第26話 ライバルの誘惑
「バンド演奏会の申し込みは締め切ったから、文化祭実行委員に提出する時間割を決めたの。犬飼くん達のバンドも入れておいたよ」
そういう用件なら早く言ってほしい。何だったんだ今までのやり取りは。
辟易しつつ、俺は自分達の出番を確認するために目を凝らし――いや待て。バンド名なんて決めてなかったぞ?
じゃあどういう表記になっているんだろうか。
その疑問は、一番最後から二番目の位置に居る「ゲストバンド①」という名前で解決した。
「話っていうのは、順番決まったよってことと、バンド名を連絡してねってこと。ほんとは軽音から数藤さんに伝えようとしてたんだけど、あの子全然学校に残んないじゃん? 誰も連絡先知らないからさ。だから犬飼くんに」
「ああ、なるほど?」
あの破天荒な女が事務連絡とか手続きをちゃんとやってるイメージがない。俺の方に来るのも仕方ない話か。
「……その割に、あいつが居ないときを見計らって来てなかった?」
「ええー、そんなの誤解だよぉ」
安達が目を細める。人をおちょくったような微笑が大変に疑わしい。
俺は嘆息し、気を取り直してチラシを眺める。
(しかし、トリから二番目かぁ)
ゲストバンド①は、最後から二番目の位置にあった。
悪くない順番だ。どの催しだろうと最後が一番盛り上がるし注目されるけど、その前の位置だって悪くない。アウェーだから一番最初に配置されるんじゃないかと悪い予想もしていたけれど、存外に優しい配分だった。
眺めていると、安達が俺の横合いから一緒に覗いてくる。
「ちなみにあたしたちはこの最後のバンド。REDOっていうんだ。部長が考えたんだけど、意味は忘れちゃった」
喋る彼女の肩や髪が当たるくらい接近されたので、俺は半歩分くらい移動する。
その半歩分を安達が詰めてくる。
「なんで近寄ってくんの」
「えー? 近寄らないと読めないじゃーん」
「安達はもう中身知ってるだろ」
「犬飼くんに教えてあげようと思った?」
「なんで俺に聞く」
「ふふ、ツッコミおもしろ」
「安達ってこんなキャラだっけ」
「さぁどうでしょう?」
クスリと笑う安達は、寸分の狂いなく俺を見つめてくる。容赦がないくらいに真っ直ぐ。
だから、すぐに悟った。
「あいつへの嫌がらせで俺のことたぶらかそうとしても、無駄だから」
好意を持っている人間の目を、俺はいくつも見てきた。だからわかる。わかってしまう。
恋愛感情を抱いていたり、本当に気に入られたいと願う人たちの目は、懇願にも似た切実な感情や不安で揺れ動くものだ。
今の安達みたいに硬質な光を携え、まったく感情が揺さぶられていないような奴は、俺のことなんて何とも思っていない。
「バンド名はまた今度俺から伝えるよ」
真顔になった安達には構わず、俺はチラシをポケットにしまって踵を返す。
そうして立ち去ろうとしたが、「ねぇ犬飼くん」安達が声をかけてきた。
「この文化祭が終わったら、正式に軽音楽部に入ってよ。君と一緒にバンドやりたいな」
「考えとく」
絶対ないな、と心の中で呟く。
「来なかったら、こっちから誘いに行くね?」
立ち止まる。首だけ振り返ると、安達は笑っていた。
その表情は、目は、さっきとは打って変わったかのように高揚に輝いている。それでいてどことなく危ない雰囲気も混ざっていた。
危険だと分かっていても吸い込まれてしまう、艶やかな毒花のように。
「じゃあね、ばいばーい」
しかし安達はまたいつもの飄々とした表情に戻り、手を振って第二校舎の方へ行ってしまう。
彼女がなにを考えているのかよくわからない。
巧美と安達、どちらも面倒な女だけど、巧美の方がまだ読みやすい。あいつは素直じゃないし粗雑で乱暴者だけど、存外に可愛いところだってある。
不意に、彼女とのキスの感触を思い出す。
(……いやいや、なに考えてんだ)
割り込んできた妙な興奮を無視して、俺は下駄箱へと向かった。
***
チャリを漕いでいつものスタジオに向かうと、店の前で二人の人間が話し込んでいた。
(あれは巧美と、誰だ?)
