第七幕 乾坤一擲!


 俺たちは慎重に埠頭を進んでいった。次第に交易船の大きなマストが前方に見えるようになってくる。


 そして交易船が停泊している場所へ辿り着いた時、ついに明らかな異変を目撃。それを目の当たりにして、俺もルナも思わず呆然と立ち尽くしてしまう。


「なんなの……これ……?」


「みんな気絶させられているようだな……」


 船の周りには警備をしていたと思われる人間が数人、地面に倒れ込んでいた。松明が焚かれたままになっているから、ほんの少し前までは意識があって、きちんと見張りの役割を果たしていたんだろう。


 俺は一番手前で倒れている男へ慎重に近寄り、脈と呼吸を確認してみる。


「うん、死んではいないようだ。目立った外傷も見られない」


「つまり魔法か薬品あたりで気絶させられたって感じかな?」


「そんなところだろうな。しかも抵抗しようとした痕跡がないから、不意打ちだった可能性が高い」


「……かもね。今まで以上に慎重に行こっ」


 俺たちは意識を前後左右上下に向けながら、桟橋を一歩一歩を進んでいった。そして甲板から船室へ入ったあとは、船倉へ向かって階段を降りていく。






 ――辺りは不気味なほど静まり返っている。


 船内には船体に使われている木やホコリ臭さが漂い、通路に掲げられたロウソクの弱々しい光だけが辺りを照らしている。もはや月や星の光は見えない。


 この明度は俺なら問題ないが、ルナはおそらく心許ないはず。だから前を俺が歩き、後ろから付いてくるルナには離ればなれにならないよう上着の隅を摘ませる。


 やがて通路の先に広まった空間が見えてくる。おそらく大きな荷物を積むためのスペースだろう。そこには多くの灯りが掲げられ、浮かび上がるように見えている。そしてその空間の真ん中にある柱には、誰かがロープで縛り付けられているようだ。


 俺たちは荷物の影に隠れ、顔を半分だけ出して様子をうかがう。


「なっ?」


 縛り付けられているのはなんとビッテルだった。猿ぐつわを噛まされ、自由が利くのは首だけとなっている。


 直後、ルナが『打音通信』で俺に何かを伝えようとしてきたので、周りの警戒を続けつつそちらにも意識を向ける。


『あれって例の優男だよね? なんで捕まってんの?』


 それに対し、俺も『打音通信』で返事する。


『やはり先客がいるってことだ。ルナ、気を抜くなよ?』


『分かってる』


『悪いが計画を変更する。俺はビッテルを助ける。アイツには助けに来たとでも説明すればいい。それなら積み荷を盗みに来たって理由を誤魔化せるはずだ』


 俺がルナの手を指で叩いてそういう意味を伝えると、彼女はかすかに吹き出した。


 レストランの時にも似たようなことがあったが、いくら周りにはバレない程度でもこうして表情に出すのは好ましくない。打音通信をする意味が薄れる。


 それにそもそも今、伝えた内容の中にどこか笑うところがあったか?


『バラッタならそう言うと思った。あんたって仕事は最後までやりきるって信念があるけど、例外があるもんね。命の危機に瀕している人を目の当たりにした時は、その人を助ける方を優先するって』


『……うるせぇよ』


『金品を拝借する仕事をする時だって、絶対に貧乏人は狙わないもんね?』


『っっっ。救出に行くぞ? 周りを警戒してろ、バカ』


 俺はそう伝えると、返事を聞かないままルナの手を離してビッテルのところへ歩み寄った。充分に周囲を警戒しながら、一歩ずつ慎重に――。


 そしてある程度まで近付いたところでビッテルは俺たちの接近に気付き、動かせる範囲で必死に体をばたつかせる。そのせいでガタガタと物音が立ち、俺は心臓が止まりそうになる。


