過去の英雄


 太陽が見え始めた夕刻、宿場町へと到着する。


 馬車を降りて、ゆっくりと馬を引きながら、木でできた質素な町の門を通過した。


 もうここは、俺の住む土地のすぐ近く。


 貧困と荒廃が広がり、浮浪者が溢れている。


 ――一人の老人が、門の側に座っていた。


 頭の毛はぬけ落ち、しわだらけの顔がなんとも苦労を感じさせる老人だった。


 彼は目を閉じている。


 どうやら盲目らしく、おぼつかない手つきで、両手で持ったかごを俺たちの方に差し出してくる。


「施しを……、施しをお願いします。」


「貴様、ローゼン様に無礼な!」


 老人に突っかかろうとする護衛を、ローゼンは手だけで軽く制す。


 そして、老人の前に優しく膝をつくのだ。


「ええと、ポーションはもう無いし……ご老人、少し硬いが焼き菓子だ。袋に入っている。このかごに入れるぞ。」


 そう言ってローゼンは、菓子の入った包みをかごへと入れた。


 リリスは老人に寄り添い、老人の手伝いをしだした。――優しい子だ。


 俺は、ローゼンたちに断りを入れる。


「先に行っていてくれ。」


「わかった。宿と明日の馬車の手配はしておこう。――ゼノ殿、また後で。」


「ゼノさーん! 俺と同じ部屋に泊まりましょう! いっぱいお話、聞きたいっす!」



 俺は、手だけで合図を送る。


 ローゼンたちは宿場町の中心部へと向かい去っていった……


 リリスに手伝われながら、焼き菓子を硬そうに口で割っている老人。


 俺はその老人の前に膝をついた。


「爺さん、さっきのがあんたの孫娘だぜ。」


 老人は、菓子を食べるのを止める。


 リリスは驚いた顔で俺を見る。


 老人は、小さな声で答えた。


「そうか……」


「同じ宿に泊まるんだ。一緒に行こう。」


 提案したが、老人は首を横に振る。


「どうして? あのお嬢様、あんたを探してここに来たんだぜ。」


「できぬ……わしは、恥ずかしいのだ。

 世界を救えず、おめおめと生き延びたわしは、家族にも、誰にも顔を向けられん。」


「あんたは英雄だ。あんたを敗者と笑う者もいるが、ほとんどの人間はあんたを尊敬しているよ。」


 そう伝えたが、老人は沈黙する。


 そしてまた、焼き菓子を食べ始めた。


 俺は、リリスに言った。


「リリス、その爺さんを少し見てやってておくれ。」


「若いの! やめてくれ!」


 老人が落とした菓子を、リリスが慌ててキャッチする。


「戦って敗れたことは恥ずべきことじゃあ無いよ。

 あんたがそんな風に思ってしまったら、この先を生きる人間が戦う勇気を失ってしまう。」


「わしが、――わしがこの世界を、こんなにしてしまった。……多くの人が、苦しんでいる。」


「あんたは知らないんだな。こんな世界でも、あんたのセントール領は、世界で一番豊かなんだぜ。英雄ウルゴ・セントールの志を慕って、領地には有能な人材も、民も集まっている。

