2

 僕はいったいどこに行こうとしていたのだろう。


 逃げるアテなんてどこにもなかった。そもそも、自分が何から逃げているのかもわからなかった。


 ミナトの家を出てすぐに立ち尽くす。道路のすぐ右手には海壁があり、その先に海岸線が開けていた。見渡す限りの海だ。島影と言ったら、近場に浮かぶいくつかの無人島を数えるばかり。


 この島は孤立している。かつては、他の島との間で連絡船が行き来していたようだけど、それももうずいぶんむかしのことだ。


 魔臼が船で渡ってくるのを恐れたのだ、と島の老人たちは言う。自分たちは見捨てられた。魔臼とともに閉じ込められたのだと。なるほど。薄情な話だと思う。けれど、どうだろう。老人たちによれば、島の外には飢餓と戦争しかないという話だ。そんな恐ろしい世界と縁が切れるなら、むしろ喜ぶべきことなんじゃないかな。


 いずれにせよ、これだけは決まってる。僕らは海の虜囚だ。どれだけ逃げたって、この島を出られはしない。


 家に帰ろう。


 僕が坂道を引き返そうとすると、ミナトの家の方から誰かが出てきた。学校の制服を着ている。短く切りそろえた髪。遠目からでもミオだとわかった。目が合った瞬間、ミオは叫んだ。


「待って!」


 僕は反射的に走り出していた。


「待ってってば」


 そう言われると、余計に逃げたくなるのが不思議だ。さっきまでは何から逃げていたのかもわからなかったのに、いまはただミオを振り切ることしか考えられなかった。むかしはよく鬼ごっこをして遊んだから、その習い性かもしれない。


 山に向かって走った。やがて、石畳の道が途切れ、登山道に入る。視界いっぱいに木々が広がった。頭上から蝉しぐれのシャワーが降り注いでくる。


 次第にミオの息が切れてきた。鬼ごっこはいつも僕の勝ちだった。僕はどこにだって逃げられる。なのに、どういうわけかそれを実行に移そうという気になったことは一度もなかった。


 僕は疲れたふりをして、すぐそばの樹に手をついて足を止めた。深呼吸を繰り返しながら、ミオの方をちらとうかがう。すると、走ってるんだか歩いてるんだかわからないスピードでミオがゆっくりと近づいてきた。


 ミオは、鬼ごっこの最後はいつもそうするように僕の体にぶつかりながら言った。


「つかまえた」「つかまった」


 ミオは僕の腰に腕を回すようにしながら、息遣いを整えていた。


「馬鹿。なんで急に飛び出したの」


「少し頭を冷やしたくなったんだ」


「外の方が暑いのに」


「あはは。たしかにそうだね」


「ホント馬鹿だよ。リク君。こんなときに一人になるなんて」ミオは腕に力を込めた。「リク君まで魔臼に襲われたらどうするの」


「僕は大丈夫だよ」僕は苦笑した。「それよりそうされてると暑いんだけど」


 ミオは反応しなかった。


「ミオ?」


「離しません」ミオは言った。「リク君がまた逃げ出したら困るもん」


「あのねえ」


「三七日」ミオは言った。「三七日分、わたしの方がお姉さんなんだから」


 だから何、と訊いてはいけない。たった三七日の差とは言え、ミオはお姉さんなのだ。その意には従わなくてはならない。


 やれやれ。もう少しだけ我慢だ。

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