京都編

幕間 京都編 前日譚

「京都のお土産、おたべと千寿せんべいどっちがいいですか?」


 俺はカウンターに京都の観光ガイドとゼミ旅行の「旅のしおり」を拡げ、上機嫌で店長に訊ねた。

 今はバータイムの営業中だが客はゼロ。相変わらず夜はほとんど客が来ない。

 店長はグラスを磨きながら軽く首を傾げる。


「そうだなぁ、食べ物はいいから護符を買ってきてくれると嬉しいかも」


「護符?」


「京都に晴明神社というのがあるんだ。五芒星の入った護符の『お徳用五十枚綴り』っていうのを売ってるから、それを頼むよ」


 それって『お土産』じゃなく『仕入れ』なのでは……?


「いつもはネット通販で買ってるんだけど、現地で買ったら五芒星キーホルダーとか、五芒星ステッカーとかおまけでつけてくれるらしいよ」


「そのおまけ、本気で欲しいんですか?」


 まったく、店長はどこまで冗談なのか本気なのか分からない。

 星のステッカーがこのオサレカフェバーの壁に貼られてるのを想像して、俺は悲しくなった。でも一応晴明神社の場所だけは調べておこうと、観光ガイドをパラパラめくる。

 載ってない、まぁそうだよな。


「晴明神社の晴明って、陰陽師の安倍晴明ですよね? 映画で観ました」


「そうだよ。晴明といえば五芒星、シンボルマークみたいなもんだね。だから晴明神社のものにはほとんど五芒星が使われてるんだ」


 店長は磨き終わったグラスを棚に戻す。


「そういえば、アレクの聖書の裏表紙にも星の刻印がしてありました」


 除霊の手伝いの時にちらっと見えただけだが、星のマークを可愛いと思ったのを覚えている。


「あぁ、アレクのは六芒星だよ」


「六芒星?」


「角の数が違うんだ、ほら……こんな風に」


 店長はペンを手に取り、観光ガイドのページの端に二つの星を描いた。見比べれば一目瞭然。でも、どっちも除霊に使われてるよな。


「五芒星と六芒星って、どう違うんですか?」


「どちらも魔除けとして使われるけど意味は全く違う。そうだな……まず、五芒星について説明しようか。陰陽道で使われる五芒星はそれぞれの角を木火土金水ぼっかどごんすいって万物を構成する五つの元素に当てはめているんだ。安倍晴明は中国から伝わった五行思想を発展させて、呪術や魔除けのための『陰陽道』という技術として体系化した。その時に五行思想を表すものとして五芒星を使ったんだよ」


 安倍晴明って、物の怪や悪霊と戦うアクション系のイメージだったけど、店長の説明によると研究者っぽいな。

 店長は冷凍庫から氷を取り出し、アイスピックや専用の包丁を使って角を削りだした。俺はこの作業を見るのが大好きだ。


「西洋でも五芒星って使われてますよね?」


「うん、使われてるよ。例えば、古代バビロニアでは木星・火星・土星・金星・水星の五つの惑星を表すものだったらしい。それから、古代エジプトでは子宮を意味していたと聞いたことがある」


 店長の手の中で氷はみるみる綺麗な球体になってゆく。

 氷を削り、少し濡らして磨く……まるで魔法で精錬でもしているかのように、氷は透明度を増し美しい完全な球体へと近づく。

 間接照明の光が透明な氷を美しく輝かせ、俺は見惚れてしまいそうになる。


「六芒星にもそれぞれの角に意味があるんですか?」


「んー、六芒星は角というより上下二つの三角形が重なって形作られている、ってとこがポイントだね。上向きの三角形は物質から霊への上昇、下向きの三角形は霊から物質への下降を表しているんだ。人でいえば、物質は肉体で霊は魂。その二つの調和を表しているんだよ。六芒星は『調和』と『完全』のシンボルとして使われているんだ」


 ロックグラスを取り出した店長は、出来上がったばかりの氷を入れてウィスキーを注ぐ。

 ご自分用でしたか……。

 店長がコップを手に取ると琥珀色の液体が氷の表面を舐めるように揺れた。


「どちらを使うかは流派や宗派によって決まってしまっているけど、どちらも古代から魔除けとして使われてきたんだし、僕としては相性のいい方を使えばいいと思ってる」


 相性を持ち出すとは……ちょっと天才肌だな、店長。

 俺は店長がよく使っている護符を思い出す。今まで五芒星しか見たことない。


「なるほど、店長は五芒星が相性いいってことなんですね」


 店長はウィスキーを喉へ流し込んで小さく吐息を漏らした。


「一番相性がいいのは、アレイスター・クロウリー先生の六芒星。二つの三角形で作られたタイプじゃないけど、空中に一筆書きできる優れものだ」


 初めて聞く名前だ。

 店長が「先生」と敬称をつけるなんて、いったい何者なんだろう。安倍晴明ですら呼び捨てにしてたのに……。

 しかし、俺にはもっと気になることがある。


「どうして一番相性がいいのを使わないんですか?」


 店長は軽く首を傾げ、悪戯っぽく微笑んだ。


「ひみつ」


 俺はそれ以上踏み込んで質問することができなくなってしまった。

 自分でもよく分からないが、何故か店長の笑顔を「怖い」と思ってしまったのだ。


 ドアが開き、客が入って来た。


「いらっしゃいませ!」


 俺はどこかホッとしている自分に驚きながら、カウンターに拡げていた観光ガイドと旅のしおりを片づけた。

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