 ルナも目を丸くしながら周囲をキョロキョロと見回している。


「……バカ、静かにしろ。俺たちはお前を助けに来たんだ」


 俺は慌てて指を口に当て、眉を吊り上げながらビッテルの耳元で囁いた。


 だが、ヤツは依然として体を動かすことをやめず、俺を真っ直ぐ見つめて必死に何かを訴えかけようとしている。


「んーっ!? んーっ、んーっ!」


「だから静かにしろよ。分かってるよ。今、猿ぐつわを外してやる」


 俺はビッテルの横へ回り込み、口に咥えさせられていた布きれを解いてやる。


「ぷはっ! バラストっ、これはワナですっ!」


「何っ!?」


 俺は慌てて振り向いた――が、すでに遅かった。


 視線がフロアの上方へ向いた時、梁の影から何者かがナイフを放っていたのだ。


 銀色の刃がロウソクの光を反射して焔色に煌めきつつ、真っ直ぐ俺に向かって飛んでくる。その動きがスローモーションになって見えている。もはや避ける余裕はない……。






「バラッタァアアアアアアァーッ!」


 絹を裂いたようなルナの叫び声。それと同時に俺の全身に重い衝撃が走った。


 気が付けば俺は突き飛ばされ、床に倒れ込んでいた。何が起きたのか分からず、慌てて体を起こす。


「ぐ……うぅ……」


 じんわりと床に広がっていく赤い液体。それは俺のすぐ隣でうつ伏せに倒れているヤツの肩から流れ落ちている。そこには俺の体に当たるはずだったナイフが突き刺さって……。


 倒れ込んでいるのはルナ。彼女は苦痛に顔を歪ませ、体を小刻みに震わせている。



 ルナ……俺を庇って……ッ!?



 それを理解した瞬間、俺は全身が震えた。頭の中が真っ白になった。寒気がして胸が締め付けられた。


「ルナァアアアアアァーッ!」


 俺は這うようにして無我夢中でルナに近寄り、上半身を抱きかかえて強く抱きしめた。そしてすぐに俺は上着を脱いでそれを力任せに引きちぎり、彼女の傷口の周りを強く縛り付けて止血する。


 この程度の出血なら、すぐに適切な処置をすれば命を落とすことはないはず。それとこういう場合、すぐにナイフを抜くと出血が酷くなってむしろ危険だ。


 俺は夢中で応急処置をした。この隙だらけの状態では攻撃されても防ぐことは出来ないだろう。


 でも俺なんかどうなってもいい! ルナさえ助けられれば!


 健康的できれいな肌にナイフの傷が付き、そして赤い血で染まっている。それをあらためて認識した瞬間、息苦しくなってきて全身が大きく震える。こんな目に遭わせたヤツに対して殺意が湧いてくる。


「余計な邪魔が入ったか……」


 ルナを傷付けたヤツは軽い身のこなしで梁から床へ降りてきた。


 ソイツはローブのような服で全身を覆っている上、布で覆面をしている。性別や年齢、素性などは全くの不明。ただ、声の感じでは中年くらいの男のようだが。


「許せねぇ……よくも……よくもルナをーッ!」


 俺はローブの男を呪い殺す勢いで睨み付けた。噛みしめた奥歯がゴリゴリと音を立てている。


 ルナをこんな目に遭わせやがって、絶対に許さねぇ。相手がどんなやつだろうと関係ねぇ。差し違えてでもアイツを――


「落ち着いて……バラッタ……。あたしは……大丈夫……だから……」


「ルナっ!?」


 ルナは俺の腕を弱々しく握りしめ、声をひねり出していた。そして狼狽える俺と目が合うと、必死に頬を緩める。


「我を……失ったら……くっ……相手の思うつぼ……だよ……はぁ……っ……」


「バカ、無理して喋るな! 分かってる! 頭は冷えてるっ!」


「ぅん……」


 穏やかな笑みを浮かべ、ルナは大人しく口を閉ざした。カッカしていた俺の頭が少しはクールダウンしたのを見て、安心したのだろう。


 その後、俺はフロアの隅に置いてある木箱へルナを優しく寄りかからせると、怒りを堪えながらあくまでも冷静に覆面男へ声をかける。


「テメェは何者だ? 俺が気付かないほど、完全に気配を消すなんて素人じゃねぇな?」


「同業者……とだけ言っておこう……」


「やられたぜ。今、ようやくテメェの真の目的が分かった。狙いはビッテルの命や交易船の積み荷じゃねぇ。俺の命だな?」


「さすが察しがいいな。やはり貴様は今のうちに消しておかなければな。のちのち厄介な存在になることは明白……」


「どういうことですか、それは?」


 縛られたままのビッテルが訝しむような声で訊ねてきた。


 おそらく眉を曇らせているんだろうが、そっちを向いて確認をすることは出来ない。そんな隙を作れば覆面男にアドバンテージを与えちまう。ヘタすりゃ一気に命を持っていかれかねない。


