第28話 路上演奏チャレンジ

 夜、人でごった返している駅前広場に、俺と巧美は立っていた。

 駅は2階構造になっていて、1階は駅構内スペースの他にバスロータリーとタクシー乗り場がある。2階部分は、改札を出るとすぐに横断歩道橋と直結している大きな広場があった。

 そこは色んな人が待ち合わせに使っていて、夜でもかなりの人がたむろしている。


「ねぇー……ほんとにやるの?」

「当たり前。本番一発勝負とか危ないだろが」


 俺は広場の隅を陣取り、アンプとマイクのセッティングを始める。

 隣の巧美は常らしからぬもじもじとした態度で、周囲をキョロキョロと眺めていた。


「にしても、さすがに人が多すぎるって。もっと人気のないとこじゃ駄目なの?」

「それじゃ魔眼の効果を検証できないだろ。たくさん居たほうが掛かる人間も増える。つうか、文化祭はこれくらいの人数普通にいんだろーが」

「そうだけどさぁ」


 どうにも乗り気でない巧美は歯切れが悪い。

 そんな彼女はミニのスカートにブーツ、ジャケットを羽織った姿だ。ヘアピンで前髪を留め、伊達眼鏡をつけた格好はいわゆるパンク系ファッションというやつか。対する俺も学校の制服ではなく私服に着替えている。

 路上ライブは基本的に無届け無許可で行う。何が起こるかわからないし、注意される可能性もある。制服姿だと色んなことがバレて洒落にならない。


「よし、セット完了」


 俺は簡易アンプの前にマイクを設置し、エレキアコースティックギターを構える。これらはいつもの練習スタジオから借りてきたものだ。


「ほら、やるぞ」

「ううー、マジかぁ……」


 マイクを差し出すと、巧美は渋々ながら受けとる。その頃には周囲にいる人たちが俺達にちらちらと視線を送り始めていた。中には露骨に眉をしかめる人もいる。路上ライブをやること自体は珍しくないが、誰かの邪魔になることもあるからだろう。

 敏感に感じ取ったらしい巧美は更に萎縮して、つばを飲み込んでいる。


「いつもの通りやればいいんだよ」

「う、うるせー。あたしが極度のあがり症だって知ってるでしょ」


 そう、こんな口調で服装も格好良く決めておきながら、こいつは人前では緊張で固くなってしまう間抜けな、じゃなくて可愛い一面を持っている。

 だからこそ、全ての感情を俺への好意で塗り潰す、魔眼の力が必要になる。


「あのな、お前ほどじゃないけど、俺だって緊張してんだ」


 俺は正直、彼女が羨ましかった。

 彼女の前に右腕を差し出す。ピックを持つ手はぶるぶると小さく震えていた。


「やらないで済むならいいけどよ。やるからには本番で失敗して恥かきたくねーんだ。仕方なくやってんだよ」


 宅録DTMしか経験のない俺が、こんな衆目の面前で演奏をする度胸なんてあるわけがない。今だって心臓が喉から出そうなほどバクバクしている。

 それでも俺は俺自身に魔眼をかけることができない。俺自身の力でギターを弾くしかないんだ。


「俺に比べたら、緊張が吹っ飛ぶお前の方が随分と楽じゃん。ちょっとはこっちの身にもなれっての」

「……なんだよ、それ」


 強張っていた巧美の頬が、ふっと緩んだ。


「そんなん言ったらあたしは記憶がなくなる上にあんたとこんなとこでキス……しなきゃいけないんですけど?」

「それはお前からしてくるのが悪いてっ」


 太ももを蹴られる。


「おまっ、ブーツはいてぇだろ!」

「ぐだぐだ言わない。ほら眼鏡取る」


 伊達眼鏡を外した巧美がくいくいと指で示す。こいつはほんとくそ生意気だ。

 でも、幾分か調子を取り戻したようだ。

 俺は鼻から息を吐き、眼鏡を取って彼女と目を合わす。

 魔眼が発動。

 とろんと目尻を下げた巧美は、俺にぐっと近寄ってきた。そして俺の右手にそっと触れる。


「ほんとだ。手、震えてるね?」


(うっ……こいつ)


 近寄られて気づく。今日の巧美はなにか香水でも使っているのか、やたらといい匂いがする。緊張のせいか彼女の体温も高くて、違う意味で胸が高鳴る。


「あたしはもう緊張しなくなったよ。むしろ幸せな気分で一杯。ありがとう、ユーキ。あんたが居てくれてすっごく嬉しい。ユーキが居てくれるなら何も要らないくらい」

「お、おう、そりゃよかった。じゃあ早速うた――」

「だから変わりにきんちょー和らげたげるね♪」


 巧美の腕が俺の首に絡み、そっと唇が重ねられる。柔らかい感触に一瞬で首から上が熱くなる。

 少し離れた場所から恥ずかしげな声が聞こえた。たぶん誰かに見られている。それでも巧美は俺とのキスが止められない。

 ――いや、俺が、の間違いだろうか?

