カフェバー「ムーンサイド」~祓い屋アシスタント奮闘記~

みつなつ

お仕事編

はじめてのお祓い

「ありがとうございましたーっ!」


 ランチタイム最後の客は、隣のオフィスビルで働く常連の事務員さん達。俺はマニュアル通りの笑顔で見送り、きれいに空になった食器をまとめてトレイにのせ、カウンターへと運ぶ。


 今日のランチ営業も大盛況で大忙しだった。人気メニューの10食限定ふわとろオムライスはあっという間に消え、店長自慢のタラコクリームパスタも、こだわりのスパイシーカレーも、とにかくあれもこれも売り切れだ。


 小さな店ということもあり、店長がカウンター奥の厨房で料理を作り、フロアスタッフは俺一人。大変だが、その分やりがいもあるし時給もいい。食器をトレイごとカウンターに置くと、店長が笑顔で流し台へと運んでゆく。


「お疲れ様。フロアの片づけは後でいいから、先にお昼食べちゃって」


「はーい! 今日のまかない、何ですか?」


 料理上手な店長のまかないは、このバイト最大の楽しみだ。このカフェのメニューにはない家庭的な料理を出してくれる。大学のために田舎から出て来て一人暮らしの俺への気遣いを感じ、店長の優しさにいつも感謝している。

 わくわくとカウンターの椅子に腰かけた俺の目の前に置かれたのは……


「親子丼! うっまそ~っ! いただきまーっす!!」


 甘い出汁の香りが鼻をくすぐる。ふわふわとろとろの半熟卵とプリップリの鶏肉……ランチ営業の疲れが一気に吹き飛んだ。俺はさっそく箸を構え、ガツガツと食べ始める。店長が俺専用の湯呑に緑茶を淹れてきて、カウンターに置いてくれた。あんた、ほんといい嫁さんになるよ……と余計なひと言が出そうになって、ごっくんと鶏肉を呑み込む。


「どうしたの?」


「い、いえ! これ、すっごく美味いです!」


「それは良かった」


 店長の笑顔は本当に綺麗だ……といっても、店長は女性ではない。髪も肌も色素の薄そうな中性的な雰囲気と、それをひき立てる穏やかな笑顔と上品で柔らかい物腰。

 ランチタイムに訪れる女性客の9割が店長目当てだろうと俺はふんでいる。それに比べ、特別ブサイクでもなければ、目を引くようなイケメンでもない俺の顔面偏差値は中の中……どこにでもいそうな誰の記憶にも残らない地味男。「人間見た目より中味が大事!」ってばぁちゃんの言葉が俺の心の支えだった。


都築つづきくん、大学の方はどう? 夏休みの課題とかあるの?」


「俺、サークル入ってないから夏休み中は大学行く必要もないし、がっつりバイト入れます! 課題もサクッと終わらせたんで!」


「それは助かる! にしても、都築くん真面目だねぇ……毎日バイト入ってくれるのは助かるけど、友達と遊びに行ったりしないの?」


 店長の言葉に、俺は軽く首を振った。


「特別真面目ってわけじゃないです。奨学金もらってるとはいえ、家賃や食費は稼がないといけないし……遊びに行くヒマがあるなら働いて稼ぎます!」


「たいしたもんだ……」


 俺の言葉に店長はちょっぴり感心したように微笑んだ。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 カフェバー「ムーンサイド」は、昼はランチのみで夜はバーとして営業している。ランチタイムが終わった後は掃除をし、店内の装飾も少し変更することになっていた。癒し系観葉植物とムーディな間接照明を交換し、テーブルや席数も減らしてゆったりと落ち着いた空間に模様替えする。

 俺がテキパキ作業している横で、店長はランチの売上を帳簿につけていた。


「店ん中はこれでよし!っと……じゃあ俺、店の外を軽く掃いてきます」


「うん、頼むよ」


 俺はホウキとチリトリを手に外へ出た。夜の営業が始まれば俺の仕事はほとんどなくなる。そもそも客じたいが少ない上、そのほとんどがカウンターで酒とつまみを注文するだけなのだ。正直バーテンダーの店長一人でも充分切り盛りできそうだった。ウェイターの俺は、つまみのチーズを皿に並べるくらいしかやる事がない。

 そんな楽チン仕事だというのに、夕飯のまかないまでついている! ほんっとにいいバイト見つけたよなぁ……と、幸せを噛み締めつつ店の入り口付近を掃いていた。


 ふいに一人の男性が目の前に立つ。ピシッと上等そうなスーツを着こなした中年男性……常連客の顔は全て頭に入っている。初めて見る顔だった。


「すみません、こちらムーンサイドですよね?」


「あ、はい! いらっしゃいませ! って、夜の営業時間はまだ――…」


「あぁ、いえ……店長さんとお約束してありまして……この時間に、と」


「えっ? そうなんですか? 失礼しましたっ! 中へどうぞ!」


 俺は慌ててドアを開き、男性を中へ通す。軽く会釈して入っていく男性の後に続き、俺も店内へと戻った。


「店長、お客さんですよ~! お約束してあるとか」


「おっと、もうこんな時間か……」


 カウンターに拡げていた帳簿をパタンと閉じ、店長は椅子から立ち上がって男性を笑顔で迎える。こんな風に営業時間外に特別な客が来るのは初めてではない。客層は老若男女様々だが、みんな奥の特別室へと案内されてゆく。