 だから俺は視線を覆面男に向けたまま、その問いかけに答える。


「お前は囮だったんだよ。拘束して待ち伏せていたのは、俺の隙を生み出すためだったってことさ。俺がここへ忍び込んで『仕事』をするってことまで予測してな」


「そんなっ!?」


「くそ……。レストランの時点ですでに仕組まれてたんだな……。俺とビッテルが関わり合いを持つことまで計画のうちだったのか……」


 俺がそう呟くと、覆面男はかすかに目元を細めた。つまりそれは肯定したと捉えていいだろう。


 つまりふたり組がビッテルを狙っていたのは、俺を嵌めるための撒き餌。それにまんまと引っかかったワケか。我ながら自分のマヌケさが嫌になるぜ……。


「貴様が商人に対して快く思っていないということは調査済みだ。そして知り合ったビッテルが商人だと分かれば、幼稚な行動を起こすことは容易に想像できた。所詮、まだまだ未熟なガキだな」


「……うるせぇ」


「監視を付けさせ、今夜動く気配があると察知して私はこうして待ち受けていた。相手が商人というだけで腹を立て、事に及ぶとは愚かなことよ」


「うるせえって言ってんだよ!」


 皮肉たっぷりの言葉を淡々と喋る覆面男に対し、俺は思わず声を荒げて叫んでしまった。


 図星だから何も言い返せないし、ヤツの手のひらで踊らされていた自分にも苛立ちと悔しさと情けなさが膨れあがっていく。



 ギルドの若手の有望株なんて、聞いて呆れるぜ……。



「面白いことを教えてやろう。まれに商人の中にも真っ当なヤツがいる。ビッテルはまさにそういう男だ。儲けたカネで薬や食料を買い、貧しい者たちへ無償で配布している。多くの商人にとっては、儲けの障害となる邪魔者よ」


「なんだとっ!?」


「……えぇ、僕のことを快く思っていない同業者はたくさんいるでしょうね」


 落ち着き払ったビッテルの声が後ろから聞こえてきた。強い意志を感じるハッキリとした声と口調。あの頼りなさそうないつもの姿からは想像もつかない。




 ――いや、待てよ? 俺が貧民街で物乞いの仕事をしていた時、コイツは凛々しい顔つきをしていたような気がする。話し方も今とよく似ている。


「っ!? そうかっ、ビッテルが貧民街にいたのは貧しい連中に施しをするためかっ!」


「富はみんなで分け合うものです。一握りの者だけが豊かな暮らしをして、多くの者が貧しさや飢えに苦しむ――そんなの僕は間違っていると思っています。働かざる者食うべからずとは言いますが、働いても食べられない人だってたくさんいる。僕はそういう人たちを助けたいのです」


「バラッタよ、お前はこういう男を貶めようとしたのだ。自らの愚かさが理解できたか?」


「……くっ!」


 表情は見えないが、覆面男がせせら笑っているのがハッキリ感じ取れた。


 だが、それも当然だ。俺はビッテルをひとりの人間として真っ直ぐ見ようとせず、単に商人だからと一括りにして毛嫌いしていた。


 ――いや、本当はそんなことくらい分かっていたのに、見て見ぬ振りをしていた。片意地を張っていた。愚か者だとそしりを受けて当然だ。俺は大バカだ。


「バラスト――いえ、本当の名前はバラッタなのですね? どうか気にしないでください。商人を恨んでいる人がたくさんいること、自分が商人だからこそよく分かっています。残念ながら、清廉な商人は少ないですからね」


