第24話 サポートとの交渉 下

「なに、どういうこと? なに企んでるの?」

「いいから眼鏡外せ。歌えばいいから」

「歌えばって、それであいつが変わるの?」

「変わる。俺が保障する」


 巧美は柳眉を寄せる。自分の歌唱力に自信は持っていても、それがどれほどの影響力を持っているかは自覚できていないのだろう。

 それは当然の反応かもしれない。巧美はいつも魔眼のせいで記憶が飛んでしまうし、自分の声だって録音でしか聞いていない。

 けれど、俺は違う。こいつの歌声の凄さを間近で聞いてきたからこそ、俺には自信がある。

 巧美の歌声を聞けば、細見が持つ彼女への印象は百八十度変わるはずだ。


「わ、わかったよ。でもあいつの前で変な痴態晒さないように気をつけてよ?」

「善処する」

「おい」


 軽く小突かれる。そんなこと言ってもそっちの動きが大胆過ぎるのが悪い。何とか制御して欲しい、って理性が吹っ飛ぶから無理か。

 溜息を吐いた巧美が眼鏡を外し、俺の目を見つめる。

 魔眼が発動する。

 彼女の瞳が淡く輝き、目尻がトロンと落ちていく。


「ううー……ちくしょう格好良い。ユーキのくせに」

「よし。巧美、歌おう。お前が最高だってこと証明しようぜ」

「ちょ、待っ、そんなこと言われるとキュンキュンすっから」

「恥ずかしがらなくていい。俺はお前の隣で、お前の歌声を聞きたいんだ」

「んぁっ……そ、そんなこと言ってくれるなんて、超好き」


 頬を朱に染めた巧美が腕で自分を抱くようにして歓喜に震える。

 もちろんこれは歌わせるためのヨイショだ。半分は本音だけど。

 巧美が俺にほとんど身を寄せてきた。胸を手で押さえ、太ももをもじもじさせた彼女の息遣いは荒い。上目遣いの濡れた瞳を向けて、切なそうに苦しそうに、俺の唇に唇を重ねてきた。そのまま軽い接吻を交わす。


「んぉ!? え、なん、え……? なんなん?」


 急に怪しいやり取りを始めた俺達に細見が動揺していた。いきなり目の前イチャイチャされ始めたら、頭がおかしいのかこいつらと思うわな。


「さ、セッティングしよ」

「……ん」


 キスして満足したらしい巧美がベースの準備を始める。俺はその間に細見の方へ近寄る。彼は驚愕というか、得体の知れない物を見るような目で俺を見ていた。


「もしかして付き合うとるんかなとは思っとったけど……君ら、そういう趣味なん?」


 なんか物凄い誤解されている。が、これを利用しない手はない。


「あの、付き合ってるってのはそうなんですけど、変なプレイとかじゃなくて。あいつ歌うときは緊張するから、それをほぐすためにやるんですよ、ああいうの」

「へ、へぇー……」

「おまじないっていうか、願掛けっていうか。ありますよね、そういうの?」

「ウン、アルアル」


 細見はもはや棒読みの対応だった。やべぇ連中じゃん帰った方が良いかも、なんて迷いが男の顔に現れている。

 深く追求されなくて済みそうだが、何か大事なものを失っている気がする。いや考えないでおこう、うん。


「とりあえず俺達が今やってる曲はこれなんですけど、ドラムを合わせてくれませんか?」


 スマホで譜面を見せると、細見は「あーこれね」とすぐに理解していた。


「初心者向けの古いロックナンバーやな。ってことは君ら、やっぱり素人か」

「正直に言うとそうです。演奏面じゃ細見さんのお眼鏡に適うはないと思います。でも、あいつの声は別格ですから」


 後ろを向くと、巧美がベースを抱えてマイクをセットしていた。こちらを見て「準備完了」と告げる。俺は目と目を合わせて魔眼の効果を伸ばしておく。


「ふーん? ま、ええやろ。一曲だけサービスで付き合うたるわ」


 細見がスティックを構える。乗ってきたことに心中でガッツポーズをしながら、俺は自分の立ち位置でギターを構える。

 巧美を確認。彼女もまた俺の方を向いていた。


「気分はどうだ?」

「今すぐユーキのために歌いたい」

「いいね、俺も早く聞きたい」

「それで早く終わらせて続きしようね♪」

「ええと……はい」


 あえて細見の方は見ないでおいた。

 さて、出だしは俺のギターだ。音量を上げ、ギターのフレーズをかき鳴らす。

 ドラムの方を確認する勇気はない。どうせ落胆、もしくは納得の表情を浮かべて余裕ぶっているだけだろう。

 俺のことはいい。自慢できるような実力がないことなんて分かりきっている。

 あいつを心底揺さぶる役目は、俺じゃなくていいんだ。

 巧美のベースとドラムが入り、歌い出しの瞬間。


「っ……!?」


 衝撃を受けた気配があった。

 俺は演奏しながらチラと振り返る。細見は細い目を最大限に開けて巧美を凝視していた。完全に意表を突かれた表情だ。それでも演奏に狂いがないのはさすがと言ったところか。

 巧美は俺達を気にせず伸び伸びと歌う。周囲からの雑音、雑念が俺への恋心で掻き消された状態の彼女は、本来の歌声を余すところなく発揮できる。


(いつ聞いてもすげぇな、こいつの歌は)


