第2話 相州乱波『風間(魔)誕生』

天文23(1554)年3月 相模国足柄郡 水之尾村

大木小太郎



 箱根権現神社から帰った翌日から、さっそく銭稼ぎを開始した。村の酒好き達を集めて

銭を預け、いつもの数倍の濁り酒を小田原の酒蔵に買いに行かせたのだ。

 そうして密かに買い集めた濁り酒を、村外れの小屋で大樽に満たし、竃の灰を入れて一晩寝かせた。

 もちろんできた。透明に澄んだ酒が。少し味も良くなっていた。きっと蔵元の違う酒を混ぜたことも良かったのだろう。

 そして、できた澄酒を小樽に分け、一族の者達を行商人に仕立てて、今川領まで売りに行かせた。

 小田原で売ると、北条家に目をつけられるためだ。売値は普通の3倍以上。試飲は一人一回だけで、お猪口の4分の1の量に制限した。少ない方が美味さが際立つからだ。

 行商の成果は大成功で、次の売買予約が相次いだ。その収入で今度は、村の女衆も動員して小田原から濁り酒を大量に仕入れた。

 もちろん、仕入れの買出しや行商に行った者達には、満足の行く報酬を与えた。

 そうして、秋蒔き麦の収穫で焼酎を作りも始めた。源爺に銅製の蒸留器を作って貰ったのだ。


 澄酒販売と並んで、駿河から茶の苗を仕入れ、山の斜面に茶畑を作った。

 そして、この時代には広まってなかった煎茶以外の茎茶、番茶、焙じ茶を作って行商で販売した。

 もちろん、農業の本命である米作りと二毛作の麦栽培もテコ入れした。

 米の籾の塩水選別、苗による正条植えだ。

 その冬は少し植付けが遅れたが、小麦や蕎も栽培した。


 これらと平行して、人の目につかない山間に牧場作り、多数の牝馬を購入して種付を行い、大型馬種の繁殖を図った。

 



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弘治元(1555 )年 閏10月 相模国 水之尾村

大木小太郎



 先月10月に改元がされ、天文から弘治に変わった。しかも今月は閏月で11月ではなく、1年13ヶ月の年の閏10月という。

 二年目の秋の収穫が一段落したこの日に、水之尾村というか一族の成人男子を集めて、夕刻から豊作を祝う酒宴が開かれている。


「皆の衆、全員おるようじゃな。儂から皆に話さなければならぬことがある。

 皆も気づいておろう。昨年春から始めた澄酒作りや米の新農法、茶畑の開墾と茎茶などの工夫じゃ。

 これらにより、この村、我が一族は以前の

10倍以上の収入を得ることができた。

 ましてや、今年は豊作のおかげもあり、以前の倍の米が採れておる。

 皆不思議に思うていたであろう。今、その秘密を明かす。小太郎、話すが良い。」


「皆の衆、今から俺の話すことは、我が一族に与えられた使命についてだ。一族以外の者に口外してはならない。

 俺は夢で弥勒菩薩様のお告げがあり、昨年春に箱根大権現に詣でた。

 そして、そこで一緒に詣でた4人と、弥勒菩薩様にお会いした。

 弥勒菩薩様は、戦乱の世で身を守ることのできない子供や女達が多勢殺されているのを見過ごせず、救いに参られたそうだ。

 だが、弥勒菩薩様は現世には自ら手を下すことができないそうで、我らに、弥勒菩薩の知恵と力を授けられ、その使命を果たせとお告げになられた。

 俺が変えた田の苗植えも、澄酒の作り方も茶の工夫も、弥勒菩薩様から授かった知識によるものだ。

 そして、見かけた者もいるだろうが隠し谷には、弥勒菩薩様からいただいた大きな馬がいる。そこでは昨年から牝馬を買い求めて、身体の大きな馬を繁殖させている。

 皆の衆に聞いてほしい。これは俺一人ではできないし、お告げを受けた5人でもできぬことだ。

 これは俺達一族で一丸となってやらなけば成し遂げられない。

 今日まで話さなかったのは、弥勒菩薩様の力を皆に見せるためだ。でなければ、信じられないだろう。」


「「「「「 · · · · 。」」」」」


「若っ、俺は承知しますぞっ。先般の改元は戦乱を鎮めるために、畏き辺りのお方が行なわれたこと。その願いを弥勒菩薩様がお聞き届けになり、若達にお告げになったものでありましょう。

