27 狂気
マルクは囚人塔に入れられると、石壁を背にしてズルズルと座り込んだ。
(どうして、こうなった……?)
ハーベルの顔が脳裏に浮かび、苛立ちのまま石造りの壁に拳を打ち付ける。血がにじんだが構わなかった。
(そうだ、リーチェを誘拐してハーベルをおびき出してやれば良かったんだ。そして邪竜復活の濡れ衣を着せてやれば……)
しかし、今さら何を言っても後の祭りだ。
(いや、このペンダントさえ使えれば、まだいける……邪竜の封印された神殿で、このペンダントに血を垂らせば……)
マルクは虎視眈々と復讐の機会を狙っていた。
彼は服の下に身に着けている赤い石がついたペンダントを握りしめる。
邪竜の血で固めたそれは、マルクの訴えに呼応するように、かすかなぬくもりを与えた。
窓がない牢獄では時間が分かりにくい。だが、食事だけはだいたい時間通りに与えられるので、今が夜だろうことはマルクにも推察できた。
端の欠けた皿に載せられた硬パンと具のほとんどないスープ。
こんな下層民の食事なんて食べられるものか、と彼は悪態を吐く。
(僕は王族だぞ……! 配慮もないのか!)
同時に父である国王に王位継承権を剥奪されたことを思い出して怒りに震える。
(王位を得るためにこんなに努力してきたのに……っ! この世界の連中は僕の能力に気付かない馬鹿ばかりだ)
その時、扉がノックされた。
(……誰だ?)
食事はきたばかりだし、再度渡してくるには早すぎる。
「マルク様……私です。エノーラです」
「エノーラ?」
それは昼間別れたばかりの魔法士団の少女だ。
間もなく鍵がかかっていたはずの扉が開かれた。そこに立っていたのは黒いフードをかぶったエノーラだ。手には燭台を持っている。
「マルク様、ご無事ですか!? とても心配していました」
目に涙をにじませてマルクにすがりつくエノーラ。
マルクは当惑しつつ尋ねた。
「エノーラ、どうやってここに……」
「マルク様をお助けしたくて、見張り番にお金を握らせました。今なら逃げ出せます。外に馬車も用意していますので、夜陰にまぎれて二人で逃げましょう」
そう言うエノーラに、マルクは歓喜した。
(何だこの女、思っていた以上の働きをするじゃないか)
「ありがとう。この恩は忘れないよ」
「いいえ、マルク様のためならば私は家を捨てることだってできます……」
マルクはエノーラを抱きしめる。
「この選択を絶対に後悔させないからね」
マルクはエノーラに導かれ、馬車に乗り込んだ。
そして彼が馭者に向かうよう命じた場所にエノーラは困惑しているようだったが、反論することはなかった。
◇◆◇
父との夕食を終えると、リーチェは一階の食堂からバルコニーに出た。
何か物音がしたような気がしたのだ。
「やっぱり気のせいではありませんか……? 寒くなってきたし、部屋に戻りましょう」
そう勧めてくるメイドに、リーチェはうなずく。
「そうね。ちょっと神経質になっていたみたい」
ようやくマルクの問題が片付き、一件落着──となったはずなのに、リーチェはすっきりしないものを抱えていた。
(あの狡猾なマルクが、これで諦めるとは思えない……)
しかし囚人塔に投獄されている以上、彼は出てくることはできない。ペンダントを持っていたとしても、邪竜と契約はできないのだ。
けれど、どうしても不安が残る。
(やっぱり、マルクのペンダントを取り上げるようハーベル様に頼んでみましょう。どうしてかと問われたら困るから、理由を考えなきゃいけないけれど……)
とにかく今日はバッドエンドを回避できた、おめでたい日なのだ。今晩だけは全て忘れてしまおう、とリーチェは己に言い聞かせる。
食堂では父が新しいワインを開けたばかりのはずだ。ちょっと風に当たると言って出てきたから、遅くなると心配させてしまう。
リーチェがメイドと共に部屋に戻ろうと踵を返した時──木の影が揺れて、そこから二人の人間が現れた。
それは笑顔のマルクと、暗闇でもあきらかに血の気が引いていることが分かるエノーラだ。
彼らの姿にリーチェは目を剥く。
「マルク……!? どうして、ここに……!? 投獄されたはずじゃ……」
「リーチェ、リーチェ……! 嬉しいな。会いたかったよ」
マルクはゆったりとした足取りで、リーチェに向かってこようとしていた。
「近づかないで!!」
リーチェが怒鳴りつけると、マルクは大きく身を震わせる。そして、しばらく黙りこくった後、彼は悲しげな顔をして、そばにいたエノーラに背後から襲いかかった。
「マルク!? 何を……っ」
リーチェが制止する前に、マルクはエノーラの首に隠し持っていた小剣を押し当てる。
「ヒッ……!」
エノーラの喉から引きつれた叫び声が漏れた。
「リーチェ、僕と一緒に来るんだ。でなければ、この女がどうなっても知らないよ」
「マ、マルク様……っ、どうして……!?」
エノーラの
(きっと、彼女もマルクに利用されたんだわ……)
リーチェはそう察して気の毒に思った。
囚人塔の鍵を開けてマルクを開放したのも彼女だろうと。
かつては自分に意地悪ばかりしていたエノーラでも、信じていた人に裏切られる姿を見ると、ひどく哀れに思えてくる。
「マルク、エノーラに危害を加えないで」
「それは、きみ次第かな。こっちに来るんだ」
そう余裕ぶって言うマルクに苛立ったが、リーチェは黙ってうなずき、マルクに近づいて行く。
(自分のせいで誰かが死ぬのは嫌だ)
「お嬢様ぁっ!!」
メイドがリーチェに向かって叫んだ。その声を聞き留めて、室内からリューを抱っこしたロジェスチーヌ伯爵が出てくる。
「マ、マルク殿下!? なぜ、ここに!?」
マルクは顔を歪ませ、リーチェに声を上げる。
「走るんだ。この先の馬車に乗れ」
リーチェは、やむなく駆けて行く。
マルクは警備の者にリーチェとエノーラを人質にして正門を開けさせ、通りに停めてあった馬車に二人を乗り込ませた。
そして彼は馭者に「ギルルクの岬へ向かえ」と伝える。そこは馬車ならば三時間ほどで着く場所だ。
「ギルルクの岬……」
リーチェは茫然と、その地名をつぶやいた。
エノーラはマルクに拘束されたまま、ガタガタと震え始める。マルクの向かおうとしている場所に気付いたのだろう。
マルクは口の端を上げる。
「そう、邪神の封印された神殿がある場所だよ」
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