別荘

 翌朝……いや、昼前。

 着替えを詰め込んだリュックを背に、俺は店長のマンションのインターフォンを押した。


 店長も万里も朝が弱いから、出発は昼頃……と聞いている。

 予想通り、迎え入れてくれたのはダニエルだった。


「都築さん、おはようございます!」


「おはよう、ダニエル」


 リビングの飾り棚には昨夜の戦利品の光る腕輪やヨーヨー、お面などが仰々しく飾られていて、俺は思わず笑ってしまった。

 昨日の夏祭りがよほど楽しかったのだろう、ダニエルは上機嫌だが、低血圧の店長はまだ少し眠ダルそうだ。万里なんか着がえてはいるものの、リビングの大きな高級革張りソファに寝転がりウトウトしている。


 店長はカバンと車のキーを手に、はふ……と小さく欠伸をした。


「そろそろ行こうか。あ、万里くん、荷物にちゃんと水着入れた? ビーチサンダルも忘れてない?」


「ちゃんと入れたー」


 店長と万里の会話が、完全に「親子」で微笑ましい。

 前に、親子みたいだと言ったら「こんな大きな子供がいる歳じゃない」と店長がものすごーく嫌そうな顔をしたのを思い出す。でも、いい距離感の「家族」って感じなのは間違いない。

 ダニエルも俺と同じ思いらしく、ニコニコと二人を眺めている。


 俺とダニエルがテキパキと戸締りなど出かける支度をし、全員揃って別荘へと出発した。


 店長の高級車は何度か乗せてもらっているが、とにかく座り心地がいい。運転席に店長、俺は助手席、万里とダニエルが後部座席だ。

 夏休みもそろそろ終盤ということもあって、道はそれほど混んでいない。

 渋滞に巻き込まれることもなく、車はスムーズに郊外を抜けて海へと向かっていく。


「それにしても店長、別荘なんて持ってたんですね……店もあるし、全然行ってないんじゃないですか?」


 俺がムーンサイドで働きだしてから、店長が別荘へ行くのは初めてだ。店と祓いの仕事でまとまった休みもあまりとらない。せっかくの別荘なのに……と思ったが、


「税金対策で買っただけだからね、内装とか一通りそろえたっきり、全然行ってないんだ」


「……なるほど」


 税金対策……絵に描いたような「金持ちの台詞」も、最近やっと聞き慣れてきた。


「わゎっ、万里くんっ! まだ膨らませちゃダメだよ、狭くなっちゃう!」


 後ろからダニエルの声が聞こえて振り向くと、万里が浮き輪にぷーぷー息を吹き込んでいる。

 ダニエルの言葉もどこ吹く風の万里……二人を見てると、学生寮でもこんな感じなんだろうなと想像できてしまう。ダニエル、苦労してるんだろうな……。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




「え……マジですか……」


 車から降りた俺は、想像をはるかに超えるすごい別荘を呆然と見上げた。

 オサレな外観はまるでスタイリッシュな美術館のようで、やたらとデカい。税金対策でこれを買って、ほとんど使ってないとは……世の中って色々と不公平にできてるよな。


「でも、ずっと来てなかったわりに綺麗ですね」


「あぁ、業者に頼んで週一で掃除に入ってもらってるから」


 使ってもいない別荘を週一で業者が掃除!?

 俺は軽い眩暈を感じた。


 別荘の玄関ホールは大理石の床が美しく、芸術的価値も高そうな壺などが飾ってあり、大きなはめ込み式の窓から海が一望できた。

 あまりの絶景に、俺、万里、ダニエルの三人は呆気に取られ、靴を脱ぐのも忘れて玄関で立ち尽くしてしまう。店長が苦笑しながら壁のボタンを押すと天井のはめ込み式空調が動き出した。


「遠慮しないでいいからあがって。二階に客室が並んでるから好きな部屋を使っていいよ。都築くん達は、荷物置いたら水着に着替えて海に遊びに行ってくる? その間、僕は軽く掃除したり食材の買い出しに行ったりしたいし」


