第62話 『アニメ玉手箱』との出逢い、もしくは再会の話
さて、私の人生に大きな影響を与えることとなったラジオ関西のアニソン番組『アニメ玉手箱』との出逢いについて語ろう。
31話で語ったとおり、『アニメ玉手箱』のルーツはラジオ関西の
岩崎氏が1986年4月から同僚の
同時期に岩崎氏は『歌謡天国』の流れを組むリクエスト番組『歌謡曲まかせなさい』もやっていたが、放送時間が早かったこともあり、関東地方で聴取するのは無理だった。
高校生になり、『アニメージュ』のアニラジ紹介ページでも『アニメ玉手箱』の紹介がされていたが、関東では関西のラジオ聴取は無理だと思っていた私は気にとめていなかった。しかし、友人のHちゃんが『アニメ玉手箱』を自宅のラジオで聞いたという話を聞き、私も聞いてみたくなったのだ、なお、Hちゃんはその後リスナーにはならなかったので、『アニメ玉手箱』の話を出来る相手は事実上いなかった。
私がいつから『アニメ玉手箱』を聞いていたかははっきり覚えていない。前話では「金曜」と書いていたが、ファンの情報による放送時間まとめページによると、日曜、土曜、金曜とちょくちょく変わっていた。主に25時開始の二時間番組だったので、120分テープをタイマー録音にしておき、途中で寝てしまってもいいようにしておいた。深夜で家族は寝ていることもあり、大きな音は出したくなかったので、暗闇でラジオにイヤホンを差して聞いていた。
私がリクエストを始めたのも『アニメ玉手箱』の途中からだ。1986年12月に「リクエストのペンネームは20音以内」と決められたので、私もこの法則を守ってペンネームを決めた。
「大田康湖」の前にキャッチフレーズ的に入れたのが「パーマニアの指定席」。この「パーマニア」というのは「パーマンのマニア」という意味で、藤子不二雄Aのコミックエッセイ『パーマンの指定席』のもじりだった。もっとも、藤子A氏は「ゴルフのパー」の意味で使っていたようだが。いつか私が『パーマン』について本を書くことがあったら使いたいと空想していたタイトルである。結局この名前は私のサイト名として使われることとなる。
次回は1987年に起こった藤子不二雄のコンビ解散等について語りたい。
参考サイト
『webエトランゼ ~青春ラジメニア・エリア外リスナー交流会公式サイト』
www.joy.hi-ho.ne.jp/kabochan/etranger/index.html
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