第37話 進撃の官軍『英才教育』

永禄12(1569)年2月上旬 四国土佐国中村

風間小太郎



 一条 内政ただまさ ぎみはまだ8才である。未来なら小学校の2年生である。この間、守役と代理の俺は、内政君に孫子やら呉子の武経七書と言われる兵法書や歴史書を現代語訳で書いて読ませたり、風姿花伝などの教養書を読ませた。漢字には、かなを振ったものをだ。

 繰り返し読んで自分なりに解釈して、後で大人達の説明と比べればいい。

 自分なりの解釈や気づき、発想、連想などが大切だと思ったからだ。

 詰め込み教育はしない。知識だけで知恵がなければ、嘘も信じ込む人間になる。

 

 それと、絵を教えたり、物を作る楽しさも教えた。絵を書く時の『遠近法』だの、陶芸の『轆䡎ろくろ』だの、少しばかりだが。




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永禄12(1569)年2月中旬 四国土佐国中村

風間小太郎




 遊びも釣りや登山、野営キャンプ、水泳、柔道なんかを少し。

 周りの大人達も知らないことを覚えて、少し不思議ちゃんに育っているかも知れない。

 

 此度の北九州攻めに先立ち、帆船に乗せるので、仕組みを教えるために、小さな帆舟ヨットに乗せ、操作させたりした。

 この子は、めったにハシャがない。

 目はきらきらさせるが、じっと深く観察する癖が付いたようだ。

 子供らしいのは、甘いものを食べる時だ。

とても嬉しそうに、笑顔を見せる。


 俺が来るまで、母親の輝姫殿が離縁させられて、ずっと離れて暮らしていたから、その間の狭間を埋めさせるため、一緒の部屋で寝起きさせている。湯風呂も本人が嫌がるまで一緒に入るように言った。

 輝姫殿はとても驚いていたが、いつも一緒にいられることが、やはり嬉しそうだ。

 内政君は、この時代の同年齢と比べると、甘えっ子に見えるが、それでいいと思っている。

 母親の愛情を赤ん坊の時しか知らなければ親孝行の気持ちも生まれずに育つと思うからだ。


 俺はどこかへ出る時、なるべく内政君を背中におんぶすることにしている。運動させる時は別だが、なるべく俺と一心同体で、同じ目線でものを見たいと思ったからだ。

 時には肩車も、乗馬は前に抱いて乗せた。


 内政君は二人きりの時、俺のことを『小太にい』と呼び、俺も『ウチ』と呼ぶ。

 内政君は、『ただまさ』なのだが、愛称には適さないので、音読みの別名から二人だけの間で、俺が勝手に呼んでいる。

 二人きりの定義には、5m以内に人がいないのも含まれているから、微妙だが。



 さて、此度は内政君の初陣になる。馬にも乗せたし、鉄砲も抱いて一緒に撃った。

 大砲も水軍の軍船で演習で経験させた。

 あと、馬廻りと近習だが、大人の馬廻りが6名、年の近い近習が4名、皆連れて行くことにした。近習達は足で纏いではあるが、主君と同じ経験をすることが大切なのだ。

 近習と馬廻りには、柔道と対槍をしこたま訓練した。馬術もだが曲乗りも訓練させた。


「小太にい、小太にいが大切にしていることはなに?」


「うん? そうだなぁ、自分を見失うことがないように気を付けることかなぁ。」


「それって、どういうこと?」


「勘違いしないことだよ。世の中にはいろんな人がいて、いろんな事が起きる。

 良い人、わかり合える人ばかりじゃない。そして、今の俺たちには身分と言うものが、力になっている。その力の使い方を間違えると、恨みや嫉妬、時には憎しみを生んでしまうんだよ。」


「えっ、じゃ、どうすればいいの?」


「う〜ん、難しいなぁ。できるだけ、対等であることを心掛けること。相手の事情を知るようにすること。そして、勇気を振り絞って負けないことかなぁ。」


「よくわかんないやっ。小太にいの言うことはいつも難しいっ。」


「今は、わからなくてもいいさ。ウチがこれからいろんなことを経験して生きて行く時に俺の言った意味が分かる時があるかもな。

 あんなことを言ってたなって、心の片隅に残っていたらいいさ。ふふふ。」


「小太にい、ずっと傍に居てね。」


「それはできないさ。ウチも一人で生きて行かなきゃならない。」


「じゃ、長生きしてねっ。」


「ははは。」




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永禄12(1569)年2月中旬 薩摩国黒島

風間小太郎



 一条内政君を伴い、戦艦『天城』に座乗して九州の拠点、黒島へやって来た。

 少し船酔い気味だった内政君だが、島に上陸するとその南国風靡に魅了され、すっかり元気を取り戻している。


「やぁ、長兵衛。天候の様子次第だが、2日ばかりおじゃまするよ。この子が内政君だ。俺の年の離れた弟さ、よろしく頼む。」


「おおっ、内政君でございますか、この島の村長の長兵衛にございます。わずか2日のご滞在とは残念でございますが、少しでも黒島を楽しんでくだされ。滞在中は、この佳奈がお世話を致します。」


「内政君、佳奈と申します。滞在中は島の中をご案内しますね。小太郎様も新しいとこは知らないでしょうから。」


 さり気なく、俺の同行決定かよ。安全なこの島なら、護衛は近習達に任せて砂浜で海を眺めながら、ゆっくり昼寝でもしようと思っていたのになぁ。



「ふ〜ん、これが皆、果実の木ですか。」


「若殿っ、あそこに実がなっていますよっ。」


「あれは木守りと申しまして、実がなった後取らずに残したものなのです。

 向こうに温室がありますから、いろんな果物が食べられますよ。」


「うわぁ、暖っけぇ。すげぇ、いっぱい実が成ってるっ。

なんだこりゃあ。」


 近習達は、バナナやパイナップル、椰子の実は見たことがないから、驚きだろう。

 佳奈に熟している実を食べさせて貰い、目を丸くしている。


「すごーい、こんな甘い果物があるなんて、驚きですっ。」


「この椰子の実の中に、果実水があるなんて外見からは信じられませんね。」


「パイナップルの甘さも信じられぬくらいですな。土佐でもなんとか取れぬものかの。」


「小太郎様、この温室を作ればできますよね。作ってくださいますよねっ。」


「戦のない世になれば、いくらでも作れるさ。もっとすごいものもね。」


「小太郎兄上、このバナナを母上にお土産にしたいです。いけませぬか。」


 ウチが周りに皆がいるので、よそ行きの言葉で話して来る。


「バナナは、すぐ傷むからなあ。だけど青いうちに取って行けばなんとかなるかな。

 でも九州の制定が終わった帰りだなぁ。」


「兄上、それじゃあ、さっさと九州制定を終わらせましょう。皆、頑張ってくれよっ。」


「若殿、それじゃあ、まるで九州制定よりバナナの方が大事に聞こえますよっ。」


「「「はははっ。」」」




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永禄12(1569)年2月下旬 北九州肥前平戸

風間小太郎



 小太郎の未来知識では、この年には豊後の大友宗麟が大軍を率いて肥前侵攻を行なうが、毛利元就が豊前国に侵攻し肥前から撤退する。

 だが、毛利元就は備中で上杉謙信公率いる第一軍団を迎え撃つため、そして破れ去るのだから、九州侵攻はない。


 そんな中、肥前では龍造寺に滅ぼされた少弐氏の残党 少弐政興や馬場氏や横岳氏ら少弐氏旧臣が大友宗麟の支援の下、龍造寺と戦乱を繰り広げている。


 俺はまず、再び肥前の平戸湊を襲撃占領することを選択した。南蛮商人や中国朝鮮人の倭寇の拠点を潰し、九州からその影響力を排除するためだ。

 夜間、平戸の沖合に到着待機して、夜明けとともに湾内に突入した。先陣は5隻のキャラック駆逐艦で、湾内の南蛮船など武装船を殲滅する。続いて湾内に入った5隻の駆逐艦及び大型商船4隻から小型船が降ろされ、上陸部隊が岸辺に侵攻。上陸すると、次々と建物を制圧して行く。

 各所で戦闘が起きているが、人数と鉄砲で相手にはならない。1刻後には完全に制圧を終えた。

 松浦水軍の船は、湾内に閉じ込め、小早も全て破壊した。しかし、陸路で逃げた者達が龍造寺の庇護を求めて、肥前の各地へ散って行ったようだ。

 

 平戸を占領すると、治安と守備に鉄砲隊5百名を残し、第4軍団を4隊に分け、肥前の制圧と肥後の牽制を図った。

 肥前北西部と中央部に2軍勢を派遣し、完全制圧を図る。その軍勢は1,500の鉄砲隊と400の槍隊、騎馬隊400と大砲10門だ。

 ほんどが、籠城した城を砲撃で攻め落とすことになるだろう。近隣の城の後詰めは騎馬隊で撹乱牽制すれば、その間に落とせる。

 肥後攻めの別働隊は、鉄砲隊2千、騎馬隊8百。機動力に特化させて個別撃破をさせることとした。

 そして、龍造寺隆信本隊との決戦をすべく、内政君と俺の本隊は 鉄砲隊4,900槍隊1,200、騎馬隊4百騎、大砲30門の軍勢で、肥前北東部を北上進軍した。


 龍造寺隆信は3万の持てる軍勢全てを集め肥前の多布施口(佐賀)で野戦を挑んで来た。

 龍造寺の戦法は、巧みな用兵にあった。

 先方が疲弊して押される寸前に、後詰めを出してまた勢いを回復し、それを繰り返して敵の疲弊を待つ。

 そして、敵の綻びを突いて突入し、敵を混乱に陥れ破るのだ。


「小太にい、龍造寺って強いのか。孫子とかいっぱい知っているのか。」


「さあ、どうだろう。本は貴重で、なかなか手に入らないからなぁ。きっと過去の戦いを聞いたり、自分で経験したことを活かしているんだろうな。それが強さじゃないか。」


「ふ〜ん、知恵者ってことか。」


「ウチから見て、弱点は何だと思う?」


「え〜と、我が軍のことを知らないことかなぁ。鉄砲が多いし大砲もあるから。」


「それくらいの情報は、得ているだろうね。

だが、それをどう使うかは知らない。

 龍造寺の弱点は、この戦いで二度と戦いができない被害を与えられるとは思っていないことだろうね。」


「それは、小太にいが逃さないってこと?」


「そうさ、戦いは1度で終わらせる。勝つだけではだめだよ、戦いの張本人を退治しないとね。

 大名達の戦が繰り返されるのは、兵達が領国の農民であるからなんだよ。戦いであまり兵士を失うと、農作に支障がでるからね。

 大負けしないうちに退却するし、長期間の戦は兵糧の損耗が激しいから追撃も程々にする。そしてまた、戦を繰り返すのさ。」


「ふ〜ん、僕達は途中で止めるような戦いをしないってことだね。」



 官軍は従前の足軽槍隊が主体の軍勢ではなかった。総数5千弱もの鉄砲隊が先方も近接を許さず、鉄砲隊でも射程距離の差で全く寄せ付けず、次々と繰り出す龍造寺軍を殲滅して行く。

 たまらず龍造寺の軍勢は、後退して木々の遮蔽物の多い山間の有利な地形に誘い込むがそんな所にのこのこ踏み込むはずもない。

 遠距離からの砲撃で、木々が倒れ、破片が

飛び散り、阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 軍勢が半壊した時点で、龍造寺隆信は諦め少数の軍勢を従えて肥後への逃亡を図るが、

背後には騎馬隊が待ち構えていて、波状襲撃を行い、ついには龍造寺隆信とその馬廻りは討ち取られたのである。



 後で内政君は、この初陣の様子を母輝姫に語ったところによると、

『小太にいの膝の上に座っていて、戦さの間は肩車は駄目って言われた。だからあんまし良く見えなかった。

 でもねぇ、僕、戦いの火蓋を切ったんだよっ。攻撃開始の合図の短銃を、僕一人で撃ったんだ。小太にいが今だ、撃てって言ったけどね。バーンっ恍惚っ。』だと語ったとか。


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