男の子

「悪霊とか、そういうのがいるってことですか?」


「何かまでは、まだ分からないけど……」


 店長は探るようにぐるりと周囲を見回した。

 アレクも『何か』の気配を探るようにパーティルーム内をゆっくりと歩きまわる。


「それなら、祓わないと!」


 俺は何も感じることは出来ないが、『何か』の正体を探る手伝いができないか?

 考えていると小さなため息が聞こえ、振り返る。店長が呆れ顔で俺を見ていた。


「祓わないよ?」


「――…は?」


 頭の上に「?」をいっぱい浮かべた俺に、店長は一つ深呼吸してから口を開いた。


「何度も言ってるけど『祓い』は仕事だよ、ボランティアじゃない。依頼もなしに祓ったりしないよ。ただ、今日のパーティの間はとばっちりで被害に合わないよう気をつける……それだけ」


 相変わらずビジネスライクな店長の言葉に、俺は思わずアレクへと問いかけた。


「……アレクはそれでいいのか? 日曜礼拝に通ってきてくれるご夫婦なんだろ?」


「それは、そう……なんだが…………」


 歯切れが悪い。

 あぁ~、そうだった。

 前にもアレクの教会に通っている七瀬さんという女性の祓いをしたことがあった。

 あの時は七瀬さんからの依頼がなかったため、俺の提案でアレクからムーンサイドへの依頼という形になったんだ。そしてアレクは膨大な額の祓い料を支払うことになってしまった。


 世知辛い世の中だ……。


「せめて『何か』の正体だけでも――…っ?」


 食い下がろうとした時、視界の端でパーティルームの大きなドアが開き、俺は言葉を切った。

 ドアの向こうは玄関ホールのようだ。

 小さな男の子が、ひょこっと顔を覗かせた。


「何してるの? だれ?」


 この屋敷の子かな。幼稚園くらい……小学校には上がっていないだろう。

 見るからに「いいとこの坊ちゃん」といった感じだ。

 顔立ちはハーフっぽい。金色の髪はサラサラで癖もなく、くりくりの大きな瞳は綺麗なアイスブルー。そして、白い襟付きのシャツに紺のベストとズボン。


 お人形……いや、天使のように愛らしいその姿に、俺は思わず見惚れてしまった。

 ぽけ~っと男の子を見ている俺の横をすり抜け、店長がその子に近づく。

 膝をついて視線の高さを合わせた店長は優しく微笑んだ。


「パーティの料理係です。今日は美味しいデザートもたくさんご用意してありますよ、楽しみにしていて下さいね」


「ふぅ~ん……」


 男の子は説明を聞きながら、店長の肩越しに俺とアレクを交互に見た。

 目が合った俺は、ニッと笑って小さく手を振る。

 ちょっと不思議そうに何度か目を瞬かせた男の子は、くるりと背を向けてパーティルームを出て行ってしまった。


 膝をついていた店長は立ち上がり、さっきまでの柔らかい笑顔が嘘のように厳しい表情かおで厨房へのドアへと歩き出した。


「店長?」


「奥様の味見用に取り分けをしてくる」


 振り返ることなく、店長は厨房へと戻ってしまった。

 どう見ても様子がおかしい。


「アレク、どう思――…っ!? アレク? どうした?」


 男の子が出ていったドアを凝視したまま、アレクは青ざめ呆然と立ち尽くしている。


「アレク! 真っ青だぞ、気分でも悪いのか?」


 慌てて駆け寄り、服の袖を強く引くと、アレクはハッと我に返ったように俺を見た。


「都築……大丈夫だ、……すまない」


 いや、待て!!

 ぜんっぜん大丈夫じゃないだろ!!!!

 店長といいアレクといい、一体なんだっていうんだ!?


