不運な事故

 俺が近づくと、男の子は玄関ホールの大階段をトトトッと上がっていく。

 踊り場で振り返り、またこちらへ向かって手招きする。


「どうしたの?」


 俺は誘われるまま階段を上がる。

 男の子は何度も振り返り、俺がちゃんとついて来るのを確認しつつ二階の廊下を奥へと進んでいく。奥様や家政婦さんの許可なく勝手にこんなところまで入り込んでいいものか、不安になってきたところで、男の子がドアの一つを開いた。

 そしてまた、小さな可愛い手で「おいでおいで」と手招きしてから中へ入ってしまった。


 ここまで来て今さら引き返すわけにもいかず、俺はドアの前に立って中を覗く。

 子供部屋だ。

 青と白の清潔感ある壁紙、家具やファブリックは黄色の差し色が品よく、まとまっている。


 だが……ちょっとおかしい。不自然だ。


 子供部屋特有の雑然とした感じがない。

 オモチャも転がってなければ、読みかけの絵本が置いてあるわけでもない。

 男の子はベッドに腰かけて足をぶらぶらさせながら俺を見ている。


「俺に、何か用かな?」


 俺はなるべくフレンドリーに話しかけた。なにしろ『お客様の坊ちゃん』だ、仲良くしておきたい。


「お兄さん、犬……連れてるね。怖い……」


「えっ!?」


 犬といえばパトラッシュのことだろう。この子は『見える』タイプなのか。

 男の子を怖がらせないように「ハウス!」と口を開きかけ、俺はアレクの言葉を思い出した。


『今日はパトラッシュにハウスさせるな、ずっと自由にさせておくんだ』


 俺は愛想笑いを浮かべて、なるべく明るく優しい声で答えた。


「えーっと、大丈夫! 見た目はおっかないかも知れないけど、いい奴なんだ!」


 伝わらないのは分かってるが、心の中で『お前も笑え!』とパトラッシュに声をかける。


「そう……」


 男の子は怖がっているというより、ちょっとつまらなそうに呟いた。

 俺はサンルームの子供達のことを思い出し、声をかける。


「サンルームに何人か友達が来てたけど、一緒に遊ばなくていいの?」


「いいんだ、……友達なんかじゃないから」


「そ、そうなんだ……」


 ……会話が続かない。

 こういうパーティの場合、親同士の付き合いのみで顔も知らない子が来るなんて事もありそうだ。

 すぐに仲良くなれるタイプじゃなかったら、気まずいかもしれない。

 それで子供部屋に籠ってるんだろうか。


「坊ちゃん、どうかなさったんですか?」


 俺の背後から女性の声がした。振り返ると先ほどの家政婦さんが立っている。


「……あ、すみません。俺――…」


 二階の子供部屋にまで入り込んでしまったことを咎められるかと思ったが、家政婦さんは俺をちらりと見ただけで男の子の方へ歩み寄った。


「パーティが始まるまでに書き取りの課題を済ませておくよう、奥様が仰ってましたよね? 終わったんですか?」


「終わった」


 どう見てもまだ小学校には上がってなさそうなのに、課題だと!?

 こんな豪邸に住んでるんだ、もしかしたら私立小学校をお受験するのかも知れない。

 それにしたって、何もクリスマスイブにまで勉強しなくても……大変だなぁ。


 家政婦さんは部屋の隅の勉強机へと向かい、引き出しを開けて数枚のプリントを取り出した。


「やっていませんね……私が叱られます。早く始めてください」


 え? 嘘だったのか?

 こんな小さな子が、こんなにしれっと嘘なんかつけるのか……。


「今日はやりたくない」


 男の子は嘘がバレて開き直ったように、ぷいっと横を向いてしまった。


「いけません。今日の分のプリントが終わらないと、夕飯をお出しできませんよ」


「…………分かった」


 男の子は渋々といった様子でベッドから下りた。勉強机に近づき、家政婦さんからプリントを受け取って椅子に座る。

 鉛筆を持ち、何やら書き始めた。


 その様子を確認した家政婦さんは、俺に軽く頭を下げて部屋を出て行った。


 このまま子供部屋に残っていて勉強の邪魔しちゃ悪い。

 俺は家政婦さんに続いて部屋を出た。すぐに追いつき、並んで歩く。


「あの、すみません……二階にまで上がってしまって」


 家政婦さんは俺の方を見ることなく、前を向いたまま驚くほど小さな声で答えた。


「いえ、ご無事で何よりです」


「え……?」


 聞き間違いか?

 今このタイミングで『ご無事で何より』???


