海の祠
キッチンで湯呑にお茶を淹れ、トレイにのせてリビングへと向かう。
しっかりクーラーのきいたリビングでは、大きなソファに腰かけた店長が、町内会長たちの話を聞いていた。
ものすごーくご機嫌斜めの
まぁ、バカンスに来て仕事を持ち込まれちゃなぁ……。
町内会長たちの切羽詰まった様子を見かねた俺が、「話だけでも聞いてあげて下さい」なんて言ったもんだから、店長は俺に対してもちょっと拗ねたような視線を向けてくる。
俺がそれぞれの前に湯呑を置くと、店長はゆっくりと足を組み替えた。
「仕事として受けるかどうかは、お話を聞いてから判断します。そちらの予算もあるでしょうし」
「はい」
町内会長と役場の職員は、湯呑に手を伸ばすことなく神妙な
万里とダニエルも興味があるのだろう、リビングの端っこのふかふか絨毯で仲良く並んで座り、話を聞く体勢だ。俺も二人の傍にいって腰を下ろした。
町内会長が重い口を開く。
「この町では、古くからの習わしで、毎年海開きの前に白波様という神様に安全祈願の祈祷を行っています。町内にある神社の宮司が『海の祠』と呼ばれる所で儀式を行います。ですが、今年はそれが出来ておりません……そのせいか海での事故が相次ぎ、例年の三倍ほどになっています」
「三倍っ!?」
俺は思わず声を上げてしまったが、店長は冷静に問いかける。
「どうして今年は儀式をしなかったんですか?」
「儀式の直前に宮司が交通事故に遭いまして……まだ意識不明で入院中です。突然のことで、代わりの人を探す間もなく海開きの日になってしまいまして……」
それまで大人しく聞いていた万里が不思議そうに声をあげた。
「ちゃんと儀式してないのに、どうして海開きを中止しなかったの?」
「そ、れは……っ、……」
町内会長はモゴモゴと歯切れが悪い。
店長はゆっくりと湯呑を口に運び、一口飲んでから呆れたように町内会長へと目をやった。
「そもそも、儀式なんてただの恒例行事。やらなくても問題ないと思っていた……?」
「う……、……はい。しかし、今年は怪我をしたり溺れたりという事故が相次いで起こり、最近ではほとんど毎日のように……」
気まずそうに頷く町内会長と、その横で項垂れる役場の二人……。
海の事故がいつもの三倍になって、慌てて儀式ができそうな人間をあたってるってことか。例年の三倍となれば、もう偶然とかそういう次元じゃないよな。
さらに万里が質問する。
「今日も普通に砂浜で遊べたけど、どうして立ち入り禁止にしないの?」
「本当は完全立ち入り禁止にしたいのですが、色々と難しくて……地域住民のほとんどが迷信や祟りなど信じてないんです。たとえ禁止にしても誰も守ったりしないでしょう。しかも、そういう措置をとるなら市や県にも報告しなくてはいけません。書類になんと理由を書けばいいのか……」
確かに、祟りを理由に遊泳禁止なんて、聞いたことない。そういうものを信じない人の方が大多数だろう。でも、少なくともこの町内会長と役場の二人は信じているんだ。
「ただ、今年は大々的に海開きを宣伝することは控えました。一度は公開した海水浴場のPRや告知も取り下げたおかげで、遠方からの海水浴客はほとんどありません」
あぁ、なるほど……それで砂浜は地元の人だけで、すいてたのか。
俺は昼間の閑散とした砂浜の光景を思い出し、納得した。
一通り説明を終え、町内会長は縋るように店長を見た。
「しかし被害は増える一方です。今からでも、白波様を鎮めていただきたい……とてもご高名な霊能力者とのお噂ですが、何とかできますか?」
「分かりません」
店長の答えはめちゃくちゃ素っ気なかった。
「その辺の浮遊霊の祓いじゃない、相手は神様でしょう? しかも、毎年祀っているものを疎かに……ないがしろにして怒らせてしまった。僕としては、できれば関わりたくない。このまま海水浴場を閉鎖してしまうことを勧めます」
「そ、そんな――……」
取り付く島もない店長に、町内会長は青ざめ、言葉を失ってしまった。
まるでとどめを刺すような店長の言葉が容赦なく続く。
「たとえ僕が対応できたとしても、それだけの『仕事』となれば相当の料金をいただくことになります。失礼ですが、あなたに支払い能力があるとは思えません」
しばらくの沈黙――……。
そこで、ずっと黙って成り行きを見守っていた役場の職員の一人が声をあげた。
「お支払いは町内会費の積み立て金と、祭事を行えなかった代わりにと神社からも用立ててもらえることになっています。町内会長以外にも町内会の信心深い方々から、できるだけのことはすると約束をいただいてます……」
「……なるほど、分かりました。それでは、細かい金額の算出をします。対応できなかったとしても、それなりの最低料金はかかりますから」
お、店長がやる気になったぞ!