俺は自転車に跨がりながら、スタジオが入っているビルの角に隠れる。
地下に続く階段の前では店員用のつなぎを着た巧美と、一人の女性が居た。周囲は暗がりなので顔はよく見えないが、女性が着ているのは割と派手めなレディーススーツだ。
二人とは距離が離れているせいで会話があまり聞こえない。俺はギリギリまでビルの端に近づき、耳を澄ます。
「――だから、もう手続きだって始めてるの。いい加減手伝いなさいよ」
「いいじゃん後でやれば。バイトしてればお金だって入れられるっしょ」
「……もういいのよ、もう。悪かったわ、あんたにも働かせて。だからせめて、休んでほしくて」
「また押し付け。今まで好き勝手に都合を押し付けてきたのと変わらない。あたしだってあたしの都合がある。放っておいて」
「どうしてあんたはそう……勝手に決めて恨んでるかもしれないけど、でもね。ママの気持ちだってわかるでしょ? もう嫌なのよ、何もかも」
「……」
「今日は早く上がるから、帰ってきたら準備を手伝って」
「バイト終わるの十一時だから。勝手にやって先に寝てれば」
「――っ! ああそう! じゃあ好きにしなさいよ! ママは知らないからね!」
二人の会話は口論みたくヒートアップしていたが、しかし続くことはなく女性の方は巧美から離れていく。しかもこっちに来たので、俺は咄嗟に壁にもたれかかってスマホを操作するふりをした。
女性が角を曲がって俺の前を横切っていく。鼻につく香水の匂い。
その横顔は、巧美にそっくりだった。
俺は、彼女の母親であろう女性の姿が見えなくなるのを待って、ビルの角からスタジオの方を覗き見る。巧美は階段の前で立ち尽くしていた。
軽く深呼吸して、平静を装いながらチャリを引きながら進む。
「おっす、タクミ」
巧美が勢いよく振り返る。暗がりでよく見えないが、目元が潤んでいる気がした。
「スタジオに居たんじゃないのか」
「あ、うん……ちょっとゴミ出し」
歯を覗かせながら笑う彼女は、いつも通りのように見える。
なぜ母親と言い争っていたのかわからないが、さりとて聞くこともできない。他人の家のことに首を突っ込めるほど、俺たちの仲は親密じゃない。
「細見さんは?」チャリを置きながら聞くと、巧美は縛っていたポニーテールを解く。「もう来てるよ」
首を振って髪型を整える姿を何となく眺めていると、巧美は腰に手を当てて半目になった。
「なに、ジロジロと」
「ポニーテール似合ってたのになと思って」
「ばっ……! おま、急になに言い出すんだよ!」
頬を染めた巧美が、慌てたように髪の毛を手で押さえる。
俺は笑いながらギターケースを担いで、彼女より先に階段を降りる。
「そんなんでうろたえるとか、なかなかチョロイン属性だなお前」
「あたしのどこがおもちゃなんだよ」
それはチョロQ。
無視すると巧美が背中をぽこすか殴って「お前なんかあれだえーと眼鏡のくせにクソ野郎」と暴言を吐いてくる。語彙力がなさすぎる。
俺は巧美と軽口の応酬をしながらスタジオに向かう。その間は、さっきのことは頭から離れているはずだと、信じて。
俺にできることは、これくらいしかない。
***
練習開始から一時間後、小休憩に入る。一段落したのを見計らって俺は、安達からバンド演奏会の順番が決まったことと、バンド名を決めろと言われたことを話した。
「これが順番だってさ」
ブースの中央で持っていたチラシを見せると、二人がどれどれと覗きにくる。
ちなみに巧美はまたポニーテールにしていた。本人曰く暑いかららしいが、果たして俺の言葉に触発されたのかどうか。そうだったら可愛いんだけど、本人は絶対口を割らないだろう。
そうしてチラシを眺めていた二人は徐々に驚きを示した。が、間違っても喜んでいる様子はない。
「えっ、もしかして微妙な位置?」
俺はバンド活動やライブに詳しくないから、実はぬか喜びな順番かと不安になる。
しかし細見さんは首を振った。「ええ順番やで」
「ただね、外様が優遇されるんは普通ありえへん。なんでここになったんか不思議なんよ」
「ホソミンに同感。あいつら何か企んでるんじゃないかな」
巧美は双眸を細めて腕を組んだ。軽音部と確執があるせいか、邪推し始めている。
「タクミンの言う通りかもしれへん。もしかすると、注目を集めて余計に緊張させてボクらを潰そうって魂胆とか?」
「あー! なるほどね、そうかも。ってかタクミンはやめろ」
「せやろせやろ? 観客もトリから二番手やのに実力もわからん奴らが来て白けるかもしれへんでタクミン」
「あいつらほんと汚い……! あとお前は話を聞け」
穿った見方を止めない二人は疑心暗鬼のドツボにハマっていく。こいつらきっと陰謀論を信じるタイプだ。
「はいはいそこまで」俺は手を叩いて妄想を中止させる。心配して損した。
「アホなこと言ってないで話を先に進めようぜ」
「淡白な反応やね。気にならへんのかい」
「だってデメリットよりメリットのほうが大きいじゃないっすか。何かの罠って考えるのは、さすがに考えすぎでしょうよ」
「なんやーお宅の彼氏はノリ悪いのう」
「は? 誰が彼氏って?」巧美が胡乱げに聞き返す。
「あああああそれより早く決めること決めようぜ! な!?」
俺は強引に巧美の両肩を持ってこちらを向かせる。
「時間ないんだからさ! 練習第一! 雑談してる余裕なし!」
「ちょ、わ、分かったって」
勢いに気圧されていた巧美は、首をすくめながら俺の手を払い除ける。「……近いのよ、もう」などとぶつくさ文句を言っていた。
さっきのことは頭から消えたな、よし。
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