酷死無双と略されたい(世界の命運は酷い死に様で人類最後の砦を無に帰した俺たちの双肩にかかっている)

ゴッカー

一家に一台、異世界デストロイ号編

第1話 捨てる神あれば

 例えば、アホ面で口を開けて、晴天を見上げている男がいたとしよう。

 通りがかる人は尋ねる。「何をしているんですか」と。

 それに男は大真面目に答える。「喉が渇いたから、雨を待っている」と。「できれば、レモン水が降って欲しい」と付け加えて。

 俺を端的に言い表すなら、大体そんな感じだ。

 行動すべき時でも、受け身で、流れに身を任せる。そのくせ期待だけは、嫌らしく高い。

 非日常。現実ではあり得ない、ここではないどこかを、サンタさんがプレゼントしてくれたらと、良い歳をして夢見ているダメな大人だ。

 そんな非日常を期待する俺にとって、今の状況は、白状すると少しだけワクワクさせてくれるシチュエーションだった。

 いや、ワクワクもしていられないし、危うく死にかけたんだけど。

 平々凡々低空飛行の人生で、珍しく俺にスポットライトが当たっているのには変わりない。


「それで、どうして急に車道に飛び出したのか、説明できますか?」


 そう尋ねるのは警官だ。

 言われるがまま手渡した運転免許証と、縁石に腰を下ろす俺の顔を見比べて、極めて事務的に。

 街灯、通行人と野次馬、ショーウインドーや電飾看板、ヘッドライト、どこからともなく流れるクリスマスソング、パトランプの明滅、うるさいくらいに明るい繁華街の只中が、少し遠くに感じる。

 俺は呆けていた。


「どうぞ」


 気付けば、もう一人の警官が、缶コーヒーを差し入れてくれていた。

 親切で開けたであろう飲み口からは、安っぽい、しかし良く親しんだ芳香が細い湯気に乗る。


「すみません。いただきます」


 コーヒーを口に含む。最初はただ苦かったブラックも、いつしか苦味の向こうにある、メーカーや店のこだわりが、何となくわかるようになっていた。

 豆の違いは未だにわからない。

 口内にある温もりを飲みこむ。失った熱を身体が取り戻すように、じんわりと広がっていく。

 取り戻したのは、自分の正気もだ。

 コーヒーの細い湯気が夜闇に消える前に、その微かな糸を手繰るように、思い返したことを口にする。


「ここ、いつもの帰り道で。歩いていたら、何かに突き飛ばされて。……気付けば、トラックの前に出てまして……その後は、すみません。おぼろげで」

「いえ、ゆっくりで大丈夫です」


 警官は俺の話を聞きながら、クリップボードに挟んだ紙にペンを走らせている。

 こういうのを、調書と呼ぶのだろうか。

 ぐるりと辺りを見渡すと、大きなトラックが停まっていた。その傍らには運転手と思しき男性の姿があり、俺と同じく警察が付いている。運転手は、勤務先か荷物の届け先か、電話で連絡をとっているらしい。


「ドライバーの証言とも一致しています。急ぎ車載カメラと、周辺の防犯カメラの映像を確認します」

「よろしく頼む」


 調書とのにらめっこを、手短に済ませる警官二人。コーヒーをくれた一人が無線通信する一方、質問を担当する一人が「しかし、間一髪だったようで」と間を繋いだ。


「大変だったでしょう。いくら最近の車が良くできていても、完璧じゃないですし。それにつけても、あんな大きなの目の前に放り出されたんじゃ……逆によくそれだけ落ち着いていられますね?」

「あ、今のセリフちょっと、ドラマで犯人を疑っている時のやつっぽいですね」

「確かに……って、いやいや、他意はありませんって」


 警察が案外そういうものなのか、はたまた彼個人の性格なのか。非接触事故の実況見分にあって、緊張感のない話をする裏で、俺は思い返していた。

 警察が来る直前の出来事だ。

 仕事を終えた俺は、いつものように家路についていた。いつもと違うところと言えば内面的なことばかりで、クリスマスの時期だし何かそれっぽいものを食べたいと考えていたところとか、彼女がいれば楽しいだろうなと考えていたところとか、街の雰囲気にあてられていたところとかだろう。