やはり店長を動かすのは金なんだな。
店長がこちらへ声をかける。
「都築くん、電卓持ってきて。それから出かける支度してくれる?」
「はいっ!」
俺はしっかりと返事をして立ち上がった。
続いて店長は万里たちへと視線を向ける。
「万里くんたちは留守番してる?」
「行くに決まってる」
「万里くんが行くなら、僕も行きます!」
答えながら立ち上がる万里とダニエルは、やる気満々といった様子だ。
店長が銭勘定をしている間、俺たち三人は急いでバーベキューの後片付けと戸締りに動き出した。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
「……ここが、『海の祠』?」
町内会長の案内で、俺たちは海岸へ来ていた。
昼間に遊んでいた砂浜から数百メートルほどの場所……俺が眺めていた岩場だ。岩と一体になる形で、海へせり出すように大きな石がいくつも重なり合っていた。ぱっと見、人工的な感じはしないが、自然にできたにしてはやけに綺麗に石が組み合っている。
今は海鳥の姿もなく、夜ということもあって不気味な雰囲気だ。
海の水は黒く、波音が神経をざわつかせる。
「なんか、ホラーっぽいなぁ。やっぱり、明日の昼間にしませんか? 何もこんな夜に来なくても……」
俺の提案に店長は首を振った。
「洞窟の中は昼も夜も関係ない、どちらにしろ真っ暗じゃないかな。それに、少しでも早い方がいいと思う。それより都築くん、
「はい」
俺は軽く背中を向けてリュックを見せた。
この中には『
「
「うん。もし御神体が大きすぎて入らなかったら、壊しちゃってもいいからね」
しれっとバチ当たりなことを言う店長に、俺は引きつった笑いを浮かべた。
「こちらです」
町内会長に促され、波打ち際から足を濡らしつつ回り込む。
海側からしか見えない位置に、ぽっかりと開いた穴があった。
大人が軽く屈んで入れるくらいの大きさだ。
入口を塞ぐように紐が渡され、神社でよく見る白いギザギザの紙が垂れさがっている。
こんなとこに穴があるなんて、そうそう気づかないだろうし、たとえ気づいたとしても、この「神聖な場所オーラ」で入る気にはならないだろう。
町内会長はおっかなびっくりといった様子で、穴の奥をちらりと見た。
「この奥に祠があるんです。そこで、白波様をお祀りしているという言い伝えです」
「言い伝え? あなたは実際に中へ入ったことはないんですか?」
店長の問いに、町内会長は気まずそうに頷いた。
「毎年、儀式を執り行う宮司が一人で入っていました。宮司の代替わりが行われる年だけ、引き継ぎとして新しい宮司が同行していましたが……」
「ふむ……それなら一緒に入っても案内もできませんね。自分で自分の身を守れない人がついて来ても邪魔なだけだ。ここで待っていて下さい。朝になっても僕たちが戻らなかったら、ここへ連絡を……」
店長は胸ポケットから名刺くらいの大きさのカードを取り出し、町内会長に差し出した。
とげとげしくも、尤もな言葉に素直に頷いた町内会長は、カードを受け取り、代わりに俺に懐中電灯を差し出す。
「それでは、これを使ってください」
「ありがとうございます」
俺は懐中電灯を受け取った。
店長は軽く肩を回したり、手足を伸ばしたりしてストレッチを始めた。ガチで祓いに取り組む前によくやっている準備運動だ。万里とダニエルも店長をまねて体を動かしだしたので、なんとなく俺も一緒にアキレス腱を伸ばしたりしてみる。
すると、何故か町内会長までが屈伸をしだした。
いや、アンタは必要ないだろ……俺もだけど。
笑いを堪えつつ、店長が皆を見回した。
「それじゃ、行くよ」
「はーい」
「分かりました!」
店長の声かけに、万里とダニエルが元気に応えた。
「はいっ!」
俺もしっかりと返事をし、懐中電灯のスイッチを入れた。
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