希望の幻影 2/2
想いふけっていたら、もう教会へと着いていたらしい……。
黒犬の死体が周りに散らばる中で、今は無き神を祀る教会の白壁が目に入った。
教会の前には、知った男の顔が……
三俣の槍――神具を持ってそこに立つ、スキンヘッドの男が一人。
「あんた、どうしてここに!?」
「どうしてじゃないだろう! お主のせいで、わしはアムス領に居られなくなったんだろうが!」
怒られて、自分の罪を思い出す。
「あ……す、すまない。」
――そうだった。
この男に俺は、アムス領の領主から奪った神具を渡し、犯罪に巻き込んだのだ。
「あんたが魔獣を倒してくれたのか?」
「とりあえず見える分だけな。」
見える分……ゆうに、百匹は超えている。
神術エネルギーを体内で渦巻かせることで、運動能力を上げる技。
それを教えてくれた達人だけに、この男の実力は相当なもののようだ。
「ゼノさん!」
――少女の声が、呼びかけてきた。
緑の瞳を輝かせ、金色の髪の少女が駆け寄ってくる。
「リリス!」
声の主は、リリスだった。
心配は安心に変わったが、それからすぐに怒りが込み上げてきてしまう――顔が熱い。
俺は、勝手に出ていったリリスを叱りつけようと……
「お主、その娘を怒るなよ! わしが来るまで、ここを必死に守ってくれていたのは、その娘だ。」
――俺が声を出す前に、達人が制した。
それに従い、言葉を飲み込む。
すると、怒りの熱さは消えていき、今度は泣きたくなるような感覚に襲われた。
だから思わず、少女を抱きしめたのだ。
「リリス、心配したんだぞ!」
「う、うん……」
リリスと抱き合う。
再会と無事を喜び、彼女の温もりを実感し、そうして心が落ち着いた。
冷静になった俺は現状を把握するために、再びスキンヘッドの達人と会話をする。
「お主、感じておるか?」
「ああ、とんでもない魔術エネルギーだ。
――それに、数が増えている。」
ここから見える、ある方向の先。
そこに、凄まじい魔術エネルギーが感じられる……あれは、一体何なのか?
「数が増えているか……。
わしにはそこまでわからんが、確かに言われてみれば、それは確かかも知れん。」
「どういう意味だ?」
「あの方角から、魔獣たちがやってくるんだよ――倒しても倒しても、絶えることなくな。」
街中で、魔獣が生まれている?
そんなことは、ありえない。
だけど、俺が感じている通りなら、そういうことになるだろう……。
『魔獣の発生』
魔獣は、魔黒竜か魔徒が、動物を変身させて生み出している。
異形の魔徒の中には大犬の魔獣のように、強力な魔獣を作り出す者もいる。
――が、それは組み合わせるか変身させるかで、新しく生み出してるわけじゃ無い。
唯一、迷宮の中でなら魔獣は生まれるが、ここは地上……やはり、ありえない。
「ゼノ〜。」
「ゼノさん、教会の人たちはみんな無事みたいだよ!」
「スラムのみんなもいるけれど……」
考え込んでいたら、子供たちの声がした。
遠くを睨んでいた俺は、目線と表情を変えて、子供たちの方を見る。
「やはり、お主がゼノか?」
そんな俺に、達人が質問すをる。
そう言えば、名乗っても、名を聞いてもいなかった。
「すまない、名乗り損ねていた。そう、俺はゼノだ。――やはりってどういう……?」
「教会の……特に子供たちが、『ゼノさんがきっと来てくれる。』と言っていてな。
お主のことだろうと思っていたのさ。」
俺は苦笑して、それから彼の名を尋ねる。
「えと、あんたの名前を聞いてもいいか?」
「わしは、サンゲン。よろしくな、ゼノ!」
サンゲンと名乗った達人は、糸目で笑って握手を求めてきた。
自己紹介が随分と遅れたが、俺たちは手を取り合う。
俺の手を握り力その男の手は、力強く温かなものだった。
それから教会の中に入り、逃げてきた知り合いたちと互いの無事を確認する。
スラムのリーダー的存在ゲバラの姿も、その中に見つけることができた。
「ゲバラさん、被害はどんな感じだい?」
「半分は……な。体の不自由な者や子供たちが……」
「そうか……。」
仕方の無いこと……気落ちしたゲバラの答えに、それ以上、追求するつもりは無い。
だけど、どうしても一人、その安否が気になってしまう子供がいた。
「ゲバラさん、チェチェは?」
このゲバラの息子、チェチェ。
石になる病を患っていたが、このあいだ治って退院したはずだ。
「チェチェは死んだよ。魔獣に襲われ瀕死だったチェチェを、俺は見捨てて逃げてきたんだ……。」
――言わせてしまった。
ゲバラは淡々と答えたが、きっと感情を殺している――軽率な質問を、俺は素直に謝った。
「――すまない、聞くべきじゃなかった。」
ゲバラは、自分を悪として答えた。
だけど、それも仕方の無いことだ。
助けられなかったのは、この父親のせいだけじゃない。――どうしようもないことなど、この世界には溢れている……
教会にみんなを残して、俺は出かけようとしていた。
あの方向――おそらく魔獣が生まれているその場所を、確かめに行こうと考えたのだ。
「ゼノ、行くのか?」
出ていく俺を、ゲバラが見送りに来てくれる。
「ゼノ、これをお前に。」
ゲバラは、小瓶の入った袋を手渡してくる。
中には緑に光る小瓶、エリクサーが二本入っていた。
前に教会で会った時に、ゲバラに渡しておいた物だ。――それを見て、俺は、身体が硬直してしまうのを感じていた……
声が、うまく出せない……
「な、ぜ、こ、れが、ここにある?」
「使わなかったんだよ。お前が戦うために必要だろう? 持っていってくれ。」
あっさりと言う、ゲバラ。
使わなかった……バカかこいつは?
