真実

「何なんだっ!? いったい、どうなってる……っ、……」


 アレクの声。


「分かりません。もうこの部屋には何も……祓うべきものはいません」


 十和子さんの声。


「これ以上、何をすればいいのか……分からない」


 店長の声。


 目を開くことも指一本動かすこともできないが、憔悴しょうすいしきった皆の声だけは聞こえる。

 うっすらと戻って来た意識は混濁したまま、唯一の救いはもう痛みすら感じないということだろうか。


「もうすぐ夜が明けちゃうわ。一晩かけて全部祓ったっていうのに、都築くんは……」


 千代ちゃんまで徹夜で手伝ってくれたのか……。

 皆が俺を救うために手を尽くして一生懸命やってくれたのは分かってる。


 ありがとう、皆――…。

 アレク、一緒に胡月堂の饅頭まんじゅう食べられなくて……ごめん。




「ね、ちょっと待って」


 千代ちゃんの声が急に大きくなった。


「都築くんって、本当に『障り』で具合悪いの?」


 ん? んん???


「普通に病気とかじゃなく?」


「!!!!」


「救急車を呼びますっ!」


 俺の頭の中を埋め尽くす「?」を押しのけるように、十和子さんの声が響いた。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




「どうしてこんなに酷くなるまで我慢したんですか? もの凄く痛かったでしょう?」


「はい」


「大抵の人は、こんなに酷くなる前に救急で来るもんですけどね……」


「……はい」


 急性虫垂炎――…。

 病室で点滴に繋がれた俺は、主治医のお説教に返す言葉もなかった。


 救急車で運ばれた俺は急性虫垂炎の診断を受け、そのまま手術室へ直行した。

 つまり、「障り」でも「呪い」でも「祟り」でもなかったわけだ。


 主治医が出て行った病室は静まり返る。


 店長はさっきからずっと窓際に立ち、雲を眺めている。

 十和子さんは少々気まずそうに見舞客用の椅子に座っていた。

 千代ちゃんは壁の方を向いて立っているが、肩が震えてることから笑いをこらえているのが丸分かりだ。


 勢いよくドアが開き、アレクが入って来た。


「都築、買って来たぞ! 胡月堂の饅頭!」


 アレクは「胡月堂」と印刷された大きな紙袋を抱え、満面の笑顔でベッドへ近づいて来る。

 紙袋から饅頭を一つ取り出し、アレクは嬉しそうに俺に差し出した。


「ただの病気で、ほんっとーに良かったな! 一時はどうなる事かと心配したぞ」


 無邪気なアレクの笑顔――…やさぐれた俺には眩し過ぎる。


「っぷ――…っ、……くくくっ、……あはははっ!」


 とうとう千代ちゃんの限界がきたようだ。

 壁に手をつき、ひーひー泣きながら笑っている。


 十和子さんがとっても言いにくそうにアレクに声をかけた。


「アレクさん、術後しばらくは消化の良いものしか食べられないんですよ。さすがにお饅頭は、ちょっと……」


「えっ!? そうなのか?」


 アレクは驚いたように俺と十和子さんを見比べた。

 俺は、その通りだと頷く。


「ありがとう、アレク。気持ちだけ受け取っとくよ」


 窓の外を眺めていた店長がくるりと振り向く。


「それじゃ、アレクが買ってきた饅頭は僕たちでいただこうか」


 笑い過ぎて出た涙を拭いながら千代ちゃんもベッドへ近づいて来る。


「そうね、傷んだら勿体ないし」


 積極的に俺の心を抉ってくる店長と千代ちゃんの姿勢、どうにかならないだろうか。

 それはもう美味そうに胡月堂の饅頭を頬張る四人を、俺はベッドに横になったまま、修行僧のような気持ちで眺めていた。


「そうだ、アレク。七瀬さんはどうなった? 体調良くなったのか?」


「あぁ、もちろんだ。彼女は間違いなく人形から悪い影響を受けていたからな。ここに来る前に七瀬さんの家に寄ってきた。出来上がった人形展のチラシを渡したんだが、すっかり以前の彼女に戻っていた。もう大丈夫だと思う」


