第23話 実戦の後始末
東の森で鷲獅子を退治した翌日、ヒルデガルトとローレンツは再び辺境伯の屋敷の庭に造られた練習場にいた。
「昨日は初めての実戦でしたが、攻撃魔法をしっかりと撃てましたし、何より騎士見習いを救った回復魔法は見事でした。」
「ありがとうございます。でも、あの大きな鷲獅子には全く歯が立ちませんでしたわ。」
ローレンツはまずヒルデガルトを誉めたが、ヒルデガルトは攻撃魔法がほとんど効いていなかったことで力不足を痛感しているようだ。
「『氷刃』の魔法は、それを避けようとした鷲獅子をしっかりと追いかけて、命中していました。これは少し前まで止まっている的に矢を当てられなかったのに比べれは、大した進歩ですよ。」
「はい。魔法を放つ時に刃が当たるところを明瞭に想像できて、そのとおりの場所に当たりました。」
「それで、何が不満なのですか?」
「学院長様は『炎の槍』で鷲獅子を見事に一撃でお倒しになられましたが、私の『氷刃』はそれほどの力はありませんでした。これでは、とても独りで自分の身を守るには足りないのではないでしょうか?」
「それは高望みと言うものです。鷲獅子は熟練の騎士が数人かかりでも苦戦する強力な魔獣です。魔導学院で10年程度学んだ魔導師でも下手をすれば返り討ちに遭うでしょう。まして、あなたはまだ修練を始めたばかりの身。目標が高いのは良いですが、身の丈に合わせて、一歩ずつ高みを目指すことです。」
「はい・・・」 悔しそうにうなだれるヒルデガルト。
「一つお話をしましょう。」ローレンツはヒルデガルトを正面から見つめて切り出した。
「あなたは、昨日、『氷刃』の魔法で鷲獅子を切り裂こうとした時に呪文を詠唱し、さらに鷲獅子を切り裂くように手刀を切りました。一方で『氷の矢』を放つ時には短く『氷の矢』とだけ言っていましたね?」
「はい。」
「それはなぜですか?」
「なぜ?」唐突なローレンツの問に、ヒルデガルトは右の人差し指を顎に軽く当てながら考え込んだ。
「強い魔法は呪文を唱えなければ発現しないからでしょうか?」おそるおそるヒルデガルトは答えた。
「ハズレです。」試験を受けるような弟子の様子に苦笑しながらローレンツがダメ出しをした。
「残念ながら私たち人間が現在使っている言葉それ自体に『力』はありません。遠い昔には言葉が力を持っていて、その力は『言霊』と呼ばれていたと伝わっています。」
「言霊、ですか?」
「そう、言霊です。では、言霊が失われた今でもなぜ呪文を唱えるのか。それは自身の言葉によってイメージを明確にし、魔力に一定の方向性を与えて、具現化するためです。つまり、自分の頭の中ではっきりとしたイメージを結ぶことができるなら、わざわざ言葉に出す必要はありません。」
そう言ってローレンツが人差し指を的に向け、真剣な目をした瞬間、その指先から三日月型をした炎の刃が飛び出し、的を切り裂いた。
「今のはヒルデガルト、あなたが昨日放った『氷刃』を炎で作り直したものです。言葉に出さなくても同じものができるのが分かりますか?」
「はい・・・」ヒルデガルトは切り裂かれた的を見ながら、少し呆気に取られたような口調で答えた。
「では、強力な魔法になればなるほど、呪文が長くなるのはどうしてなのでしょうか?」
「それは自らがこれから放とうとする魔法のイメージを積み重ね、明確にしながら魔力を練るためです。はっきりと言葉に出すことで全身に広がっている魔力を一つの方向に収斂させやすくなります。」
「想像力さえあれば、魔法は創り出せるということでしょうか?」
「はい。魔力は元々形を持ったものではなく、自由なものです。魔術はそれを術者の望む形にして現出させる技術であり、魔法はその現出した魔力の姿です。ただ・・・」
「ただ?」