 練習で何度も聞いているのに、俺は何度も聞き惚れてしまう。鳥肌が立つ。

 だからこそ、彼女の歌声に合わせてギターをかき鳴らすのがとても心地いい。この場を支配する歌声に自分の演奏を重ねることが、誇らしく高揚感をもたらす。

 悔しいけど、PC上で作曲するだけでは味わえなかった興奮が、そこにはある。

 それはきっと細見も同じのはずだ。


 曲が終わる。シンとした部屋の中で三人の息遣いだけが聞こえてくる。


「――……お? ん、あれ?」


 歌い終わった巧美がきょろきょろと周囲を見渡した。ぼんやりした表情なのは、魔眼の効果が切れたからだろう。

 彼女はちょこちょこと俺に近寄ってくる。


「ど、どうだった? ちゃんと歌えてた?」

「ああ、大丈夫」

「あいつの前で変なことしなかった?」


 一瞬の間が空く。

 スネを蹴られた。


「後で覚えとけよお前ぇ……!」


 むくれ面の巧美が涙目で睨んでくる。

 そんなことを言われても仕方がない。あれだけ接近してきたお前を突き放すと、それはそれでぐずったりして歌わなくなることは経験済みなんだ。


(付き合ってるって嘘がバレたら殺されるな、俺……)


 せめて最大限の爆弾だけは本人から隠し通そうと、固く誓う。

 その間、細見は一言も発していなかった。俺はギターをスタンドに置いて彼に聞く。


「どうでした、巧美の声」

「……凄いね」


 スティックを置いた細見が端的に答える。先ほどまでの薄ら笑いが消えていた。


「お世辞抜きで、その子の声は天性の才能やと思う。他にはおらんな」


「えっ、えっ」巧美が慌て始める。そんな賞賛は当たり前だと思っているので、俺は特に驚くことはない。


「こいつと組めば、高校の文化祭だとしても盛り下がるなんてことはない。それは信じられますよね?」


 加えて魔眼を使えばほぼ百パーセントの確率で大盛り上がりになる。


「ああ、せやろな」

「俺達は確かに軽音外のバンドです。だからこそ、そんなバンドが文化祭で一番人気になったら結構な噂になる。同じメンバーだったあなたもそれなりに注目されるんじゃないですか? 女子高生にキャーキャー言われるかも」

「うーん。OB連中には良い顔をされんやろうけど、悪ぅないわな」

「えっ、待って、あたしの歌ってそんなに凄いの?」


 目を輝かせた巧美がくいくいと袖を引っ張ってくる。喜んでいるのはわかるが、今は細見さんとの交渉中だ。頭を撫でるだけで済ませておく。よしよし良かったね。


「なに触ってんのよ!」


 尻を蹴られる。魔眼をかけた巧美が一瞬だけ恋しくなった。


「なにより、こいつをボーカルにしたバンドは、面白そうでしょ?」


 尻を摩りながら俺は挑発するように笑って見せる。

 細見は答えない。変わりに深く溜息を吐いて後頭部を掻く。

 そして俺達に向けて、また軽薄な笑みを向けた。


「わかった! ドラムやったろ!」

「ほんとですか!」

「三万で!」

「「おい!?」」


 俺と巧美と一緒になってツッコむ。今のは絶対絆されてる流れだったじゃねぇか!

 細見は半笑いで手をひらひら振る。「だってやねぇ」


「君らの演技は下手くそのダサダサやん。こっちがやりたい曲もできへんし、いわば介護や。せめてボクと同レベルになってからちゃんと勧誘してくれん?」

「ぐ……」


 何も言い返せなかった。バンドマンとしての情熱に訴えかけようと巧美の声の凄さをアピールしたが、そもそもバンドの音楽は各パートの演奏が調和して成り立つものだ。

 退屈な連中に付き合ってやる、という感覚は覆せなかった。


(……それでも安くなったなら、巧美の歌は魅力的だっつうことか)


 悔しいが、ここが妥協点のようだ。


「……わかりましたよ。三万なら払います」

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