 たっぷりと時間をかけたキスの後、巧美が離れる。「あは」


「こっちが元気になっちゃったね?」


 彼女の指先が股間に触れた。

 俺は思いっきり腰を引く。「おま! やめろこんなとこで!」


「あはは。わかってるって。歌うんでしょ」


 流し目を送った巧美が、マイクを握って俺に背を向ける。

 直前の横顔がやたらと綺麗で大人びていて、瞼の裏に焼き付いていた。


「いくよ、ユーキ」


 声をかけられてハッとする。俺はエレアコを構えて指をポジションに添える。

 そして、彼女が歌い始める。

 この曲は文化祭で一番目に披露する曲だが、それをギターだけの弾き語りに変えたバージョンだ。イントロは巧美だけで歌いだして、途中から俺がギターで入る。

 雑音が混ざる駅前に、一瞬だけ無音の亀裂が入った。

 周囲に居た人も駅から出てきた人も通行人も、揃って俺達の方に視線を送る。

 掴みは十分。やっぱり巧美の声は心を掴む力がある。


 でも、まだ足りない。耳を奪われた人達の幾人かは、聴衆になることはなく去っていく。引き止めるには至っていない。

 ここからは、俺の出番だ。

 ギターに集中するふりをして誰とも目を合わせないようにしていたが、ここでしっかりと周囲の方に目を向ける。

 女性二人組と目が合った。そのうちの一人がぽっと頬を染めて、小走りに近寄ってきた。


「あ、ちょっと! もう帰らないと!」

「いいじゃんちょっとだけ」


 もう一人はコンタクトなのか効果は現れていなかったが、掛かった方の女性が俺を見始めたおかげで一緒になって聞き始めてくれる。

 魔眼に掛かった女性には、おそらく巧美の声は届いていない。だけど傍目からは、俺達に注目してやってきた風に見えるだろう。

 その行動を周囲に見せつけることが目的だ。

 俺は更に他の人間に目を向ける。塾帰りの女子高生、フリーター風の男、親子連れ、老夫婦、酔っ払いのサラリーマン。あらゆる人と目を合わせ、片っ端から俺の虜にしていく。


 サビに入る頃、俺達の周りには人だかりができていた。

 予想以上にうまくいって内心ビビるが、魔眼の効果が続いている巧美はそんな状況など歯牙にもかけない。

 彼女は伸びやかに、自由に歌う。巧美は誰でもなく、俺に聞かせるためだけに歌う。褒められるために歌い続ける。

 他の誰でもない、ただ一人を想いながら歌う歌だからこそ、多くの人を感動させるのかもしれない。

 なんてことを考えながらギターを弾くうちに、更に人が増えていった。人は人が集まっている場所や物事に惹かれる習性がある。

 最初は魔眼の効果でも、今集まってきている後ろの人たちに魔眼は届かない。だけど彼ら彼女らは純粋な好奇心と歌声への興味で留まっている。魔眼を使った効果が更に膨れ上がって、高いシナジーが発揮されている。


 背筋がゾクリとする。鳥肌が立つ。ギターを弾いている指に力がこもる。

 気づけば俺は笑っていた。

 何か大きなものを掴んだ感触があった。

 いつも水が満たされず乾いていた容器がようやく充満したような、安心感と開放感があった。

 

 歌は終盤になり、巧美は歌いきった。

 シンと静まりかえった後――盛大な拍手と歓声が起こる。

 その場に集う全員が俺達に賞賛を送っていた。

 こんな光景、生まれて初めてだった。魔眼を使ってもここまで人の注目を集めたことはない。

 演奏一つでここまで人の心を揺さぶることができる。能力の効果があることを差し引いても、それは何だか、とても凄いことのように思えた。

 得体の知れない高揚感で、心臓が高鳴っている。


「……あ、あれ?」


 歌いきった巧美から戸惑いの声が漏れる。魔眼の効果が切れたようだ。

 彼女は自分の目の前に集まる人だかりに唖然としていた。無理はない、気づいたら人に囲まれて拍手を受けているのだから。


「これ、あたしらの演奏、で?」


 答えようとしたとき、人だかりから「次はやらないんですか?」と声がかかった。

「聴きたーい!」「次はなにかな?」「あと一曲聴こっか」などと勝手に盛り上がり始める。

 対照的に、魔眼の効果が切れ始めた人たちが、ぼんやりした顔でキョロキョロと周囲を見渡し始めた。


「あれ? あたしどうしてたんだっけ」

「なに言ってんの。あんたが聞きたいってきたんでしょ」

「……そうだっけ?」


 はじめの女性組二人の会話が聞こえてくる。他にも困惑したような客が見受けられた。


(――やべー、終わった後のこと考えてなかった)


 実験したかっただけなので一曲しか用意してない。さすがに同じ曲をもう一度弾けば白ける。魔眼をかけた人たちも、もう一度かけて引き止めるのは難しい。短期間の記憶喪失が続けばさすがに慌てるだろう。

「ゆ、ユーキ」巧美が慌てて振り返る。そっちもノープランのようだった。

 逡巡したそのとき、甲高い音が鳴り響いた。


「そこの君たち、許可なく演奏することは禁止だぞ!」

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