「さっきの子、この屋敷の子だよな? 日曜礼拝に来てるっていう……」


「あぁ、いや……礼拝に来ているのはご夫婦だけだ。あの子は来たことがない」


「そうなのか」


 家政婦さんもいるから一人で留守番ってわけでもないだろう。けれど、あんな小さい子……両親と一緒に出かけたがるもんじゃないだろうか。


「さっき話してた『何か』が、あの子に憑いてるのか?」


「そういうわけじゃ……、……いやしかし、……そうだな、あの子は――…」


 ずばり質問してみたが、アレクはどこか上の空で曖昧にしか答えない。

 その時、突然ピピッピピッピピッと電子音が響いた。

 アレクは慌ててポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。


「都築すまない、俺はそろそろ教会に戻る時間だ。パーティが終わる頃に片付けの手伝いでまた来る」


 アレクは苦々しい表情かおでスマホをしまい、厨房へのドアへと向かった。

 俺も慌てて追いかける。


 厨房では、店長が料理を一口サイズに取り分けて皿に並べていた。

 店長はアレクをチラリと一瞬だけ見て、作業を続ける。


「尾張、くれぐれも気をつけろ」


「分かってる、アレクこそ下手に動くなよ」


「あぁ……」


 今まで感じたことのないピリピリした空気に、俺は全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。

 またしても俺だけ「仲間外れ」状態だが、突っ込んで問いただせるような空気じゃない。


 勝手口から出ていくアレクの後ろ姿に、俺はモーレツな不安に駆られて思わず後を追った。


 車に乗り込もうとしたアレクは急に動きをとめ、何やら少し考えてから俺の目の前まで歩み寄って来る。


「アレク?」


「都築は大丈夫だと思う、が……何があるか分からない。いいか? 今日はパトラッシュにハウスさせるな、ずっと自由にさせておくんだ。いいな?」


 俺の顔を覗き込み、真剣な眼差しで言い聞かせるアレク……俺はただ頷くことしかできなかった。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 アレクの車を見送り、厨房へ戻ると綺麗な女性が店長と話していた。

 華やかな赤いワンピースに金髪とアイスブルーの瞳。

 さっきの男の子の母親だと一目で分かる。奥様なのだろう。


 さきほど店長が取り分けていた皿から少しずつ料理を口に運び、満足そうに微笑んでいる。

 明らかに日本人ではないが、流暢りゅうちょうな日本語から長期滞在なのが分かった。


「このローストビーフに使われているソース、とても美味しいわ……ソースの販売はしてらっしゃらないの?」


「ありがとうございます。あいにくソースのみの販売は承っていません」


「そう……残念ね。あら、このオードブル見た目も可愛いし味もなかなか……」


 店長の料理はどれも好評のようだ。


「パーティは十二時から始まるので、五分前には料理のセッティングを終えて下さる?」


「かしこまりました」


「あぁ、そうそう……玄関ホールを挟んで向かいの部屋がサンルームになっています。もう何人かのお客様がいらしててシャンパンはお出ししているのだけど、そちらのプティフールも運んでいただけるかしら?」


 奥様は大皿に並ぶ色とりどりのミニデザートを指さした。


「はい」


「それでは、よろしくお願いしますね」


 奥様は店長と俺に微笑み、満足気に厨房を出て行った。

 店長はすぐに数種類のプティフールを選んで皿に並べなおし、厨房の端に置いてあったワゴンにセッティングする。


「都築くん、サンルームの方を頼めるかな? 僕はパーティルームの方に料理を並べ始めるから」


「分かりました」


 お客様に失礼があってはならない。

 まだ店長とアレクが話していた『何か』が気になってはいるが、俺は何とか気持ちを切り替える。「よし!」と気合を入れてワゴンを押し、厨房を後にした。


 サンルームはすぐに分かった。

 両開きのドアの片方が開かれていて、中から楽しそうな人の声が聞こえている。


「失礼します」


 なるべく明るい声で挨拶し、俺はサンルームにワゴンを運び込んだ。


「まぁ、美味しそう!」


「なんて綺麗なプティフール、食べるのがもったいないわね」


 そこに居たのは着飾った男女と子供達……合わせて十人くらいだろうか。

 ワゴンの上に並ぶデザートに歓声が上がる。

 一口サイズの美しいそれらは、ムーンサイドでランチプレートにつけているミニデザートの豪華版といったところだ。


 子供達や女性陣がワゴンを取り囲み、俺は頼まれるまま取り皿にデザートをのせて渡していく。


「どれも美味しそうで迷っちゃうわ……」


「それなら、フランボワーズソースのレアチーズケーキがおすすめです、これうちの一番人気なんですよ!」


「じゃあ、それをお願い。その隣のミルクレープも欲しいわ」


「はい! ……どうぞ!」


 俺は愛想よく笑顔で次々と取り分けていたが、ふと気づいた。

 子供達の中に、さっきの男の子がいない。


 何人も友達が来てたら、普通は一緒に遊びたくなるものじゃないか?

 俺は不思議に思いながらもデザートを配り終え、店長の手伝いをしようとサンルームを出たところで、男の子が廊下に立っているのが目に入った。


「……あ、さっきの」


 男の子は俺と目が合うと軽く首を傾げ、ちょいちょいっと手招きした。


「ん? なに?」

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