8 婚約

 屋敷に帰ってからもハーベルのことを考えていたせいか、晩餐の席で向かいに座る父から怪訝そうに声をかけられた。


「リーチェ、大丈夫か? もうスープは残っていないようだが……」


 リーチェはハッとして手元を見た。

 スープはすでにないのに、いつまでもスプーンでお皿からすくおうとしていたらしい。

 リーチェはナプキンで口をぬぐって「あ、本当ですね」と誤魔化す。

 父は「ふむ……」と何か考えるような様子を見せた。


「食事を終えたらゆっくり話そうか。最近そういう時間も取れていなかったからな」


 メインの子羊のローストを食べ終えると、リーチェは父と一階のテラスに出た。

 夜空を輝く星々と、庭園の薔薇を照らすランタンの明かりが綺麗だった。

 メイドが食後のクッキーと紅茶を持ってきてくれる。

 ベンチに腰掛けているリーチェに、父は背中を向けて立ったまま口を開いた。


「……お前はハーベル王子のことをどう思う?」


「えっ……」


 思ってもいなかったことを問われ、リーチェは狼狽する。


「今日、王子の使者が書状を携えてやってきた。ハーベル王子からの正式な求婚状だ」


(そういえば、ハーベル様は父の返事を待っていると話していたわね……)


 先ほどのリーチェの考え事をしているような態度から、父は彼女が思い悩んでいると考えたのかもしれない。

 リーチェがどう答えるか迷っていると、父は穏やかに言う。


「もしもお前が嫌なら、断っても良い」


「お父様……!?」


 相手は王族だ。断れるはずがない。

 それにどうにか苦しい言い訳をして反故にできたとしても、宰相である父は王宮での立場をなくしてしまうだろうに。


「お前が幸せなら良いんだよ。結婚してもしなくても……望む相手が見つかるまで待っても良いし、一人で魔法の研究を続けたいならそれでも良い。私は仕事ばかりして、妻に寂しい思いをさせてしまったからな。お前は妻の忘れ形見だ。リーチェの幸せを一番に考えよう」


「お父様……」


 貴族の娘の結婚は親が決めるものだ。本来、娘が口出しできるものではない。

 それなのに彼女の意思を尊重してくれようとする父に、リーチェは胸が熱くなる。


「……ありがとうございます、お父様。お気持ちは、とても嬉しいです。……私はハーベル様のことをお慕いしております。喜んで、この求婚をお受けしたいと思っています」


 父はリーチェの言葉に目を剥き、少しだけ寂しそうに微笑して「そうか……」と、何度もうなずき、室内に戻って行った。

 さらりとした夜風が頬を撫でていく。


(推しとの結婚か……)


 重責も感じるが……彼に求められることが嬉しかった。

 昼間のハーベルの行為を思い出し、熱くなった頬を手で覆う。

 ますますハーベルへの気持ちが膨らんでいくのを感じていた。


(マルクの思い通りになんてさせない! ハーベル様とララは私が守る。バッドエンドには絶対にさせないんだから)


 決意を込めて、リーチェは顔を上げた。



◇◆◇



 翌日、父の返事がしたためられた書状を手に、リーチェはハーベルの元を訪ねた。

 本当は従者に任せても良かったのだが、リーチェは直接彼に渡したかったのだ。

 ハーベルは恐れおののくような顔で出迎えてくれて、リーチェは照れくささを感じつつ彼に父から預かった書状を渡す。

 彼は大事そうに書簡を読み終えると破顔した。怖い。


「婚約を受け入れてくれて嬉しいよ」


「……私を選んでくださって光栄です。これから、よろしくお願い致します」


 お互い照れくさそうに笑った。

 これから細々とした手続きはあるが、晴れて二人は正式な婚約者となる。


「ぜひお茶していってくれ……と言いたいところなんだが、じつはこれから王立学園の騎士団の訓練に顔を出す約束をしているんだ。せっかく来てくれたのに申し訳ないが……」


 落胆している様子のハーベルに、リーチェは慌てて首を振る。


「あっ、そうだったんですね。お気になさらないでください。約束があった訳ではありませんし。私はここで失礼致しますわ」


 少し名残惜しく思いつつ彼女がそう言うと、ハーベルが躊躇いがちにリーチェに尋ねた。


「……良かったら見学していくか? むさ苦しい男どもの集まりだから、リーチェには楽しくはないかもしれないが……」


 それは願ってもない申し出だった。

 もしかしたら、ハーベルを裏切った者が騎士団にいるかもしれないのだ。


(絶対に見つけ出してやる……!)


「ぜひっ! お願いします!」


 リーチェはハーベルの言葉に、大きくうなずいた。

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