第15話
翌日の登校中、名案が浮かんだ。
初心に返るのだ。そんなわけで、教科書を忘れたふりをして、少し離れたクラスにいる栗原を訪ねた。 香苗が教科書を借りに行くのは初めてだったせいか、栗原は「珍しいね」と言った。
香苗が教科書を忘れたことに対してなのか、わざわざ栗原を訪ねてきたことなのか、そのどちらに対してもなのか。
「ごめんね、助かった。ありがとう!」
これで、教科書を返すときに話をする時間が持てることになった。どうやって聞き出すかは、次の地理の時間いっぱいを使って考えることにする。
いつもほとんど寝て過ごす授業だったが、今日はしっかりと目を見開いて、どうやって話を切り出したらいいのか、真剣に考える。
――あのね、佐久間君のことなんだけど、なんでピアノ辞めたのか知らない? 家庭の事情が関係してるとか聞いて、気になっちゃって。
――佐倉ちゃん、どうしちゃったの? そんなの調べてどうするの?
――いや、ちょっとした野次馬根性で……。
どう考えても、自分のしようとしていることは単なる野次馬と変わりないと思う。佐久間はおそらく、自分のことを友人の一人だとみなし始めている。そんなときに、野次馬の一人に過ぎないと思われてしまったら、今までの彼の様子からすると、思いきり距離を置かれるであろうことは目に見えている。やはりここは、黙ったままでいるほうが利口なのではないかという気がしてくる。
しかも、栗原は、佐久間君とこの高校の受験会場で会ったときに、初めてピアノを辞めたことを知ったと言っていたくらいなのだ。その後情報が更新されたのかどうかは知らないが、今でも知らないままでいる可能性は高い。
もしくは、妹のことを聞いてみればいいのだろうか。同じ部活だったのだから、何か知っているかもしれない。
――佐久間君の妹も吹奏楽部だったらしいじゃない。
――ああ、そういえばいたね。どうしたの? 急に。
――いや、どんな子だったのか気になって。
だめだ、あまりに不自然すぎる。栗原と自分とは、それほど親しく話しているわけではない。さりげなく聞き出すためには一時間くらい話したあとが望ましいだろうが、そもそも彼女と一時間も話をすることなどないのだった。
ああでもない、こうでもないと考えているうちに、地理の時間は終わってしまった。結局、栗原にはお礼しか言えなかった。
教室を出ると、廊下にいた佐久間と目が会った。
「あれ、佐久間君。なんでこんなところにいるの?」
「次の時間、物理室で実験だから、移動中。佐倉さんこそ……」
そのとき、教室から栗原が現れた。
「佐倉ちゃん、これずっと返すの忘れてた、ごめんね」
二人の視線が栗原に集まる。
「あ、佐久間君じゃん。久しぶり。あれ? 佐倉ちゃんと知り合いなの?」
「うん、最近マンドリン部に入ってくれたの」
「まじで?」
栗原はそう言ったまま、固まってしまった。
「二人は吹奏楽部で一緒だったんだよね」
そう言って話を振ろうとすると、佐久間はもう回れ右をして歩き始めていた。
「私たちの部活、人数多かったから、みんながみんな仲良かったわけじゃないんだ。私はちょっと苦手だったから、あんまり話したことなかったし。でも、マンドリン部に入ってるなんて、人は変わるもんだね」
「そんなに意外?」
「まあ、私はあんまりマンドリン部のことは知らないけど、どっちかっていうと、和気あいあいって感じでしょう? 中学校のあの人からすると、最も遠いところにある気がするな」
そのまま話を続けていたいと思ったが、休み時間はもはや数分しか残されていない。
「まあ、意外ではあるけど、やっぱり音楽が好きなんだね」
栗原はそう言うと、教室の中に戻った。
ついさっきの彼女の呆気にとられたような顔を、もう一度思い出す。香苗は改めて、佐久間はなぜマンドリン部に入ったのだろうと思った。
それ以降、心なしか、校内で佐久間の視線を感じることが多くなった。図書室にいるとき、廊下を歩いているとき、自動販売機の前でジュースを買おうか迷っているとき。一度、ふと教室の窓の外を見たら、彼がじっとこっちを見ていたときすらあった。自意識過剰になっているのだろうか。
最近では、練習が終わる頃には、既にあたりは真っ暗になっている。先生からは、なるべく早く帰るように言われるけれども、こういうときにあえて遅くまで残っているのもまた一興で、彼らは六時を過ぎても部室にいる。
「佐久間、バイトはいいのか?」
「ああ、市民文化祭が終わるまで、土、日だけにしてもらってるから」
「そんなに練習しなくても、弾けるのに」
「完璧主義者だから」
口ではそう言いながら、ギターの練習よりも、漫画を読んだり宿題をしたりする時間のほうが多いようだ。畑野や香苗、そして美紀がくだらないことで笑い転げていても、ほとんど参加することはない。会話はちゃんと聞いているらしくて、たまにぼそっと「それはないんじゃないの」などと言うことはあったが、それだけだ。
「どうもあいつは、一年生の誰かを狙ってるんじゃないかと思うんだよな」
佐久間がいないとき、畑野がこっそりとそんなことを言った。
「そうなの?」
「あの、三度の飯より貯金通帳が好きだった男が、土、日しかバイトをしないだなんて、それくらいしか考えられない」
「それはあんまりじゃないの……?」
そう言いながらも、香苗も気にならないわけはなかった。佐久間のことがますますわからなくなっていく。
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