 若をお選びになったのも、結束の強い我ら一族の者であるからでございましょう。」


「若、水臭いですぞ。長や若がお命じになれば、我らは疑いなど持たずに従いまする。」


「そのとおりでございます。我らとて一族の女子供ばかりでなく、我らの力で助けられる者は、救いたいと思うておりまする。」


「この中に裏切る者など、おりませぬぞ。」


「「「「そうじゃ、そうじゃ。」」」」


「 · · 、皆の衆。良く分かった。今日からは全てを皆に話して相談する。

 弥勒菩薩様から与えられた我らの使命を、皆で成し遂げよう。」


「「「「「おおっ。」」」」」


「皆の衆、詳しい話は明日からじゃ。今宵は皆の力で成し得た豊作を祝おうぞっ。」




 そう言う父上の言葉で、酒宴が始まった。

 冷たくても良い料理は、先に膳に出されていたが、温かい焼物や汁物が母上や手伝いの女衆によって運ばれて来る。酒は澄酒と麦焼酎、最近大麦から作った麦酒も少しある。


「旨いの〜、我が村の澄酒は最高に旨い。」


「駿河や甲斐では、飛ぶように売れておるそうな。小田原の酒蔵の濁り酒など、まずくて飲めぬわい。」


「ははっ、惣右衛門殿は呑兵衛だから酒など何でも良いのかと思うておりましたぞ。」


「馬鹿を申すな。一度、旨い酒を味おうてしまうと、まずい酒を飲む気がせんのじゃ。」


「はて、この焼き魚、今までにない味ですな。酒のような、だが旨味が違う。」


「角兵衛様、この焼き魚は澄酒を加えて大豆醤油で味を付けているのでございますよ。

 私達女衆は、殿方の長話の間に食べさせていただきましたわ。ほほほっ。」


「この澄まし汁も旨いな。何の出汁だ。」


「口の肥えた吉右衛門様でも、分かりませぬか。ふふっ。」


「椎茸と鰹節の出汁なのですよ。」


「なんとっ、椎茸などめったに採れまい。」


「山間の場所で、育てているそうでございますよ。炭も焼いているそうにございます。」


「なんか、明日になって、若の話を聞くのが怖くなって参りましたな。やれやれ。」


「うむ、まだまだ秘していることがありそうじゃわい。周りの村や北条家に秘さねばならぬものばかりじゃな。」


 

 

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 翌日さっそく、昼餉を食べながらの説明会が開かれた。

 最初は全体で、今までに行ってきたことを話して、次に今後やるべきことを話した。

 詳しくは、このあとの担当する仕事ごとに話し合うことにしている。


 そして、俺からお告げを成すために、俺達一族のとるべき立場について話した。


「我らは、戦をして民を死なせる大名や領主の下には付かぬ。我らの馬や武器ばかりでなく酒作りや世間が知らないことは、彼らにとって銭儲けと写り、知れば従わせ奪い取ろうとするだろう。

 だから、我らは一族として独立を保つ。

 北条家の徴兵には、ただでは応じない。

傭兵と同じく、対価を得られるなら考える。

 最初は揉めるだろう。しかし、独立しなければ、我らの使命を果たすことはできない。

 我らの力を知らしめれば、北条家も独立を認め助成には対価を払うだろう。

 そうすれば、北条の命に従わなくても良い戦ができる。」


「若っ、我らはどんな戦い方をするのですかっ。」


「まずは、今揃えている最新式の鉄砲を用いる。次に誰でも使える弓を用いる。

 その次は大馬を揃えて騎馬と鉄砲での戦いをする。皆にはその鍛錬を始めてもらう。」


「若、我らの名乗りを変えた方が良いのではありませぬか。水之尾衆や大木家では、村衆に過ぎないと侮られますぞ。」


「うむ、そうだな。ご先祖様の名をもじり、風間衆としようか。

 皆に用意する鎧兜は、独特のものだ。顔は覆面に近い。旗印は用いない、戦いの邪魔になるからだ。

 我らは、姿形と比類なき武威で、敵に知らしめるのだ。」


「おお、風間ふうまでござるか。ふふ、武田の風林火山のような響きですな。」


「良い名乗りと思います。この名乗りを天下に轟かせましょうぞ。」


「すると、若の名乗りは、風間小太郎でありますな。良い響きですっ。」



 こうして『風間一族』が誕生した。後年、その圧倒的な強さから『間』の字を『魔』

に置き換えて、『風魔』と呼ばれる。


 未来の歴史では、この年10月安芸厳島で毛利 元就が陶 隆房を破り敗死させている。

 翌年の4月には美濃の斎藤義龍が長良川の戦いで、父親の斎藤道三を討ち取る。



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