「細部に至るまで明確にイメージを形作ることができなければ、綻びが生じ、魔力が漏れて威力が落ちたり、最悪の場合には魔力が暴走してしまうことがあります。このため、魔導省の研究所では綻びの無いイメージを作り出すための術式、それを言葉にした呪文を研究しています。」
ローレンツの説明にヒルデガルトの顔が納得したものになっていく。
「理屈は分かってもらえたと思いますので、あとは体に覚え込ませるために繰り返し練習してください。」
「ありがとうございます、学院長様。しっかりと練習いたしますわ。」
そう言うとヒルデガルトは再び的に向かい、一つずつ確認するように魔法を放ち始めた。
**********
「ご修練中に失礼いたします。」
ヒルデガルトとローレンツが庭の練習場で魔法を操る練習を続けているところに侍女のハンナが声を掛けてきた。
「旦那様がローレンツ学院長様とお嬢様をお呼びでございます。水晶の間にお運びくださいませ。」
飛び交う魔法にも顔色を変えることなく、ハンナはごく落ち着いた口調で用件を告げる。
「あら、ハンナ。わざわざありがとうございます。お父様はどのような御用かしら?」
5本の『氷の矢』を的の中心を囲むように命中させたヒルデガルトは、少し汗ばんだ額に白金色の髪を数本張り付かせながら振り返って笑顔を見せた。
「学院長様とお嬢様にお客様がお見えになり、旦那様がお相手をなさっておられます。」
「まぁ。私と学院長様にお客様ですか?」心当たりが無いヒルデガルトは小首をかしげて不思議そうな表情を浮かべる。
「はい。立派な騎士がお二方いらしております。」
「分かりました。着替えてから向かいますので、お父様にはそのように伝えてくださいな。」ヒルデガルトはハンナに頼むとローレンツに向き直った。
「学院長様、お聞きになられたとおり、お客様が見えられたとのことですので、申し訳ありませんが練習を中断してもよろしいでしょうか?」
「もちろん。私にもお声がかかったようなので、ご一緒しますよ。」ローレンツはそう言うと服に付いた埃を払い、裾を引っ張って服装を整えた。
(第三騎士団が礼にでも訪ねてきたか。アルテンシュタットの名は出さなかったが、存外早く探り当てたな。手がかりを与えすぎたかな。)
**********
アルテンシュタット邸の二番目の客間である「水晶の間」の前でヒルデガルトは一度深呼吸をした。
「ヒルデガルト参りました。」扉をノックし、名前を告げると父であるヨーゼフから中に入るよう声が掛かった。
ローレンツが扉を開き、ヒルデガルトが先に部屋に足を踏み入れる。
ヒルデガルトとローレンツを入ってくると、ヨーゼフは立ち上がって、手を差し伸べながら二人をソファの方に呼び寄せた。
「我が領地アルテンシュタットの魔導学院長をしているローレンツ・ヘクスターと娘のヒルデガルトです。」ヨーゼフは二人の騎士にヒルデガルトたちを紹介した。
「ローレンツ・ヘクスターでございます。」
「ヒルデガルト・フォン・アルテンシュタットでこざいます。」
ローレンツは自ら名乗り、右の拳を左肩に当てる礼をし、ヒルデガルトはスカートを摘まんで膝を折り、淑女の礼をした。
「こちらは第三騎士団のロートリンゲン団長とザーレ教官だ。」
ヨーゼフがヒルデガルトとローレンツに来客を紹介すると、二人の騎士うち一人は立ち上がり、右の拳を左肩に当てる礼をした。
「第三騎士団の団長を仰せつかっております、ジークフリート・フォン・ロートリンゲンです。」
もう一人は右膝を床に突きながら右の拳を左肩に当て、頭を下げながら名前と口上を述べる。
「第三騎士団で騎士見習いの指導を担当しているマリウス・フォン・ザーレでございます。昨日は、ローレンツ学院長殿と辺境伯のお嬢様におかれましては危ないところに大変なご助力を賜り、改めて厚く御礼申し上げます。」
