負け犬の牙 6/8


 地下七十七階、そこで神竜の部屋に入ろうとしたら、ミリアンが慌てた声を上げた。


「無茶だ、ゼノ! 一軍を率いてやっと一人が逃げ帰れるという相手だぞ。危険過ぎる!」


 そう拒むミリアンの手を引き、俺は光のカーテンをくぐる。


 ――くぐった先で、男の声がした。


「なんだ、女連れか?

 ここは、そういう宿屋じゃないぞ?」


 地下七十七階にある、白い空間。


 そこにいるのは、神無き今の世界で最も神聖なる存在――四本の翼を持つ白い竜……


 神竜が、上空から語りかけてくるのだ。


「ゼノ、最近は女を連れているな。」


「……。エリクサーを貰いにきた。」


「ああ、そうか。お前はその扉から一回入っているからな。エリクサーは、そっちの女の分だな。」


「ど、どういうことだゼノ!?

 な……なぜ、神竜と話をしている!?」




『神竜』


 世界中全ての迷宮、その地下七十七階に繋がっている広大な白い空間。


 その白い空間に巣食う、雄大な白い竜。


 本人いわく、全ての迷宮の管理者らしい。


 エリクサーを守護し、侵入者を襲う。


 百人を犠牲にし、やっと一人が逃げきれるかどうかの怪物。――そんな風に語り継がれている。




 上空にいる神竜に攻撃する術は無い。


 魔黒竜の牙が無ければ、俺も初めて会った時に殺られていただろう……


 神竜の恐ろしさを知るミリアンは震えており、恐る恐る俺の手を握ってついてくる……意外に可愛い。


 逆に、神竜は可愛げなどあろうはずもなく、いつもの嫌味を浴びせてくる。


「ゼノ、神具と攻略者は集まったのか?」


「攻略者は、ここに一人。神具は、この迷宮で手に入れる。」


「お! あの亀に挑むのか? あれは強いからな、お前死ぬな!――死ね。」


「その時はその時だ。」


「強がるんじゃない。お前は結果を何一つ残せず、何も残さず死ぬ。――早いか、遅いかだ。」



 ――エリクサーを貰った後。


 俺は早く、この嫌味の降り注ぐ空間を出たかった……だが、出口の前で立ち止まる。


 珍しく、神竜が近づいてきたのだ。


 殺気は無かった。――が、一応、魔黒竜の牙に手を置いて構える。


 神竜は、その口をゆっくりと俺の頭上にまで近づけてきた。


 人間を簡単に呑みこめそうな、巨大な口。


 ミリアンは怖がって、ペタリと尻もち……恐怖で、切れ長の瞳が丸くなっている。


 そんな黒髪の美人を見て、神竜は言った。


「なかなかの美人だな。」


「あんたに……人の顔の良し悪しなんてわかるのか?」


「わかるとも――お前は不細工だ。」


「俺はあんたを美しいと思うよ。」


「うるさいわ!」


 神竜は、ミリアンに興味があったらしい。


 俺以外の人間に、初めて声をかけた。


「なあ、女。お前は世界を救おうと思うか?」


 震えて、座り込んでいたミリアン。


 だけど、その問いに震えを止めて、表情を硬くし立ち上がる。


「もちろんだ! 私は世界を救いたい!

 ――そのために、私は生きている!」



 ――少し、沈黙が流れる。


 神竜はミリアンを品定めするように見て、それから俺に話し出す。


「――いい女だ。ゼノ、お前タイプだろう?」


 俺が何も答えずにいると、今度はその顔を俺へと向ける神竜。


 頭上で牙の並ぶ大きな口を開け、俺へと質問を投げてくる。


「なあ、ゼノよ。お前は、この女のように吠えないのか? 自らの力で自らの手で、世界を救うと……吠えてみろよ。」


「世界って、どうやったら救えるんだ?」


「知らんな。」


「あんたが知らないのに、俺ごときが知っているわけがない。――俺に世界なんて救えないよ。」


「じゃあ、お前はどうする?」


「俺は足掻くだけさ。少しでも可能性のありそうな方へ。それくらいしかできないよ……。」


 そう答えれば、神竜は声を大にして、怒鳴り声を浴びせてくるのだ。


「進む方向が間違っていたらどうする

 戦略も無く、先も見えず、独りよがりのお前は、――結果を何も残せない!!」


 言われて、俺は黙っていた。


 神竜も黙って、俺を見ていた。


 そして、しばらくして神竜は呆れたように、また上空へと帰っていったのだ……




 再び、迷宮を降りてゆく。


 階を下るほどに通路も部屋も大きくなり、魔獣も巨大に、強力になっていく。


 だが、魔黒竜の効果で戦う必要はない。


 俺たちは簡単に、地下九十八階へとたどり着いた。


 その階の終わり……地下九十九階への階段がある部屋で、ミリアンは呟いた。


「何度見ても、おぞましい光景だな……。」


 ――その石造りの部屋。


 そこは、ほかと違い平らではない。


 人の形をした凹凸が、天井、壁、床、それぞれを覆い尽くしている。


 床や天井には、それを斬った跡があった。


 今、下で戦うスターリンにとっても、それは不快で、苛立たしい光景だったのだろう……




『魔徒による迷宮の侵食』


 魔徒たちは迷宮に侵入して、神獣を魔獣に変えていく。


 そして最終的にはこの場所で、迷宮と一体化するらしい。


 こうなってしまえば、ゾロ目の階以外には神獣ではなく、魔獣しか生まれてこなくなる。


 ――これが、今の迷宮の形なのだ。




 ゴツゴツした人の形を踏みながら、地下九十九階へ続く階段へ……。


 地下九十九階には、もう通路は無い。


 階段の下は、すぐに広い空間だ。


 俺たちはその階段の途中から、その空間を覗き込む。


 そこには巨大な亀の神獣と、それと戦うスターリンたち……。――マリーの姿があったのだ。

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