「こちらへどうぞ……」


 今回も店長は男性を奥の部屋へと促した。

 その部屋は俺にとっては「開かずの間」だ。掃除しようにも必要ないと言われるし、普段はしっかりと鍵がかかっている。中がどうなっているのか見たこともなかった。しかし俺は空気が読める大人だ。興味本位で強引に中の様子を覗いたりはしない。


 特別客がその部屋に滞在するのはだいたい2時間前後。どの客も満足そうに帰ってゆく。そして、その後店長はどこか疲れた様子で、ひどい時には夜の営業を臨時休業にしてしまうこともあった。


 俺は察していた。


 その部屋の中で行われているのは……ずばり! 店長のいかがわしい副業に違いない! あんなに中性的な美人なのだ、客が老若男女というのも頷ける。俺は今まさに特別室の中で繰り広げられている光景を想像してしまいそうになり、思いっきり頭をブンブン振ってピンク色の妄想を振り払う。


「さーて! 掃除だ、掃除!!」


 店の裏通りに出してある空き瓶の整理をしておこうと、厨房から外へと出られる勝手口へ向かう。ドアを開こうとした瞬間――…


 ガッシャ――――――ッン!!


「――…っ!?」

 

 何かが壊れるような、もの凄い音が響き渡った。俺は特別室へと走り出す。


「店長っ! 店長!? 大丈夫ですかっ!? 店長っ!!」


 ドンドンドン! とドアを叩く。中から先ほどの男性の悲鳴のような声が漏れ聞こえ、俺はとうとうドアノブに手をかけた。


 …――ガチャッ


 鍵はかかっていなかった。ドアを開いた俺の目に映ったのは、想像していた色っぽい空間なんかじゃなかった。窓一つないその部屋には映画か何かで見た大きな儀式用の祭壇のようなものがあり、あちこちに謎の祭具のようなものが飾ってある。


 さきほどは立派な紳士然としていた中年男性は、部屋の隅っこで壁にへばりつくようにしてガクブル震え、怯えた表情をしていた。大丈夫か? オッサン……そして、店長は……


「あなたの思い通りにはさせませんっ!」


 部屋の中央に据え付けられた台座の上に、うやうやしくのせられた小さな光るもの……店長は指輪にむかって叫びつつ、なにやら印のようなものを結んでいる。

 もの凄く切迫した雰囲気……なんだ、これ?

 初めて見る店長の気迫……なんで指輪に怒鳴りつけてるんだ? なんかのお芝居の練習でもしてるのか? とてもじゃないが話しかけられるような雰囲気じゃない店長を横目に、俺はオッサンの方へと近づいた。腰を抜かしてるようだ。


「あの……大丈夫ですか? てか、今ってどういう状況……」


「君には見えないのかっ!?」


 青ざめたオッサンが指差す方へ目を向けると、店長が小さな指輪に何か叫び続けている……聞いたことのない呪文のような言葉だ。何をしているのか、見えてはいるが理解はできない。


「指輪の上に真っ黒い影のようなものがいるじゃないかっ! ほらっ! 今、御祓いの真っ最中だから近寄ると危ない! 取り憑かれるぞっ!!」


 真っ黒い影? 御祓い? 取り憑かれる???

 パズルのピースがハマるように、それぞれの単語が頭の中で一つの答えを形作ってゆく。俺は、ポン! と手を叩いた。なるほど、これは除霊だ!! 店長は霊能力者だか陰陽師だかエクソシストだか霊幻道士だか知らないが、とにかく御祓いをする人なんだ! きっとこのオッサンにも怖い霊が見えてるんだろう、しかし……


「すんません……俺、霊感ゼロで……、そーゆーの全く見えないし、感じないんですよね~」


 ははは……と笑いつつ頭を掻く。

 怯えまくるオッサン、必死で指輪と対峙する店長、そしてノーテンキに笑う俺……なんだ、この地獄絵図は……。


「危ない! 都築くん避けてっ!」


 店長の鬼気迫る声で俺は振り向く。俺の横でオッサンが「ひっ」と短く叫んで伏せたのは分かったが、全く何も見えない俺には「何を」「どう」避ければいいのか分からない。

 全く体勢を変えなかった俺は、もちろん避けられなかった。


 だが……特に、何も起こらない。


「えーっと……」


 どうしよう、どう反応したらいいんだ……?


