覚悟
俺が叫ぶと同時に、風が竜巻のように渦を巻き、大浴場全体の空気が洗濯機の中のようにぐるぐる~っと大きくかき回されたように見えた。
髪一本揺れることなく、そよ風すら感じない俺は、大浴場の入口で立ち尽くした。
「え? ちょ、こんなにっ!?」
オッサン達は強い風に煽られ、印を結んだり呪文を唱えるどころか、立っているのもやっとという様子だ。
パトラッシュ! つ、強い――……っ!!!!
拉致された時は不意打ちだったし、俺からの指示もなかったから、あんなにあっさり封じられてしまったのだろうか……とにかく、俺にもはっきり分かるほど、パトラッシュは『大暴れ』してくれている。上出来だ!!
「もう大丈夫よ!」
声がした方を見ると、百園さんが縛られている女の子たちを次々解放し、脱衣所へと誘導している。
大浴場に、オッサン達の大混乱の悲鳴と怒声が響く。
「おいっ! 犬神をなんとかしろっ!!」
「分かってる! しかし強――……っ! うわぁぁあああっ!!」
店長を見ると、何やら印を結び、呪文を唱えている。
よし、時間稼ぎは出来てるっぽい!
その時、オッサンの一人がいくつもの小さな「何か」を俺の方へと投げつけてきた。
これは――……、拉致された時にパトラッシュが封じられた術だ!
マズい!!
と思った瞬間、オッサンの腕が弾けて血しぶきが舞った。
「ぐぁあっ!!」
痛みでオッサンの顔が歪み、何かに弾き飛ばされるように床へと転がる。
あの人、死ぬかもしれない……と思った瞬間、俺の足は勝手に動いた。
走りながら叫ぶ。
「パトラッシュ! やり過ぎだっ!! パトラッシュ!!!!」
深手で苦しむオッサンを抱え、俺は自分でも何をやってるのか分からない。でも!!
「殺すなっ! ぜったいに殺すなっ!!!!」
こいつらは、すっごく悪い奴らだって分かってる!
今まで、きっと何人もこいつらの犠牲になったに違いない。
でも、それでも!!
「やめてくれ! パトラッシュ!!!!」
……――訪れた静寂。
顔を上げると、そこかしこにオッサン達がぐったりと横たわっている。
やっと店長の術が発動したのか……店長の方を見ると、目が合った。
すっと目を細めた店長は、無表情なのに……俺には、ひどく冷たく見えた。
「都築くん、こいつらは……人間を
「分かってます! でも、……だからって、殺せません!」
「都築くんの、そういうとこ……大嫌い」
甘い、お子ちゃま、偽善……店長の目に、俺がどんな風に映ったかは分からない。
その時、俺は理解した。
俺はただ、覚悟がないんだと。
誰かを傷つけたり、殺したり……そういう事に対して、なんの『覚悟』もないんだ。
俺は、意気地なしで、弱い。
誰かを傷つけるのも、知り合いが傷つくのも、自分が傷つくのだって、怖い。
めちゃくちゃ怖い。
俺は店長をキッと睨みつけた。
「いいんですよ! 俺は祓い屋でも殺し屋でも正義の味方でもない! ただの一般人なんです! 一介のインドア派大学生で、カフェバー店員で、ただの『祓い屋のアシスタント』なんですっ!」
開き直った俺の剣幕に、店長は軽く目を見開き……小さく笑った。
「そうだったね。……ごめん」
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
店長と俺が脱衣所に戻ると、百園さんが助け出した子たちに声をかけ、落ち着かせていた。みんな、怯えたり泣いたり、恐怖のあまり呆然としてしまっている子もいる。
けど、まだ解体作業が始まってなくて良かった! みんな無傷だ。
「都築くんと百園さんは、その子たちを医務室へ。八神が脱出の準備をしてる。僕は客室に納品されてる残り五人を救出してくる」
「分かりました!」
脱衣所から廊下に出ると、店長は客室の並ぶ方へと走り出した。
その背中を見送った俺は、店長が脇腹に手を添えていることに気づいた。
チクリと、針で刺すような不安を感じる。
今は指示された事をちゃんとやるんだ!
俺は自分に言い聞かせると、店長が走り去った逆方向である医務室へと向かう。
俺を先頭に、女の子たち、百園さんの順で廊下を走り出した。
さっきは何とかパトラッシュを止めることが出来たが、次は間に合うか分からない。俺は走りながら愛犬に小さく声をかけた。
「ごめん、パトラッシュ……ハウスしててくれ」
船内の廊下は狭く入り組んでいる。俺は記憶を頼りに医務室へと急いだ。
しかし、角を曲がったところで見張りのオッサンと鉢合わせしてしまった。
「あっ! お前ら、どうやってっ!?」
俺と百園さんは乗組員の制服姿で認識阻害がかかってるが、他の子たちはそのままだ。
見つかれば、逃走したとすぐにバレてしまう。
当然、見張りのオッサンは驚きつつ身構えた。
恐怖の声を上げる女の子たちを庇うように、俺は手を拡げて
オッサンが印を結ぶ。
攻撃する気だ!
その時、列の後ろから走り出してきた百園さんが、護符を取り出しながら何か呪文のようなものを唱えた。
「百園さんっ!?」
体当たり状態でオッサンにタックルをかました百園さんは、オッサン共々廊下に転がった。
俺が駆け寄ると、百園さんだけが起き上がる。
オッサンは目を回して転がっていた。その胸には、さっき店長が百園さんに預けた護符があった。
「気を失ってますが、どれくらいもつかは分かりません。急ぎましょう!」
立ち上がった百園さんは、ふらりとよろけた。
慌てて支えるが、百園さんは立っているのもやっとといった様子だ。
店長の言葉を思い出す。
一度使ったらしばらく行動不能になるって言ってたな。
俺は百園さんに背中を向け、軽く腰をかがめた。
「えっ? 都築さんっ!?」
「ご、ごめん……お姫様抱っこで走れるほど、腕力……ない、から……」
非力な自分が恨めしい……あぁ、少しは筋トレしとけば良かった。
百園さんはちょっと迷ってから俺の背中にのってくれた。
俺は百園さんをおんぶし、女の子たちに声をかける。
「行くよ!」
再び走り出す。
百園さんは俺の背中にぎゅっとしがみついてくれた。うん、走りやすい!
ようやく医務室へたどり着いた俺たちを、八神医師が迎えてくれた。
「尾張は?」
「残りの五人……客室の子たちを救出に行く、って」
八神医師に問われ、俺は離れていく店長の後ろ姿を思い出した。
脇腹の傷は大丈夫なんだろうか……。
俺は百園さんを背中から下ろして診察台に横たえた。
百園さんは顔色も悪く、まだ思うように動けないようだ。
「百園さんと女の子たちを頼みます! 俺、店長のお手伝いに行ってきます!」
八神医師は百園さんの状態を確認しながら頷いた。
「分かった。一時間後にこの船はいったん港に入る。出来れば、そのタイミングで脱出したい。もしお前らが戻らなくても、俺はこの子たちを連れて下船しておくからな」
「はいっ!」
医務室を出た俺は走り出した。
頭の中に、店長がマークをつけた見取り図を思い浮かべる。
一時間で残り五人を救出して、店長と一緒に医務室に戻る!
脱衣所でオッサン二人を戦闘不能にした店長の手際なら、客室を回って女の子たちを助けるなんて造作もない事かもしれない。
でも、店長は怪我をしている。
嫌な予感を振り払うように、俺はスピードを上げた。
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