第31話 塾のこと、深夜ラジオ、『Last D・J』などの話
中学時代、私の得意学科は国語と社会、苦手な学科は数学と英語だった。東京時代は学習塾に通っていたが、引っ越し後は近くに塾もなく、勉強はテスト前にする程度だった。しかし高校受験を控えるとそうも言ってられず、中三になった私は水戸駅前の進学塾に通うことになった。塾に通うと当時毎日夕方に放送していた『パーマン』が見られなくなると密かに心配していたのだが、幸い1985年4月から『パーマン』の代わりに『オバケのQ太郎』が始まり、私の心配は一つ回避された。『パーマン』が移動した時間は火曜日19時で、見られない日はラジカセのタイマー録音で対処することとなった。
塾のある水戸駅までは路線バスで通う。夕食が遅くなるというので、母親はいつも間食としてブロックタイプのカロリーメイトのフルーツ味を持たせた。私がカロリーメイトを食べたきっかけだ。カロリーメイト自体は1983年に発売開始で、フルーツ味は1984年発売という新顔だった。塾の行き帰りには駅にある書店に寄り、アニメ雑誌やマンガを立ち読みしていた。
自室で夜勉強したり、読書や小説を書くとき、ラジオ番組はいいお供だった。プロ野球のナイター中継を聞いた後、NHK-FMの『青春アドベンシャー』などを挟んで、22時からは地元の茨城放送のラジオ番組『若者通り22時 夜はこれから』に回すのが通例だった。私が聞いていたのは演歌歌手・
私のカクヨムにサルベージした作品にラジオ番組をテーマにした『Last D・J』という小説があるが、この『若者通り22時 夜はこれから』の記憶がイメージソースになっている。
そして、私が初めてペンネームを使ったのが『若者通り22時 夜はこれから』への投稿ハガキだった。この時のペンネームは「
ある夜、ナイターが早く終了し、他局で何か放送していないかラジオのダイヤルを回した私の耳に、『UFOロボ グレンダイザー』ED「宇宙の王者 グレンダイザー」が流れてきたのだ。小学生時代、リアルタイムで見ていた大好きな曲との再会に私は興奮する。その後もアニメソングを流していたが、どこのラジオ番組かは結局分からなかった。実はこの番組はラジオ関西の
次回からは合唱部時代の話を始めたい。と思ったが、その前につくば万博等の話をしたい。
『Last D・J』
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