ありえないことを言うゲバラ。
その澄ました顔を、俺は殴りつけた!
「バカか、お前は! なぜ、使わなかったんだ!?
そのエリクサーで何人の仲間が、何人の子供が! 救えたと思っている!!」
力としては本気じゃない。――だけど、俺は本気で殴りつけた。
そして、聞くべき質問をしたのだ!
「チェチェは! チェチェはそれを飲ませれば、助けられたんじゃなかったのか!?」
――ゲバラは小さく答えた。
そうだよ、と……
「お前はそれでもリーダーか!? 父親かぁああああ!!!!」
――その答えにはキレた!
ゲバラの顔を、何度も殴りつける!
ついには地面に這いつくばる、ゲバラ。
足元でクズが、何か言い訳をし出す!
「ゼノ、聞いてくれ……」
「なんだ! 言葉を選べよ。これ以上怒らせたら、お前を殺す!」
――本気で殺す!
一人でも助かるように、そう思って渡したエリクサーを、こいつは無駄にした!
このバカな父親を、チェチェの元に送ってやる!
「――俺は……ただの男だ。」
「そうだよ! お前はリーダーでも、父親でもない! ただの役立たずの男だ!」
「――だけど、チェチェは違った。」
「当たり前だ! お前などと一緒にするな!」
クッキーを分けてくれた……チェチェの笑顔が浮かぶ――優しい子だった。
きっとこのバカな父親よりも……俺よりも、立派な男になったはずだ!
「ゼノ、チェチェは良い子だった。」
「そうだよ、優しい子だった!
そんなお前の息子をお前は、見殺しにしたんだろう!? エリクサーを、使わずに!!」
ゲバラは立ち上がって、俺を見た。
そして悔いる様子なく、はっきりと答えてみせたのだ。
「俺は、チェチェを見殺しにした。
――エリクサーを飲ませず、見殺しに!」
――こいつ!!
あまりの開き直りに、言葉を失う。
そんな俺をゲバラは腫れ上がった顔で、真っ直ぐに見つめてくる。
「あの子を見殺しにしたんだよ、俺は!」
「どうして!? あの子はお前や俺よりも、ずっと生きる価値のあった子だ!
どうしてそんな、お前の息子を……!」
ゲバラは表情を変えない。
真っ直ぐに――ただ真っ直ぐに、チェチェの面影ある黒い瞳で、見つめている。
――ゲバラは、静かに語り出した。
「チェチェが言ったんだよ。
『エリクサーは飲まない、エリクサーを使ってはダメ』だって……」
「何を言っている?
お前は死んだ息子を、言い訳に使うのか?」
「チェチェは、お前に憧れていたんだ。
――きっと、お前みたいな男になりたかったんだろう。」
「何を、言っている!!
あの子は俺より、優しい子だ!!」
「そうだよ、ゼノ!!
あの子はお前よりも優しくて、俺よりもずっと立派だったんだ!!」
――!
ゲバラは、俺の肩を両手で掴んだ。
そして真っ直ぐ俺を見て、叫び出す!
――意志を宿した真っ直ぐな瞳――
「だから、あの子は言ったんだ! エリクサーは使ってはいけないと! 自分が大怪我を負いながらも!
石になる病の子を治すために――ゼノ、お前が『世界を救う』ために! 必要だから使ってはいけないと!
――そう、優しいあの子は叫んだんだ!」
強い意思を宿した目で、ゲバラは俺にそう言った――その叫びに、圧倒される。
「う、嘘だ……。」
――偽りだ。
そうだとしても、父親なら息子を救う選択をするはずなんだ。
「ゼノ、言ったんだよ……俺よりもずっと立派な、優しくて強いあの子が、真っ直ぐに、俺を見て……」
ゲバラの瞳には、涙が溢れていた。
嘘の無い瞳で、俺に言ってくるのだ。
「俺はなぁ、ゼノ……逆らえなかったんだよ!
優しいあの子の、あの意志を宿した――真っ直ぐな瞳にな!!」
――息ができない。
黙る俺に、外からサンゲンの声がかけられる。
「ゼノ、魔獣たちと人の騎兵が、あの方向からやって来る!」
その声を口実に、フラフラとゲバラから離れ、俺は外へと出ていった。
遠くに黒犬の群れと、鎧の兵士を上に乗せた、馬の群れが見えている……
――外は、雨が強く降っていた。
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