黒い翼の天使 2/2
魔獣の発生源だと、そう予想した強大な魔術エネルギー目指して、雨の中を歩いていた。
進むほどに街並みは背丈を増し、その影は雨と合間って薄暗さを増してくる。
――そう言えば、領主の屋敷もこの方向だ。
街には三階建、四階建の建物が並び、それが真っ直ぐに整列し、通路の左右にそびえている。
平時なら賑やかな住宅街なのだろうが、今は人の気配を感じることはできない。
黒い大犬たちが彷徨う姿だけが、時々ちらほらと見えていた……。
街の人間たちは、どうしているのだろう?
魔獣に襲われたというよりは、逃げ出したという感じがする。
領主のバティスタは異形の魔徒と組みしたらしいが、住人たちはバティスタに従っているのだろうか……?
目指し、感じている魔術エネルギーは強大すぎて、目に見ようとすれば夜のように真っ暗で、俺の視界を奪ってくる。
遠くにいる誰かを感じることは、今は難しい状況だ。
高い建物に囲まれた暗い道、どこに何が潜むかもわからないその道をゆく……。
俺は、見知らぬ森にでも迷い込んだ気分になっていた。
そんな通路の真ん中で……
見つける。――そいつは静かに佇んでいた。
広がる水溜まりの中、土砂降りの雨さえも気にしない様子で、長い黒髪を垂らした男が一人、ぼーっと雨空を見上げていた。
男とわかったのは、上半身が裸だったから……
それにその顔や胸元は白く、暗い中でもよく見えて、若く美しいと感じられたからだ。
――だけど、それは人間では無い。
肩から下と下半身にはカラスのような黒い羽根を纏っている。
異形の魔徒……?
疑問を感じたのは、そいつから放た放たれる魔獣エネルギーの強大さと、見たことの無い光景のせい。
男は力無くだらんと腕を……黒い翼を地面の水溜まりに垂らし、びっしょりと浸している。
――それは、本当に水溜まりか?
広がる水溜まりはその黒羽根が溶け出したように黒く染まり、強大な魔術エネルギーが溢れている。
そして、その黒い水から水辺に上がるかのように、黒い魔獣が生まれていた!
そう……、認識したタイミングで、そいつは美丈夫なその顔を、ゆっくりとこちらに向けてきた。
「あ、人間だよね、お兄さん?
だ〜れも来ないから、暇だったんだ!」
少年のような声で、そいつはあっけらかんと話しかけてきたのだ。
――俺は、ナイフを抜いて身構える。
「無駄だよ、お兄さん。ぼくはね、神具って武器じゃないと倒せないんだよ!」
そう言って笑ったそいつは、黒い翼の片腕を水から出して横に振り切った!
――黒い羽根!
二十歩分ほどの長さはある黒い翼がまっすぐに振り切られる!
俺はジャンプでそれをかわす!――かわさなければ、死んでいた!
その翼が通った空間、そこが全て切り裂かれる!――屋敷の壁はえぐれている……。
そこらにいた大犬の魔獣は真っ二つにされて、倒れて水たまりにその血を滲ませていた。
今度は縦に……!
振り切られたのは反対の腕だ!
一直線に黒羽根の塊が通路を通過し、その地面をえぐって傷を入れる!――桁違いの威力!
当たれば即死の攻撃に、俺は冷や汗をかいてしまう。
「ぼくの攻撃すごいでしょ!
ねえ、当たって死んじゃいなよ!」
横薙ぎ、縦薙ぎ。
黒い翼による攻撃を、俺は地面や屋敷の壁を利用して跳び、かわしながら距離を詰める。
「お兄さん、避けるの上手だね。
でも、逃げてばっかじゃつまんないよ。」
それでも、そいつは腕をただ振り続ける。
俺に間合いに入られているというのに、お構い無しの攻撃。――十分に狩れる!
縦薙ぎの攻撃の隙……。
攻撃側とは反対の腕側へ跳び、人肌が見える肩へとナイフの斬撃を喰らわせる。
「ムダだよ、ムダ、ムダ!
こんなキズ、すぐ治っちゃうもんね!」
そいつの言う通りに赤い血を吹いた肩の傷は、すぐに閉じていく……徐々に治っていくのが見てとれる。
「ぼくはね、不死身なんだよ。神具じゃないと死なないんだよ! ぼくってとってもすごいでしょ!」
嬉しそうに、自分の欠点を自慢する男。
俺は戦いつつ……感じていた。
――こいつは子供だ。
戦い方も、戦う意味も、生き方も、生きる意味さえ知らない、小さな子供……。
「ああ! めんどくさいな、お兄さん!」
翼の斬撃を避けつつ小傷を入れてくる俺に、業を煮やしそいつは叫んだ。
両腕を一振り――空に飛んだのだ。
下半身はやはりカラスのようだ……黒い羽毛と鳥の足を持っている。
「さあ、死になよ! お兄さん!」
そいつは空中から急降下。
俺目がけて降りてくる。――俺もまた、そいつに向かって跳んでみた。
黒い翼はまだ背中の空側。
こちらから来るとは、そいつは思っていなかったらしい……青年の顔に、驚きの色を見せていた。
俺は左で持ったナイフを、右で支えながら相手の肩にぶつけてやる。
「ぎ、やぁああああ!!!!」
互いの勢いを利用し、相手の肩にナイフを叩き入れる!
深く、しっかりとナイフは入ってくれた。
――そのまま背中まで傷を入れる。
「――っ痛!」
だけど、刃を支えていた俺の右手の指も、かなりのダメージ!――何本か骨折したようだ。
勢いそのままに俺より先に落下したそいつは、バランスを崩して体を打ちつけている。
俺の方は空中でバランスを立て直し、着地後すぐに攻撃に転じた。
「ぎゃっ……やああああああ!!!!」
倒れているそいつの左肩――傷が入っていない方の肩にナイフを刺す。
そこから今度は、雷撃を!
「ぎゃああああああ!!
――ム、ムダだよ! ムダムダー!!」
ナイフと雷撃により片腕は切り離せた。
すぐに、もう片方を切り取りにかかる。
「ムダムダムダ! また、生えてくるから!
ムダなんだよ、ぼくは不死身なんだ!!」
切り落とされた両腕から、徐々に別の翼が生えようとしている。
不死身というのは本当らしい……その再生能力は異常なレベルだ。
――だけど、関係ない!
長い黒髪を振るいながら逃げるそいつに、俺はさらなる追撃を入れ続ける。
「ムダムダムダムダ! ぼくはいくら斬っても死なないの! 神具じゃなきゃ倒せないんだよ!
ムダムダムダムダムダムダムダムダー!!」
雨の中を……
俺は領主であるバティスタの屋敷を目指し、背の高い街並を歩いていた。
エネルギーは感知できるようになり、街の状況は何となく把握でき始める……。
目指す先には魔獣たち、それらと戦っている統制された人間たちがいるのを感じとれた。
魔獣と戦っているのならば、味方と言える。
バティスタと異形の魔徒が街を完全に支配をしている……というわけではなさそうだ。
「――ねえ、どうしてぼくは死なないの?」
右手でその黒髪を掴んで持っている、青年の生首が尋ねてきた。
首だけにしても死なない……かわいそうな子供。
「お前が不死身だからだよ。」
「あ、神具があれば、ぼくは殺せるよ!」
「俺は、神具を持っていないんだ。」
――話しながら歩く。
時折立ち止まっては、回復する首に斬撃を加えて先をゆく。
「痛いよ、お兄さん!
どうしてそんなひどいことするの?」
「お前が回復したら、また攻撃してくるからだよ。」
「ぼく、ぼく、もう攻撃しないよ!」
「そうか、ならやめておこう。」
「ありがとう、お兄さん!」
お礼の言える可愛い子だ……だけど、力は強い。
この状態にするまでに、俺もだいぶ傷を負ってしまった。
「ねえ、体が痛いよ。どうして?」
「俺もだよ。生きているから痛いんだ。」
「ぼく、生きてるの?」
「そうだよ、不死身なんだろう?」
「ぼく、痛いのイヤだ! 死にたい……。」
魔神がこの世界を支配するために、異形の魔徒は生きている。
不思議なやつらだが、その目的に疑いようの無い純粋なやつらだ。
――だけど、この子は違う。
「そう言うな……。
生きてればいいこともたくさんある。」
生きる意味を知らない、小さな子供。
俺は、その小さな子供と話をする。
「いいこと? どんなこと?」
「そうだな……クッキーとか美味しいぞ。」
「美味しい? あ、食べもの! ぼく、それ食べたいな!」
俺は青年の顔を両手で抱くように持ち替えて、抱え上げて目線を合わせた。
――そして、尋ねてみたのだ。
「なあ、お前、俺の家族にならないか?」
黒髪の美青年は、不思議そうな顔……。
ポタポタと、雨水と血を垂らしながらも、痛みを忘れた顔をしていた。
「家族? 家族ってな〜に?」
「一緒に生きる者のことだよ。」
「生きるって、な〜に?」
「生きていればわかるよ……。
お前がむやみに暴れず、むやみにその力を使わないなら、一緒に生きよう。」
その問いに、青年は微笑んだ。
屈託の無い笑顔で、答えを返す。
「ぼく、家族になるよ!」
「じゃあ、『契約』だ。
お前は今から俺の家族だ。家族は一緒に生きる。さっきみたいな殺し合いはしないぞ!」
「うん、わかった!」
元気のいい答えを聞いて、俺は契約の刻印を施す。――その瞬間に、不思議なことが起ことた。
「――!? お前、姿を変えられるのか?」
首だけだった青年は、黒髪黒目の小さな男の子の姿に変わっていた。
男の子は、嬉しそうに笑っている。
玉の肌を雨に濡らす裸の男の子を見て、俺はまた質問をする。
「お前、その姿なら傷は無いみたいだけど、もうどこも痛くは無いのか!?」
「うん、痛くないよ!」
――反則だな。
うらやましい限りだ。
俺の方は全身が重く……痛い。
俺は男の子を地面に降ろす。
「じゃあ、ついておいで。ええと、名前は……?」
「名前?」
「俺はゼノって呼ばれているんだ。
君のことは、なんと呼んだらいいかな?」
「名前! 名前! ゼノ、かわいい名前を付けて!」
そう言われて、俺は考えた。
カラスみたいな異形の魔徒だから……
「カラス!」
「やだ!」
「マト。」
「やだ! やだ!」
どうやら、お気に召さないらしい。
「ちぇ! ゼノはセンス無いな!」
――言ってくれる。
嫌味を言われてめんどくさくなった俺は、もうテキトーに呼ぶことに決めた。
「俺は忙しいんだ。先を急ぐぞ、『トリ』!」
「え〜!? やだ〜!
もっとかわいい名前がいいよ〜!」
駄々をこねるカラスを無視。
状況の確認と、――それとついでに、バティスタの神具でも盗んでやろうか?
ぼんやりとした頭でそう思いつつ、俺は先へと進むのだった……
「――ゼノ、死ぬのか?」
道端で俺は、突っ伏して倒れてしまう。
思ったより、血を流し過ぎた……
素直にゲバラからエリクサーを受け取っておけば……
「ゼノ〜、死んじゃうのかぁ?」
「死なない……よ……
今から……一緒に……生き……る……」
――まだ、死ねない。
神具持ちを集めて魔神の前に……
石になる子供たちを一人でも……
せめて、この子をラナのところへ……
そうして意識を失ってから、再び目覚めたとき、唇に柔らかな感触を覚えた。
――口移しに何かが注がれる。
この体に染み渡る感覚は……ポーション?
目を開けると、天井と、少女の顔が見える……金の髪と緑の瞳をした、美しい少女。
「――リ、リス?」
「ゼノ殿、それは貴方と私の妹の名だよ。」
――その声は、聞き覚えのある声だった。
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