第19話 不在
2人で暮らし始めて、彩葉ちゃんが隣に寝ていることにも慣れ始めた頃、どうしてもと母親に電話先で泣かれてわたしは弟の結婚式に出席することになる。
そのことを何気なくわたしは彩葉ちゃんに告げると、
「嫌です」
はっきりとしたノーが彩葉ちゃんから出たのは記憶する限りでは二度目だった。
仕事を辞めないで欲しいと言った時、彩葉ちゃんはわたしの願いを受け入れてはくれなかった。
なんとなくその時の彩葉ちゃんと同じ雰囲気を感じ取る。
「わたしが出席するだけなのに?」
「心和さん、父親とは会いたくないって言ってたじゃないですか」
「そうだけど、弟の晴れの日だからどうしても出席して欲しいって母にお願いされたら断れなくて」
「嫌です。行かないでください」
「わたしを心配してくれてるなら大丈夫だよ? 父親とは一言もしゃべりたくないとは伝えてもらってるから、結婚式に出て座ってるだけ」
「…………」
「彩葉ちゃんは気にしないでいいよ。わたしの家のことだしね」
後から思えば、その言葉が彩葉ちゃんを傷つけたのだろう。
黙ってしまった彩葉ちゃんとの会話を打ち切って、居心地の悪さに耐えられなくてわたしはお風呂に向かった。
濡れた髪のままでリビングに戻った時には、既に彩葉ちゃんの姿はなく、メモだけがテーブルに残されていた。
しばらく実家に帰ります。
言葉通り、彩葉ちゃんは翌日から家に帰って来なくなった。
毎日わたしに会いに来てくれるという約束をして以来、一日も欠かさず顔を見せてくれていたのに、もう3日彩葉ちゃんは帰ってきていない。
母親には結婚式に出席すると答えてしまったし、今更キャンセルもできない。でも、帰ってこない彩葉ちゃんをそのままにもできなくて、わたしは仕事帰りに彩葉ちゃんの実家に向かった。
まだ帰宅していないかもしれないと思いながら、彩葉ちゃんの実家を訪れると侑子さんだけが在宅だった。
今日は侑子さんは休暇を取っていたらしい。
「彩葉を迎えに?」
玄関で出迎えた侑子さんは一瞬で状況を理解してくれたらしく、口元で小さく笑っている。長くパートナーと暮らしている侑子さんからすれば、わたしと彩葉ちゃんの関係はまだまだこれからだと思われているだろう。
「はい。すみません。でも、どうして彩葉ちゃんが怒ったのかわたしにはわかってなくて……」
一緒に住み始めて、互いの距離は近くなったつもりでいたのに、何か問題があるとわたしと彩葉ちゃんは途端に噛み合わなくなる。それはお互いを理解し合えてないからだと気づいていても、なかなか解決できるものでもない。
「あの子、興味があるものには熱中しすぎるところがあるから。いつまでも子供っぽい子でごめんなさいね」
「そんなことはないです。多分、わたしが彩葉ちゃんを傷つけるようなことを言ったんだと思っています」
彩葉ちゃんの家出の理由の本質は分かっていないけれど、とりあえず謝ろうと思って今日は足を向けた。
彩葉が帰ってくるまでゆっくりしていてくださいとリビングに通されて、侑子さんが出してくれたコーヒーに口をつける。
彩葉ちゃんよりも侑子さんの方が背が高くて、並んで座るとわたしと視線の位置が同じくらいになる。
コーヒーカップを握ったままで視線が合って、折角の機会だからと改めて口を開いた。
「一つお伺いしていいでしょうか? 侑子さんは彩葉ちゃんをどうして産もうと思われたのでしょうか?」
それは以前から聞きたかったものの、彩葉ちゃんの前では聞けなかったことだった。
「それは単なる興味で聞いてる? それとも他の理由があって?」
侑子さんは驚くでもなく、淡々と真意を聞いてくる。多分それは幾度となく聞かれた質問だろう。
「わたしは自分の子供を持ちたいという思いは薄い方だと思っています。彩葉ちゃんとつきあい始めた時も、女性同士だからと意識することはありませんでした。でも、お二人にお会いして、お二人の間で育った彩葉ちゃんなら、子供を持ちたいという思いがあるかもしれないと考えるようになったのが理由です」
「じゃあ、心和さんは彩葉が望んだらそういう選択をしてもいいと思ってる?」
「今はわたしが産むことも彩葉ちゃんが産むことも考えられません」
彩葉ちゃんのためであっても、わたしができる気はしない。それに、彩葉ちゃんにも見知らぬ存在の子供は産んで欲しくない。わたしだけの存在でいて欲しい。
「それなら悩む必要はないんじゃない?」
「それでも、彩葉ちゃんが望むのなら叶えてあげたい、です」
いつか彩葉ちゃんとそんな話をするようになるかもしれない。その時のための質問だった。
「心和さん。ワタシは美波をワタシに縛るために彩葉を産んだの」
「えっ……?」
「酷い母親でしょう? 美波は元々ノーマルだから、つきあい始めてもワタシはずっと不安で、美波はいつかワタシを捨てるんじゃないかって思いが消えなかった。美波が子供を好きなことも知っていたしね。だから、美波のためにワタシが子供を産んだって枷をつけるために彩葉を産んだの」
「それは彩葉ちゃんを望んで産んだわけではないということですか?」
「望んではいたけれど、美波のためという大前提があった、かな。法的に何にも守られない関係って、互いの気持ちでしか繋がれないからどうしても不安に陥りやすい。それをワタシと美波は彩葉で繋ぐことで、今までやってこれたのは事実かな。でも、心和さんと彩葉が同じことをする必要はないから」
不安定な関係と侑子さんが言うのはよく分かった。今だってわたしと彩葉ちゃんはそんな状態で、それは元の鞘に戻れる保障はない。
男女であれば、夫婦という関係で紐を結んではおけるけれど、同性だと法的な保障はなくて、一方的に離れようとすれば離れられる。
「わたしには無理そうな気はしています」
侑子さんのしたことは、一つの手段だとは理解できて軽蔑する気もない。でも、それをできる自信はなかった。
「心和さんって、純粋ね。彩葉が傷つけたくない、大事にしたいっていうのも分かる気がするわ」
侑子さんはわたしとの間にあった子供が座れるくらいのスペースを縮めると、背に腕を回してわたしの体を抱き寄せる。
拒否すべきかを迷って、そのまま侑子さんに視線を向けると、微笑みが返された。
それが何かを企んでいる笑みには思えず、ただの好意としての表現だと判断する。
「わたしは、彩葉ちゃんが実家に帰った理由がわかりません。考えても考えても分かりませんでした。それでも帰ってきて欲しくて迎えに来ました。でも、どうすれば解決できるのかは分からないんです。彩葉ちゃんよりも年上のくせに全然駄目で、それでも彩葉ちゃんとはいたいんです」
彩葉ちゃんは可愛くて、何でも自分でできて、何もできないわたしは不釣り合いだと思っている。
それでも手放せないのだ。彩葉ちゃんはわたしだけに夢中であってほしい。
「心和さんって、本当に可愛いわね」
目の前に侑子さんの笑顔があってどうしようかと迷っていると、聞き慣れた耳に届いた。
「お母さん!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます