第8話 小太郎の『母偏りの親孝行』

永禄4(1561)年10月 伊豆国下田城

風間小太郎



 今年9月に、武田信玄と上杉謙信の最大の激戦、第四次川中島の戦いが行われた。

 俺は15才。毎日鍛えてはいるが重い鎧兜を着けて重い太刀などを振っては闘えない。

 咲耶母上は、土豪の妻だっただけあって、弓も薙刀も師範級で、おかげで毎朝、朝食前に母上から剣術の稽古をつけられている。

 俺にとっては、決して朝めし前ではない。


 ただ、予期せぬ嬉しいことが起きた。母上が懐妊したのだ。身重の母上だから、朝稽古は母上が見守る中、自主稽古となって母上に打ちのめされることからは開放された。

 母上は15才で結婚し、なかなか子ができずにいたが20 才の時に俺を懐妊、今は36才だから更年期出産になる。

 俺は母上と生まれてくる弟か妹のために、いろいろと用意をした。

 牛の腸と陶磁器の瓶で哺乳瓶を作った。

母乳の代わりに飲ませる乳は、山羊の乳だ。

 悪阻が始まると、匂いや味の濃いものを避け、母上が食べらる食材で侍女さん達と料理を作って、母上に喜んで食べてもらえた。

 母上が安まるようにと、母上の部屋の前の中庭を花壇と芝生の庭にして東屋を作った。

 ついでに、生まれて来る弟か妹のために、小さなブランコと滑り台も作った。

 寒い冬に備えて、母上用の厚手の綿入れや綿の入った靴下やモンペも用意した。

 下田城の部屋は、鉋屑を詰めた断熱層を設け、土壁で囲んだ断熱効果のある部屋だが、暖房としては火鉢しかないので、押し入れを取り壊して煉瓦の暖炉を作り、煙は天井裏を伝わるようにし風下の東に排気口を設けた。

 おかげで、母上の部屋がある別館全体が暖かくなっらしい。

 父上から、俺の部屋などにもほしいと言われたが、暖炉は手間が掛かり過ぎるし、押し入れを壊すことになるから、駄目と拒否。

 そのうち、源爺がストーブを作ってくれるから、それまで我慢しろと言っておいた。

 そんな父上に母上は『小太郎は、生まれて来る赤子のためにやってくれているのです。 

 暖まりたければこの部屋に来れば良いのです。と言われて、何も言えなくなっていた。


 そう言えば以前、水之尾村にいた頃の我が家は土豪に過ぎず、母上も自から何でもやり侍女なんて居なかったけど、藤原一族が警護をすることになってから、くの一と言うか、忍びの女衆が女中となって賑やかになった。

 そのうちの母上のお付きの五人が侍女なのである。赤子が産まれたばかりのくの一の宵桜が乳母に決まっているらしい。

 ちなみに俺の乳母は、金太郎と銀次郎の母で小梅といい、今は下田城下の孤児院を仕切ってもらっている。小梅の夫の木暮孫太夫は俺達が幼い頃に病気で亡くなっている。


 剣術の朝稽古だが、自主稽古をやるようになってからは、目覚ましく上達した。

 いろいろ工夫する度に、剣術の知識が身に付き、間合いや足運び、居合いや秘伝の極意も使えるようになったからだ。

 もちろんそれは成長とともに体力が付いたせいがある。俺の稽古を見て、護衛の金太郎が驚き、銀次郎と二人に手解きをすることになったけど、俺にとっては面倒なことだ。

 

 俺達三人は、源爺が作ってくれた短銃を持っている。だが単発だし、身を守るには心許ないので、小型の手榴弾を作った。

 鉄の鋭意な破片を銅で固め、中の火薬に衝撃により火打石が摩擦で点火する仕組みだ。

 欠点は、高さ5m以上から落下するのと同じくらいの強い衝撃を与えなければ爆発しないこと。持ち歩くには安全ではあるけれど。



 父上にも俺は親孝行しているよ。40才の中年になり体力が落ちてきた父上を、温泉に入ってほぐれた体の指圧をして疲れを癒やしているのだ。

 もっとも最近は父上に指圧する傍ら、年配の女中二人に教えたので、任せている。

 若い女中だと遠慮からか力が弱く、男だと力が強すぎる。羞恥心もなく、力いっぱいの年配女中が指圧にはちょうどいいのだ。

 余談だが、二人から他の年配家臣達からも指圧を頼まれ苦慮していると相談されたので父上以外は高額有料でやるように言った。

 頼まれるのも減り、二人のかなりの儲けになったようだ。


 父上の愛馬には、やや小柄だが逃げ足の速い牝馬を贈った。『大型の強い馬がいいのじゃが。』と苦情を言ってたけど『そんな馬は頻繁に戦う者達に与えるべきで、父上は危うい時にすばやく逃げるために臆病なくらいの馬が最適なんです。』と切り捨てた。

 周りの家臣達は呆れて聞いていた様だが、俺は父上の身をちゃんと心配しているのだ。




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永禄4(1561)年11月 伊豆国下田城

風間小太郎



 今日は毎月の定期評定の日だ。遠方の者達は船で昨日から来ている。

 宿泊場所の南区画は、子供らが走り回り、大人達の笑い声が聞こえ賑やかだ。

 さて評定が始まるな。俺も行かなくちゃ。


 例によって、家老の新田角兵衛の仕切りで評定が始まる。


「これより、11月の定期を始める。その前に先月は知らせなんだが、お方様が懐妊されたので知らせておく。」


「おおっ、目出度いっ。今度は姫様が生まれると良いなあ。」


「「「大殿、おめでとうございまする」」」


「うむ、皆ありがとう。」


「それでは議題に入る。まず、勘定奉行から報告をする。」


「勘定奉行の倉持大善にござる。さて、皆も担当領地の豊作や商いの売上が増えていることは、承知していよう。

 そして、伊豆領内の集計結果であるが、米の取れ高は、24万石。水田耕地1割増と豊作のおかげで、去年の3割増の24万石となった。(((おおぅ。)))

 これはほんの序の口、商いの売上は、去年の1.5倍増で石高に換算して32万石だ。

 でだ、大殿よりお達しがあり、領民の皆に特別褒賞が与えられることになった。褒賞の額は月々の棒禄の3ヶ月分、全部飲んで使うことはまかりならんぞっ。」


「「「わっはっはっはっ。」」」


「続いて、普請奉行から今冬の普請について説明する。」


「普請奉行の矢田作左衛門にござる。今冬の普請でござるが、○○川の改修と堤防工事、○○村と△△村をつなぐ街道工事、· · · 。」


 1刻ほどで予定どおり、評定は終った。


「さあ、子らが腹を空かせて、待ちかねておるぞ。宴じゃ宴じゃ。」


「お方様も出られるのかのお。お体に障るのではないか。」


「最初だけ出られるようだ。懐妊を皆に伝えたあとだからなあ。」


「それにしても、聞いたか。小太郎様のお方様への気の使い様。お方様の部屋は高床寝台ベッドがあり、暖炉という石造りの竃があって、畳の上にはうさぎの毛皮が敷き詰められているそうだぞっ。」


「そればかりでなく、綿を詰めた羽織や下穿き、靴下という足巻きまでお作りになったそうだ。」


「若殿の智慧にかかっちゃ、驚きしかねぇなっ。まあ、いずれ俺達にも回って来る訳だから、今、驚く必要はないんじゃないか。」


「そう言や、新しい酒ができたらしいぞ。

今日の宴席に出るんじゃないか。楽しみ。」


「料理だって、毎回新しいものがあるぜ。

俺達で評判を試しているらしいからな。」


 宴の始めに母上は、一同から祝ってもらい、とでも嬉しそうだった。

 この日の宴の余興には、全員に景品が当たるビンゴゲームが行われ、最後になった少年に試作の自転車が当たり、大騒ぎだった。

 ちなみに、宴の始めだけで退席した母上には、犬のぬいぐるみが当たっていた。




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永禄4(1561)年11月 伊豆国下田城

風間小太郎



 定期評定が終った数日後、上野箕輪城主(群馬県高崎市)の長野 業正が病死したとの知らせがあった。

 この数年後には長野家は、武田信玄に攻め落とされることになる。

 また、越後への侵入を諦めた信玄は、今川領への侵攻を開始することになる。

 俺は5年後のこれらの戦に備えて、伊豆領地の富国強兵と、他国の領民の救済を始めることにした。

 

 上杉謙信は、戦で無類の強さを見せ、軍神と崇拝されているが、その軍勢は寄せ集めであり、敵国に攻め入れば乱取りのし放題で、

攻め込まれた土地の領民は、男は殺され、女は犯され、子供さえも殺されるか人身売買の品として連れ去られる。

 戦国の世とは言え、その振舞いは、まさに暴徒であり、一向一揆などと変わらない。

 俺は戦場となっている上野へ、被災難民を救済すべく配下を率いて旅立った。




 武田軍の侵攻で戦場となった村々は酷いあり様だった。民達は山奥などに逃げていたが村に戻っても田畑は荒され、家は焼かれて、食料は全くなく、山菜の類を食べて飢えをしのいでいた。

 俺は配下と手分けして、そんな村々を回り伊豆へ逃げることを説いて回った。

 こうして集めた女子供老人達が大半の領民を武蔵から相模の北条領経由で伊豆へと連れ出した。

 上野領内では野盗を撃退したり、上野土豪の妨害にも会ったが、50人の鉄砲隊で時に力づくで、時に銭で話をつけて乗り切った。

 連れ出した難民の数は途中でも増え4千名余り、途中では藤原の忍び達が商人と渡りをつけて炊出しを用意し、幻庵を通じて関所の通行の許可を得ていた。それが箱根大権現のお告げによる我らの使命と告げたから。

 民達は助け合いながら、20日程掛かって伊豆までやって来た。


 伊豆の熱海に、宿舎を用意していて、やっとお腹いっぱいの白米の飯と焼き魚や根菜の煮しめなどを食べさせ、温泉に入れて休養を取らせた。

 病気や怪我をしている者達は、平次とその門下生達が治療にあたった。

 伊豆での暮らしを説明し、希望する仕事に応じて行き先を振分けて、次の移動の準備をした。

 難民達に固く言い渡したのは、伊豆に暮らす限りは生活を保証するが、犯罪行為をした者は追放するということ。

 他国に通じた者は死罪となることだ。


 孤児や母子達は、船で下田へ連れて行く。

その他の者達は、地域の代官配下が迎えに来て連れて行く。

 

 後日談だが、難民達は伊豆での豊かな暮らしに驚愕し、住民達の親切に涙したそうだ。

 孤児院へ入った子らは、孤児院長の小梅をお袋様と呼び慕ったと聞く。

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