そう述べた後、ザーレはさらに深く頭を下げた。
「お二人は昨日のお礼にと、わざわざこちらまでお運びくださった。」ヨーゼフは穏やかな声で二人の騎士の来訪の理由を説明したが、ローレンツを見る瞳は険しい。愛娘のヒルデガルトを魔物が出る東の森に連れていったことも腹立たしければ、師匠と弟子とはいえ男性と二人で外出したことも忌々しい。
そんなヨーゼフの視線に気付かないふりをして、ローレンツはザーレの前に膝を突き、右の拳を当てているザーレの左肩に手を添えた。
「できることをしたまでで、このように畏まられては逆に恐縮します。幸い大きな被害も出なかったのですから、それで良しとしませんか。」
(我ながらきれいごとを言ってるなあ。)そう心の中で苦笑しながら、顔にはにこやかな微笑みを浮かべながら、ザーレを立ち上がらせるローレンツ。
(まあ、東の森に連れ出したことを美談に仕立て上げないと、娘を溺愛している辺境伯が怒りそうだしな。)
「いや、重症を負った騎士見習いの命をお救いいただいたことは、彼自身だけでなく、彼の家族さらには我が第三騎士団にとっても僥倖でした。」団長のロートリンゲンが引き取るような形でローレンツとヒルデガルトに礼を述べる。
「ローレンツ学院長殿の炎の魔法の威力は素晴らしく、鷲獅子を一撃で屠ったとか。また、お嬢様の治癒と回復の魔法で騎士見習いが一命を取り留めたと報告を受けております。」
「ロートリンゲン殿からそう言っていただけるとローレンツの雇い主としてもヒルデガルトの父としても誇らしく思います。」
ヨーゼフはロートリンゲンに向かって、そうローレンツとヒルデガルトを誉めるが、ヨーゼフもロートリンゲンもその瞳は笑っていない。互いに武門の貴族としてライバルでもあるためだ。
「しかし、ローレンツが申すとおり、二人ともできることをしたまでで、将来王国を背負う騎士見習いを救えたこと、それ自体が神の恩寵であり二人にとっての何よりの褒美。大袈裟にすることもないでしょう。幸い何の被害も出なかったのですし。」
ヨーゼフは娘の手柄として世間の注目が集まらないよう、話を小さくしてまとめにかかった。
「辺境伯にそうおっしやっていただけると、第三騎士団を預かる身として少し気が楽になります。東の森に予想外の魔獣が出たことには驚きましたが、大事に至らず幸いでした。」 ヨーゼフの意図に気付いたのか、ロートリンゲンも過大な恩を着せられないよう、有望な騎士見習いが無事だったことで良しとする方向でまとめるつもりのようだ。
「今後、気を引き締めて後進の指導に当たりますので、軍務省におかれましても引き続きご支援を賜れれば幸いに存じます。」ザーレがそう言ったところで区切りが付き、ロートリンゲンとザーレがローレンツと握手を交わした。
「ローレンツ学院長殿、もし実戦の場に戻られるご希望があれば、第三騎士団はいつでも歓迎しますよ。」握手をしながらロートリンゲンはローレンツにこっそりと耳打ちしたが、ローレンツはそれには答えず、曖昧な笑みを浮かべただけだった。
「アルテンシュタット嬢にも大変お世話になりました。社交界にお披露目される暁にはぜひエスコート役をお申し付けください。」ロートリンゲンはヒルデガルトの前に膝を突き、軽く彼女の手を取って唇を当てるふりをしながら、近々機会が訪れるであろうヒルデガルトのお披露目のエスコートを買って出る。
その所作は貴族の礼にかなったものではあったが、ロートリンゲンを見つめるヨーゼフの視線は射殺すような鋭いものとなっていた。
**********
ロートリンゲンとザーレがヨーゼフたちの前を辞し、部屋にはヨーゼフたち3人が残されると、ヨーゼフはおもむろに口を開いた。