「掃除や買い出しなら俺も手伝いますよ」


 このバカンス中もしっかり時給が発生している。

 荷物持ちだろうが、掃除だろうが、なんでもこき使ってもらうつもりで俺はついて来たのだ。

 しかし、店長は首を振った。


「都築くんは万里くんとダニエルについててあげて。僕はこの一週間、海に行く気はないから。二人の海への付き添いは都築くん担当ね」


「はい???」


 きっぱり宣言する店長に、俺はマヌケな声で聞き返した。


「店長、泳がないん……ですか?」


「泳がないよ。海水で髪や肌がベタベタするの嫌だし、日焼けもしたくない。砂浜で足が汚れるのも嫌だね……そもそも海が嫌いだし」


 悩まし気につらつらと並べたてる店長に、俺は顎が外れそうになった。


「なんで……この別荘、買ったんですか?」


「だから、税金対策って言ってるだろ?」


「…………」


 ガチの税金対策だった……。

 店長と俺が不毛なやり取りをしてるのを横目に、万里とダニエルは二階への階段を上っていく。階段の途中で万里が振り返り、俺を急かした。


「水着に着替えて来る。都築も早く準備して! 海、行ってみたい!」


「わ、分かった!」


 俺も慌てて靴を脱ぎ、二人の後を追うように階段を上った。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




「えっ!? 二人とも……海、初めてなのか?」


 砂浜で俺は万里とダニエルを見比べた。

 俺たちはしっかり水着に着替え、万里は車内で膨らませていた浮き輪を装備している。


「あ……」


 そうだった。万里はずっと親戚に預けられてて、海水浴なんてレジャー的なこととは無縁だったはず……。余計な事を聞いてしまったかと、一瞬何かフォローをと考えたが……、


「僕、泳げないことはないけど、あんまり得意じゃなくて……万里くん、一緒に綺麗な貝殻探そう!」


 明るくダニエルが提案し、万里はちょっと嬉しそうにこくんと頷いた。

 ダニエルは俺の背後にも声をかける。


「パトラッシュも貝殻探すの手伝って! ほら、行こう!」


 ダニエルは動物霊との交流に慣れてると言ってたが、パトラッシュのことを気にかけてくれてて俺も嬉しい。優しい子だなぁ。

 俺は見えない愛犬に声をかけた。


「パトラッシュ、行っといで」


 空気を変えてくれたダニエルに感謝しつつ、俺はビニールシートを拡げて座った。


 見た感じ、有名な海水浴場ってわけでもなさそうだ。

 俺たち以外は地元の人が散歩がてら遊びに来てるような雰囲気……。


 万里とダニエルは波打ち際で、波に足を洗われながら熱心に貝殻を探している。

 薄いピンクの貝殻を拾ったダニエルが、嬉しそうに万里に見せた。


 海鳥の鳴き声に誘われてそちらへ視線をやると、数百メートルほど離れた海岸沿いに大きな岩場があった。海鳥が数羽、岩の先端にとまって休憩している。


 こんなに素敵な海水浴場なのに、どうして地元民ばっかりなんだろう。

 遠方からでもいくらでも人が来そうなもんだが……。


 それにしても、平和だ。


 柔らかい潮風がふわりと髪を揺らした。

 陽射しもそれほどきつくないし、楽しそうな二人を眺めてるだけで……時給倍!

 これは、かなりウマい……うん。


 優しい波音に眠りへ誘われそうになる。

 このまま昼寝したらめちゃくちゃ気持ち良さそうだが、二人の付き添いなのに寝るわけにはいかない。眠気覚ましに飲み物でも買いに行こうと立ち上がった。


「万里ー、ダニエルー、ジュース買って来る。お前らも要るだろ?」


 声をかけると、二人は嬉しそうに手を振った。

 ぶらぶら歩き、砂浜から道路に出るとすぐにバス停があり、ベンチ横に自販機を見つけることができた。


 適当に缶ジュースを三本買う。

 ふと、ベンチに座っている女の子が気になった。

 麦わら帽子に涼し気な水色のワンピースを着て、白いサンダルをはいた足をぶらぶらさせている。

 まだ小さい……小学校にもあがってなさそうだ。


 俺の視線に気づいたのだろう、女の子がこちらを見た。


「どうしたの? お兄ちゃん、迷子? 大丈夫?」


「え? あ、いや……うん、大丈夫だよ」


 心配されてしまった……。

 女の子はずりずり……とお尻をずらした。

 俺が座るスペースを作ってくれたようだ。

 慌てて戻る必要もないし、少し休憩していくか。

 俺は女の子の隣に腰を下ろした。


「暑っついね、飲む?」


 持っていたオレンジジュースを差し出すと、女の子は不思議そうに俺と缶を見比べてから受け取った。俺は缶をプシュリと開け、甘く冷たいオレンジジュースをグビグビッと喉に流し込む。


 道路脇の大きな木がいい感じにベンチに日陰を作ってくれて、潮風が心地いい。


「俺は都築。君のお名前は?」


千尋ちひろ……」


「千尋ちゃんか、よろしく……ってか、千尋ちゃん一人?」


「うん……お母さんを待ってるの」


 千尋ちゃんは頷いて、俺があげたジュースをこくりと飲んだ。


「お母さんは千颯ちはやを探しに行ってるから……私はここで待ってるの」


「ちはや、くん?」


「弟……」


 迷子の弟でも探しに行ったのかな……でも、千尋ちゃんだって充分小さい。こんな小さな子が一人で待ってるのも、心細いだろうに……。


「お母さんが戻って来るまで、一緒にいようか?」


「大丈夫。いつものことだから」


「そうなんだ……」


 そんなしょっちゅう迷子になるのか……お母さんも大変だなぁ。

 確かに千尋ちゃんは慣れているようで、不安そうな様子もなく、ぼんやりと海を眺めている。

 俺たちは特に会話もなかったが、二人並んでゆっくりジュースを飲んだ。


「それじゃ、俺はそろそろ戻るよ……」


 立ち上がり、自販機の横のゴミ箱に空になった缶を放り込む。


「バイバイ、千尋ちゃん」


「うん、またね。ジュースありがとう」


 飲んでしまった分のジュースを買い足し、俺は砂浜へと戻った。

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