あの時の、店員さん?」


「え、覚えてるの!?」


 まさか自分のことを覚えているなんて微塵も思わなかった俺は流石に動揺したよ。

 だって会ったのはあれっきり一回もないんだぜ?

 逆に俺がこの天才の立場だったら、俺みたいなそこら辺のゴミ、気にもしないね。


「私、記憶力だけは自信があるので」


「いや、自信あるってレベルじゃないだろ! そもそもそんなに記憶力いいならパンフレット見た時に思い出さないのか?」


 パンフレットには顔写真が載っているはず。

 普通の演奏者なら確認するはずだ……まぁ、確認しなかったのは俺もなんだが。


「パンフレット……? 申し訳ないけど、私は自分が弾くコンサートで、他の演奏者の情報を入れないようにしているの……曲に入り込むためです。その口ぶりだと……あなたも演奏者だったのね」


 少し、驚いた。

 良くも悪くも考え方が似ていたからだ。

 他の人の演奏を聞くのも勉強になる……だが、俺もこの天才も自分の演奏に集中しておきたいのは同じだ。


 普通、自分が出るコンサートで他の演奏者のことを知らないのはあり得ないことだと思う。

 だからこそ、俺らが似ていることに特別な何かを感じずにはいられなかった。


「で? 何の用ですか?」


「え、えっと……」


 あなたのファンなんです。

 作曲もしてるんですか? 凄いですね!

 受験期にあなたから元気をもらいました。ありがとうございました!などなど


 ……言おうと思えば言いたいことはいっぱいある。

 この人に対しての感謝の気持ち、尊敬、憧れ、等々。

 だがこの時の俺は、頭がごっちゃになっていた。

 いわゆる混乱状態ってやつだ。


 それは、たまたま大瀬戸舞花が演奏者だったからなのか、それとも俺のことを覚えてくれていたことなのか……よくわからない。


「す、好きです! 付き合ってください!」


「…………………………は?」


 ん? あれ?

 俺は今なんて言ったのだろうか、記憶がない。

 今俺は、「あなたのファンなんです」って言おうとしたはずだ……でも口から出た言葉は違う気がする。

 俺は今なんて言った……?


「……え、えっと、ご、ごめんなさい!!」


バタン!!


 大瀬戸は顔を真っ赤にして控室に閉じこもってしまった。


「あれ……? やらかした……?」


 ようやく、現実を飲み込めた。


 そして家に帰ってパンフレット見て気づく。

「大瀬戸舞花……東京藝術大学ピアノ科所属……あれほど人がいたのはそういうことか……」


 そんなに驚きはなかった。

 むしろ妥当だと思った。

 それどころかあれほどの作曲能力があって作曲科ではないのだと思った。


 それから数日後、俺はテンションが戻らないでいた。

「なんで、あんなこと言ったんだろ……いや、もう忘れるんだ」

 あの後冷静になって思い出した。

 俺はあの大瀬戸舞花に告白したんだ、と。


 少し、ため息をし、いつも通り大学が終わり帰ろうとしていると……


 入り口の方が少し騒がしいのに気づく。


「ねぇ……あそこにいるのって……」


「おい、お前声かけてみろよ!」

「いや、む、無理だよ流石に……」


 騒ぎの中心は俺の知っている人だった。


「大瀬戸舞花……?」


「やっと来ましたね!! 行きますよ……!」


 大瀬戸は俺の服の裾を掴み引っ張っていく。


「おい、待て待て、伸びる! 伸びるから!!」


 俺は周りに注目されながら、その場を後にした。


「で、どういうことだ。これは」


 やってきたのは近くの喫茶店。

 大瀬戸の方を見ると、驚くことに変装をしていない。

 むしろ自らを主張するようにオシャレをしている。

 初めて見るその姿に、俺は綺麗だと思ってしまった。


「えっと……その、この前は申し訳ありませんでした……」


 少し歯切れが悪く、俯きながら話す彼女に俺は疑問が湧く。


「この前?」


「あなたの告白を断ったことですよ! あの時は少し混乱してて……本当にすいません!」


 やめろ、蒸し返すな!

 俺の中ではもう自然消滅させようとした物だ!

 一度は誤解を解こうとも思ったが、ただでさえ多忙な彼女だ。

 会うのを諦めたところでこの再会……マジで運命は俺のことが嫌いだろ!!


 でも、いいチャンスかもしれない……誤解が解けるかも。


「えっとだな……あれは――」


「お友達から」


「え?」


「お友達からならどうでしょうか」


 思わぬ提案に、言葉が止まる。

 友達……?


「私は小さい頃から異性との関わり合いがほぼない状態で育ってきました。大学でも特に男性の方は避けてばかりで……講師も女性の方に頼んでいます。なので、正直恋人という者がどう言う者なのかも私にはわかりません……私も、この前会ってからあなたのことは少し気になっていました。なのでお友達から、と」


 どこのお嬢様だよ……話を聞いてそう思った。

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