「そっか……良かった」


「でも、都築くん一週間は入院なんでしょ? ウェイターなしでお店の方はどうするの?」


 千代ちゃんは二つ目の饅頭に手を伸ばしながら店長に問いかけた。


「あぁ、それは大丈夫。『七瀬コレクション人形展』が終わるまで、一週間は営業休止だから」


 人形展は本当にやるんだな……。


 ベッドを囲み、もぐもぐ饅頭を食べる四人を、俺は改めて見回した。たとえ間違いだったとしても、この人たちは俺を救おうと必死で頑張ってくれたんだ。


 それはしっかりと感じたし、本当にありがたく思う。


「あの……、……えっと、俺のために色々とありがとうございました」


 ちょっと照れくさいが、俺は改めて感謝を口にした。

 四人の笑顔に俺は思わず涙ぐんだ。


 本当に、生きてて良かった――…!!




「あ、そうそう! 忘れるとこだった」


 店長がポケットから二枚の紙を取り出し、一枚をアレクに、もう一枚を俺に差し出す。


「……これは?」


「今回の祓いの請求書だよ。都築くんの提案でアレクが依頼したよね? だから『二人からの依頼』として、折半という形で請求書を発行させてもらった」


「…………いや、ちょ……あの、この額……」


 俺は自分の目を疑った。

 思わず「0」の数を確かめる。

 前に大学の旧校舎で一ノ瀬たちを助けてもらった時とは桁違いの額だ。

 慌てて明細部分に目を通す。


 基本相談料の他、人形展開催費として運搬業者への支払いや人形にかけた保険、そして貸出に対する七瀬さんへの謝礼、さらには祓いの時に壊してしまった人形の補修費用まで……ん? んん? 待て、まて! マテ!! 祓い料が人形三十体分……だと!?


 アレクと折半ってことは、本当はこの倍の金額ってことだよな。

 見れば、アレクは請求書を見つめたまま青ざめ、固まってしまっている。


「いや~、ご本人からの依頼じゃないと、こういう『人形展開催』みたいな誤魔化し費用が余計にかかっちゃうから大変だよね」


 楽しそうに説明する店長……俺とアレクは全然楽しくない。

 最初に店長が言っていた「本人からの依頼や相談でないと難しい」というのはそういう意味もあるのか。

 しかし俺は旧校舎の時の支払いすらまだ終わっていない。

 毎月バイト代からの天引きでこのままコツコツ支払い続けたとして……あぁ、もう絶望で計算もできない……いったい何年かかるんだ!?


「す、すまない……都築。俺は自分の分だけで精一杯……お前の分までは、とても……」


 カクカク震えているアレクに、俺は涙ぐんだ。


「いいんだアレク、気にしないでくれ……」


「あ、都築くんの分はちゃんと社員割引の7割にしてあるけど、うちを辞めたらその時点で通常料金に戻させてもらうから、そのつもりで」


「…――は???」


 つまり、この支払いが終わるまで俺はムーンサイドを辞められ……ない!?


 夢だった映画関係の仕事も、橘家に勤めてあいつの力になってやることも、俺の選択肢は……消え……っ、……。

 いや、諦めるな! 俺!! 人生は長いんだ!!

 別に新卒で入る必要なんかない!

 何年かけてでも支払いを済ませてから、映画関係の仕事でも橘の手伝いでも好きに生きればいいじゃないか……!!


 アレクが相談しに来たあの時――…「アレクがうちへ依頼すればいい」なんて、思いつくまま口にしてしまった事を今さら後悔しても仕方ない。


 笑顔で「都築くん頭いいね」と言った店長――…。

 こうなる事は、きっとあの時から決まってたんだ。


 こうして、俺の短い就職活動は呆気なく幕を下ろしたのだった。

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