「それって、どういう――…」


「あら、電球が切れかけてるのかしら……」


 俺の問いを、家政婦さんの言葉が遮った。

 家政婦さんの視線の先には階段踊り場の壁掛けライトがあり、明滅している。


 さっき階段を上った時には何ともなかったが……。


「電球を交換しないと……」


「けっこう高い場所ところですね……、手伝います!」


「ありがとうございます、それでは換えの電球と踏み台を取ってきます」


 数分後、家政婦さんは踏み台になりそうなスツールと新しい電球を手に戻って来た。

 揺れないようにと、家政婦さんがしっかりスツールを掴んで固定してくれる。

 俺は電球を手に、慎重にスツールの座面へのっかった。


「届きそうですか?」


「大丈夫です」


 心配そうな家政婦さんに答えながら、古い電球を外す。

 階段下の玄関ホールでは、サンルームにいた子供達が出て来て遊びだしたのだろう、楽しそうな声が聞こえてくる。


「えーっと、これでいいのかな……よっと」


 新しい電球をはめようとした、その時――…


「あーっ! ボールがっ!」


 子供の声がひと際大きく響いた。

 広い玄関ホールでボール遊びでもしてるのかと思った瞬間、俺の背中にボンッという衝撃。


「えっ!? ――…ちょ、……っ……」


 ボールが直撃したと理解するより先に、俺は壁にぶち当たった。

 俺の手から滑り落ちた古い電球は、下にいた家政婦さんの頭に直撃して割れ、驚いた俺たちは完全にバランスを崩し――…


「うわあっ!」


「きゃあっ!」


 俺はスツールから踊り場へ転落、と同時に家政婦さんも巻き込んで二人一緒に階段を転がり落ちた。


 意識がなかったのは、ほんの数秒か数分か分からない。

 しかし目を開けると、心配そうに覗き込んでくる店長の顔と、その後ろで申し訳なさそうにしている子供達が見えた。


「都築くん、大丈夫?」


「う、……いたたっ、俺は大丈夫……って! 家政婦さんは!?」


 俺は慌てて顔を上げた。

 家政婦さんは床に座り、奥様から手当を受けていた。

 俺が落とした電球で頭を切ったのだろう、額から血が流れている……申し訳ない。

 足も挫いたのか、家政婦さんは痛そうに足首を押さえている。


 俺はあちこち打ち身程度だが、家政婦さんの怪我が酷い。

 奥様は家政婦さんと俺を心配そうに見比べた。


「落ちた時に頭を打っているかも知れないし、二人とも病院で診てもらった方がいいですね……救急車をお呼びします」


「お願いします」


 店長が頭を下げる。

 楽しいはずのパーティの直前に怪我なんて……水を差してしまった。

 俺は情けなくも申し訳ない気持ちで項垂うなだれた。


「すみません、……」




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 救急車で病院に運ばれた俺と家政婦さんは、すぐに手当を受けることができた。


 やっぱりただの打ち身の俺は、あちこち湿布を貼られたが大したことはない。

 しかし、家政婦さんは頭に包帯を巻かれ、足首はなんと骨が折れていて、松葉杖をつくことになってしまった。


 病院の長椅子に二人並んで座り、会計を待つ。


「せっかくのイブなのに、大変なことになっちゃいましたね……」


「はい。……完治まで数ヶ月かかると言われましたから、これで私もあのお屋敷を辞めることができます」


 家政婦さんの声には、どこかホッとしたような安堵が混じっていて、仕事を失う残念さは全く感じられない。


「……お仕事、辞めたかったんですか?」


「家政婦の仕事は好きです。でも、あのお屋敷は……ちょっと」


 奥様も優しそうな人だったし、特別大変そうには見えなかったが……実際に勤めてみると色々あるのかも知れない。

 ムーンサイドだって、ただのカフェバーじゃないもんな……。


 俺は立ち上がり、すぐ横の自動販売機で「あったか~い」お茶を二つ買った。

 長椅子に戻り、一つを家政婦さんに渡す。


「ありがとうございます」


 俺たちは二人並んでゆっくりとお茶をすすった。

 ほっこりする……。

 家政婦さんは、ポツポツと話し出した。


「あのお屋敷では、使用人が次々怪我をするんです。特に家庭教師は一週間ももたないので、今は雇われていません」


「……え? それって、どういう……」


「命に関わるような大怪我をした人も少なくありません。私はこの程度で済んでマシな方なんです。……家政婦協会に連絡して、私はこのまま自宅に戻ります。もうあそこへ行くことはありません」


 俺は家政婦さんの話を聞きながら、店長とアレクのただならぬ様子を思い出していた。

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