「さて、学院長殿、東の森で鷲獅子と戦ったことについて報告を受けていなかったが、話を聞かせてもらおうか。」
重々しいヨーゼフの声に、ローレンツとヒルデガルトは部屋の温度が急激に下がったような錯覚を覚える。
(あちゃー。騎士見習いの命を救ったという美談では、辺境伯を誤魔化せなかったか。)ローレンツは頭を抱えたくなったが、表情には出さず、第三騎士団の教官ザーレと4人の騎士見習いが鷲獅子と戦い、騎士見習いの一人が重症を負ったこと、ヒルデガルトの魔法と自身の魔法で鷲獅子を退治したこと、ヒルデガルトの魔法で騎士見習いが一命を取り留めたことをごく淡々とした口調で説明した。
ロートリンゲン、ザーレと三人で話していた際に聞いた話とも矛盾はなく、それはそのとおりなのだろう。
しかし、まだ満足に自分の身も守れないであろうヒルデガルトを鷲獅子との戦いに巻き込んだことは、娘を溺愛するヨーゼフとしては看過できないところだ。
「ヒルデガルトはまだまだ未熟で、鷲獅子のような強力な魔獣と戦うのは非常な危険が伴う。なぜ、速やかに逃げず、逆に戦うことになったのか。」ローレンツに対して、ヨーゼフの厳しい叱責が飛ぶ。
「お父様、学院長様は私に逃げるようにおっしやってくださいましたが、私が助けに行くと決めたのですわ。」ヒルデガルトは毅然とローレンツをかばった。
「私も武門の娘です。魔物に襲われ、苦戦している騎士の方たちを見捨てて逃げては、アルテンシュタット家の名折れにございます。」
「確かに、それはヒルデガルトの言うとおりだが・・・しかし、お前は女でしかもまだ子どもだ。鷲獅子のような強力な魔獣が相手では逆に足手まといになり、味方を危機に曝す恐れもあっただろう?」ヨーゼフは諭すような口調でヒルデガルトに語りかける。
「お言葉ですが、伯爵。」二人の会話にローレンツが割り込んできた。
「お嬢様は見事な魔法で重症を負った騎士見習いの傷を癒し、命を救われました。すでに一人前の神官や治癒術師に勝るとも劣らない技倆をお持ちで、ザーレ殿も私も感服したところです。」
「結果としては確かにそうなのだろう。しかし、鷲獅子は時として騎士の3、4人が束になってかかっても苦戦する魔獣。騎士見習いや魔術師見習いが戦うべき相手ではない。」
「お父様、もしレオンハルトが同じような状況に陥った場合でも同じことをおっしゃいますか?」ヒルデガルトが落ち着いた口調でヨーゼフに問いかけた。
「それは。」痛いところを突かれて、即答できないヨーゼフ。
「レオンハルトも今年、アルテンシュタットに行けば騎士見習いとして今回と同じように強力な魔獣と相対することもございましょう。力及ばず大怪我を負うこともあるかもしれません。もしそうなったときには、私は迷い無くレオンハルトを助けに参りますわ。」
「う、うむ。」予想だにしなかったヒルデガルトの反論にヨーゼフは口詰まる。結果としては被害はごく軽微なものと言えたが、それでもやはり愛娘に危険なことはさせたくない。それが親心というものだろう。
「分かった。ヒルデガルトの言うとおりだ。だが、こんな危険なことは今後はして欲しくない。」ヨーゼフの言葉は辺境伯としてではなく、一人の親としての切実なものであったろう。
ヒルデガルトとしても、ヨーゼフが自分を大切に思ってくれているからこその言葉だと分かるので、ありがたくて、また心配をかけてしまったことが心苦しくて涙がこぼれそうになった。
「お父様。私のことをそんなにも大切に思ってくださって、ありがとうございます!」 そう言ってヒルデガルトがヨーゼフに抱きつくと、ローレンツの手前、困った顔になりながらもヨーゼフはヒルデガルトの頭を優しく撫でるのであった。
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