 そして、ここが肝心。

 何かに突き飛ばされて、歩道から車道に躍り出て、トラックに轢かれそうになったのだ。

 車体の制動技術の進歩と、AIのブレーキアシストの発展に、これほど感謝した日はない。今なら両手を挙げて文明万歳と三唱できそうだ。

 ぶらぶら歩いていて注意力が散漫だったのは否めないが、しかし、まさかいきなり突き飛ばされるとは思わないだろう。誰だって俺の立場なら不意打ちを食らったと感じるはずだ。

 ただ、不意打ちされる謂れが、とんと思い当たらない。

 少なくとも俺は、誰かの恨みを買うような生き方も、変に注目を浴びる生活も送ってこなかった。クリスマスシーズンに彼女もいない非リアである。今日という日に逆恨みしても、逆恨みされる筋合いはない。

 リスクもコストも限りなくゼロを選んできたおかげで飛躍はないが、低空飛行の安定高度、中の下なりに平凡な人生のつもりだ。「」に狙われる謂れなどない。


 そう、気になるのは、俺を突き飛ばした「」である。


 確かに俺は車道側を歩いていたが、小学生よろしく縁石で綱渡りごっこに興じていた訳ではない。通行人を避け、より車道側へ寄ったタイミングに突き飛ばされたとしても、歩道から外れるなんてことがあるだろうか。

 突き飛ばしただけで、歩道から車道へ、大の大人の全身を持って行くことなど、ただの人の力で可能なのだろうか。

 アスリート級の力だとしても、かなり極めてなければ難しいだろうし、仮にそこまで極めた人がいたとして、俺を狙う理由がますますわからない。

 第一、そのような一流の人間とは無縁の半生である。


「どうかしました? ……まさか、真に受けてません?」

「え、ああ、いえ……。まあ、とにかく生きてて良かったなあ、と。ハハ」


 警察は、この事故……というか事件になるかもしれないが、映像から発生時の状況を検証するらしい。ならば、俺の疑問も、ただの考え過ぎだと証明されるだろう。

 常識的に考えて「」とも呼べない「」など、あるはずがないのだ。


「あのう……」


 不意に、自信なさげな女性の声が背後から投げかけられ、警官の視線が声の主の方へ向く。俺もそれに倣うように、振り返った。


「お知り合いですか?」


 俺は首を横に振った。

 声の主は、北欧系のような顔立ちをしていた。肌は磨いた大理石のように白く艶やかで、それこそ彫刻のように美しい顔をしている。目深に被ったニット帽からは、今時見かけない明るい金髪を覗かせて、周囲の光を集めたような金の瞳が真っ直ぐこちらを見ているのだ。

 白のダウンコートと相まって、聖夜に降り立った色白の異邦人の姿は、まばゆく輝くようだった。

 首を横に振らずに済むような関係だと良かったのに。と、本気で思った。


「失礼ですが、あなたは?」

「その人が突き飛ばされるのを、見た、んですけど……」

「本当ですか?」


 少し驚いたように警官の声が上ずった。速やかに警察手帳を女性に提示する。


「詳しくお聞かせいただけますか?」

「ええ……。申し遅れましたが、私はこう、いう者、でー、す……? うーん? あれ?」


 静かに応えた女性は、小脇に抱えたバッグの中をしばらく探る。


「あ、あったあった」


 目当ての物を探り当て、手に取り、呆れるくらいに明るい調子で「じゃーん」と、おもむろに頭上に掲げた。

 それは、レンガ大くらいの精巧なトラックの模型に見えた。トラック模型に身体が持っていかれそうになっているのを見るに、相当な重量だと窺えた。

 俺も警官も面食らった。


「え、あの……?」


 発言に反して、身分の証明になっていない行動に困惑する警官を無視し、その女性は俺の前で仁王立ちし、こちらを見下ろした。

 自分より小さい美女に見下ろされるの、何か良い。

 とか思っていると、その女性はニコっと微笑み、


「何ピンピンしとんじゃ、このドアホがッ!!」

「イアゴッ!?」


 俺の頭へ目がけて、何とその模型を思い切り振り下ろしたのだ。

 信じられない衝撃を受け、俺の頭は文字通り割れ、目の前は赤くなり、意識は次第に闇に呑まれていく。


「なっ!? この、こいつっ! おい、加害者マルガイだ、加害者マルガイ! そっち逃げた飛んだぞ!」

「ウフフフフ、捕まえてこらんなさーい! 下等生物ー!」

「ふざけやがってこの女! 追え、追えー!」


 警官らと女のいざこざが遠く、冷たいアスファルトに全身が、最後だった。

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