「あの攻撃を受けて……なんとも、ないんですか?」


 店長は目を見開いて驚愕の表情を浮かべ、オッサンは失神寸前でもう目の焦点が合っていない。


「いや~、俺マジ霊感とかなくて鈍感で……は、ははは、何かホントすんません」


 霊感がないことをこんなに申し訳なく思ったのは初めてだ。俺にこれといった被害がないのが分かると、店長はすぐに指輪へと向き直り、手を伸ばそうとする。


「…――くっ、早く指輪を……祭壇へ……っ、……」


 なんだろう……店長はあれ以上指輪に近づくことも難しいのだろうか、震える手をなんとか伸ばしているが、距離的にどう見ても掴めそうにない。

 お手伝いした方が良いかも知れない……。

 俺はスタスタと歩き出し、店長の横を通って台座の上の指輪をヒョイッと摘まみ上げる。


「えーっと、これ、祭壇とこに持ってったらいいですか?」


「つ、都築くんっ!? そんな……君はそれを触れるのか? 触ってなんともないのかっ!?」


 俺は指輪をまじまじ見つめる。店長とオッサンにはどう見えてるのか分からないが、俺からすれば何の変哲もないただの指輪だ。キラリと光る指輪を摘まんだまま、俺は祭壇の前へと移動した。


「都築くん! そこにある紙で指輪を包んで封筒に入れてくださいっ!」


 祭壇には店長の言葉通り、何やら呪文のようなものが書かれた紙と小さな封筒が置いてあった。俺は紙の真ん中に指輪を置くと、適当に包んで封筒へと押し込む。

 ふと見ると、床には占い師の定番アイテムである水晶玉のようなものが割れ散らばっていた。さっきのすごい音はこれか……掃除大変そう……なんて考えていると、店長の声が続く。


「封筒をきちんと閉じて『かん』と封字を入れてください」


 見れば、横に書道セットまで置いてある。封字って確か、あれだな……手紙送る時に封筒閉じたとこに書く「〆」とか「締」ってやつだ。書道は苦手だが、店長もさすがに字の上手下手にはこだわるまい。俺は筆を手に取り、なるべく丁寧に『緘』と書いた。


「これでいいですか?」


 書き終えた封筒を見せようと振り向く。店長は脱力して床に座り込んでいた。


「えっ!? 店長、大丈夫ですかっ!?」


「……はい、なんとか封印に成功しました。都築くん、ありがとう」


 店長の声から緊張感は消え、ホッとしたような表情から脅威が去ったのを感じさせる。何がなんだかよく分からないが、とにかく俺は超凶悪な悪霊を封印した……ようだった。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




「祓うことはできず封印だけとなってしまい、……力不足で申し訳ありません」


 バーカウンターで急須から湯呑へ茶を注いだ店長は、申し訳なさそうに謝りつつオッサンの前に湯呑を差し出した。失神から立ち直り、恐怖からも解放されたオッサンは、ダンディ紳士に戻っていた。しかし湯呑を持つオッサンの手はまだ少し震えており、さきほどのショックから完全には抜け出せていないのが分かる。


「封印して下さっただけでも、ありがたい。……本当に助かりました」


「あの指輪はこちらできちんと処分しておきますので、ご安心ください」


 店長の言葉にオッサンは改めて頭を下げた。

 茶を飲み終わり、落ち着いた様子のオッサンは何度も礼を言いつつ帰って行った。オッサンを見送ると、店長はバーの奥に位置するソファセットへ向かい、ドサッと体を投げ出す。少し辛そうにシャツの胸元を緩めた。かなりお疲れのようだ。


「今夜は臨時休業にしますか?」


「……うん」


 俺はオッサンが飲み終わった湯呑を厨房へ持っていき、洗って片づける。店内へ戻ると店長はソファに体を預けたまま、ぼんやりと天井を眺めていた。薄暗い照明のせいか、顔色も悪く見える。

 俺は遠慮がちに近づいて声をかけた。


「大丈夫ですか?」


「……うん、都築くん、君すごいね……さっきは助かったよ、ありがとう」


「えっ? いえ、そんな……お役に立てたなら良かったけど、俺は見えないし感じないだけで別にすごいってわけじゃ……」


「うぅん、すごいよ……人はね、誰でも多かれ少なかれ霊感がある。強い霊だと、どんなに霊感が弱い人でも何か感じて影響を受けてしまう。でも、君は……本当に、霊感が全くないんだね。そんな人、初めて見たよ。本当にすごい……霊の影響をいっさい受けない人間がいるなんて、驚いた」


「……は、ははははは」


 なんだろう、これ……俺は褒められているんだろうか。


「霊感がないって、一種の才能なのかも知れないね……都築くん、僕の副業手伝わない?」


「えっ!? な、なに言ってるんですかっ! 悪霊退治なんて無理無理無理っ! できませんっ!」


 俺は慌てて拒否したが、店長はソファから体を起こし真っ直ぐに俺の瞳を見つめてくる。


「時給、倍にするから……!」


「ば、倍っ!?」


 店長が、金にモノを言わせる汚い大人だったなんて――…!

 金に目が眩んだ俺は、気が付けば店長の言葉に頷いてしまっていた。


 こうして、霊能力どころか霊感すら全くゼロの俺は、祓い屋「ムーンサイド」のアシスタントとして働くことになったのだった。

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