 戦争で財産を失ったあんたの領地は、戦争の中で財を貯め込んだ貴族どもの領地よりもずっと栄えているんだ。――それは、あんたの戦果だよ。」


 また、老人は沈黙した。


 俺は左手で老人のしわがれた手を掴み、両手で握って、その閉じてしまっている目を、真っ直ぐに見た。


「――俺も、あんたを尊敬しているよ。」


 そして、そう伝えてから、無理やり老人の手を引くのだ。




 俺とリリスは老人の手を引きながら、ローゼンたちの待つ宿へと向かう。


 途中パンを買って、老人の菓子と交換。


 俺とリリスで、焼き菓子は美味しくいただいた。



 食べながら、俺たちは老人と話をする。


「若いの、神具を集めているね。」


「そんなことがわかるのかい?」


「魔神を倒す気なのかい?」


「どうかな? 悠々と生きるやつらに嫉妬して、奪っているだけ――なのかもな……」


 普段よりずっと、素直に気持ちを出してしまう自分に驚く。


 それは憧れからか、親しみからか……


 セントール家のやつは不思議な力があるのか、なかなかに侮れない。



「――魔神には勝てんよ。」


「そうだろうな。」


「神はもういないのだ。」


「そうだな。」


「お前の手は言葉と違い、力強い。」


「――引っ張っているだけだ。」


 ウルゴは歩くのを止めて、昔を懐かしむように話し出した。


「魔神は、とても恐ろしくてな……。

 わしは対峙した時、膝が震えて馬から落ちた。馬も、一緒に戦ってくれた皆も、そうだった。

 だが、目をやられたわしを、皆は足を震わせながらも必死に逃がしてくれてな……。わしなどより英雄に相応しい者は、たくさんいたんだよ……」


「そうか……。」


 ――英雄本人から語られる、過去の戦い。


 俺がその話に聞き入っていると、リリスが俺たちに尋ねてきた。


「ねえ……、なんで二人はお互いのこと、わかっている感じなの?」


 ――わかっている感じ?


 なんと説明するべきだろう……


 中に眠る、深い魔術エネルギー、痩せた体に感じる、達人の気配、絶望した心に燻る……小さな炎。


 俺は、わかりやすく答えた。


「勘かな。」

「勘かの。」


 二人の答えが重なり合う。


 その答えにリリスは、驚いたような、呆れたような表情を浮かべるのだった。




 ――小さな宿の一部屋。


 そこに、たくさんの人間が集まる。


 老人は腰かけ、女は跪き、残りの者は立っていた。


「お祖父様! お会いしとうございました。

 ご健在で、何よりでございます!」


 宿のベッドに腰掛ける老人の手を取って、女騎士は涙を流す。


 その後ろで、護衛たちも声なく泣いていた。


 いかにウルゴが尊敬されているのか……俺はそれを実感していた。


 ――俺は静かに部屋を出る。


 宿の主人にコップを数個借りる。――そして、飲み水をもらい部屋へと戻る。


「ローゼン、出会えた乾杯をしよう。」


「――そ、そうだな。ゼノ殿とも出会えた。今日は喜ばしい一日だ。祝杯を上げねばな……」


 ローゼンは涙を拭きながら、そう答える。


「ウルゴさん、酒じゃないが構わないだろう?」


 俺はそう言って、リリスに小瓶を渡した。


 リリスは驚いたが、俺がウインクすると笑顔で老人にそれを渡すのだ。


「では、この出会いに感謝を!」


 ローゼンの乾杯の音頭で、俺たちはゴクリと水を飲む。


 老人も少し顔を緩め、リリスに手伝われながら、小瓶の中の緑の液体を飲んだのだ。


「な!」


「こ、これは!」


 老人からあふれる神術エネルギーに、全員が驚き目を見張った。


 盲目だった老人も目を開いて、驚いた表情を見せていた。


「若いの……、エ、エリクサーか!」


「そうだよ。あんたには誰よりも、次を生きる世代を見る資格がある。あんたの志を継いだ孫娘の顔を、しっかりと見てやるといい。」


 俺は、そう答えた。


「……ゼ、ゼノ殿。」


 ローゼンは、涙目で俺に微笑んでくる。


 それは、とても美しい少女の顔だった。


 視力の回復したウルゴさんは、俺を見る。


「志を継ぐ者しかと見たぞ――ゼノよ。」


 そして、濃い緑の瞳で真っ直ぐに俺を見て、そう言ったのだ。



 ――意志を宿した真っ直ぐな瞳――



 ウルゴという英雄の、優しい瞳……


 その目を見て背中に重い何かが乗るのを、なぜだか俺は感じたのだ。

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