「ビッテル……」


 ビッテルの言葉の一つひとつが胸に深く染みこんでくる。その穏やかで優しい声は、長年傷付き続けてボロ雑巾のようになった俺の心を癒していく感じがする。


 思わず涙が零れそうになるのを必死に堪え、俺はあらためて覆面男を睨み付ける。


「別れの挨拶は済んだか? まずは目障りなバラッタを消してやる。そのあとで残りのふたりも始末してやろう。三人一緒ならあの世でも寂しくなかろうて……」


「チッ!」


 俺は腰に差していたナイフを手に取り、すかさずビッテルを拘束していたロープを切った。そして覆面男を視線で牽制しながら、ビッテルを背にするようにして前に出る。


「ビッテル、お前はルナを連れて逃げろ! 時間稼ぎくらいはしてやる」


「僕に対して負い目を感じているのですか?」


「ンなワケがあるか! ルナのことを頼みたいだけだッ!」


「っ……嘘ですね、それ?」


 わずかに笑いの混じったようなビッテルの声が後ろから聞こえてくる。


 だが、今はそれがなんだか心地いい。まるで悪友同士で冗談を言い合っている時のような、そんな穏やかな気持ち――。




「……ルナのこと、頼んだぞ」


 俺はそう告げると同時に、覆面男へ向かって決死の覚悟で斬りかかった。


 なんとしてもこの場は食い止めてみせる。ルナとビッテルの逃げる時間は俺が作る。この命に代えても……。


 俺はナイフを握りしめ、覆面男に向かって休むことなく攻撃を繰り出していった。


 だが、ヤツもナイフを取り出してそれをやすやすと弾き、こちらの力や勢いを受け流していく。もちろん、俺は決して力任せに振り回しているだけじゃないのに全く当たらない。動きを完全に見切られている。



 くそ、相手の方が明らかに何枚も上手だ。むしろこちらは少しずつ反撃を食らい、体のあちこちに切り傷が出来て血が滲んでいる。



 どれも致命傷にはほど遠い傷だが、それでも長期戦になれば圧倒的に不利。どんどん体力を奪われ、いつかは決定的な一撃を食らってしまうだろう。その気持ちが焦りを生んで、さらに攻撃が届かなくなる。


「くっ!」


「どうした、若造?」


 声の感じから、覆面男にはまだまだ余裕が感じられた。こっちはかなり体力を消耗しているっていうのに、全く息を切らしていない。化け物か、コイツは?


 いずれにしても、このままではジリ貧だ。こうなったら一か八か、捨て身の覚悟で攻撃を繰り出すしかない。


 そう判断した俺は反撃された直後に出来る一瞬の隙を狙い、ダメージ覚悟でそれをあえて避けずにナイフを突き出す!


「うぉりぁああああぁーっ!」


「ふっ……」


「なっ!?」


 覆面男は俺の一撃を空いている左手で受け止めた。俺と同じようにダメージ覚悟で……。


 もしかしたらヤツはこの瞬間を待っていたのかもしれない。俺に決定的な隙が出来るこの状況を。しまったと思った時はもう遅かった。


「――ぐっ!」


 頭のテッペンから足の指先まで突き抜ける、猛烈な痛み――。


 腹の辺りには高熱を感じ、心臓の鼓動に合わせて激痛が脳に響き続ける。そのあまりの苦しみに目の前が暗くなり、足がふらついて倒れそうになる。


 だが、俺は奥歯を噛みしめ、根性でなんとかそのまま踏み留まった。



 腹に出来た大きな刺し傷から滴り落ちる血。ただ、反射的に体を動かせていたのか、思った以上に一撃は浅い。


 もっとも、もう反撃なんて出来そうにはない。例え攻撃を繰り出したとしても、力もスピードもない一撃を避けるのは簡単だろう。逆に覆面男はいつでも俺にトドメを刺すことが出来るはず。






 もはや勝負は決したか……。


 いや、俺はこの命が尽きる瞬間まで絶対に諦めない。諦めた時点で全ては終わり。最後の最後まで諦めちゃダメなんだ。


「はぁっ……はぁっ……」


「この程度とは少々がっかりしたぞ。……まぁいい。今、楽にしてやろう」


 覆面男はそう静かに言うと、ナイフを構えて歩み寄ってくる。悔しいが今の俺には避ける力も受け止める力もない。肩を大きく動かして呼吸するので精一杯だ。



 ――だが、チャンスはある!



 近寄ってきているということは、俺の間合いにも入るということ。せめてその一瞬に全てを賭け、残る力を振り絞って相打ちに持ち込んでやる。幸い、ヤツは油断している。千載一遇の好機ってもんだ……。


 一歩、また一歩と距離は縮んでいく。次第に覆面男の姿もハッキリ見えるようになってくる。


 そしてまさに間合いが重なろうかというその時、不意に周囲の空気がかすかに動く。





「やぁああああぁーっ!」


 間髪を入れず、俺の横をすり抜けて覆面男へ突進していく影――。


 それはビッテルだった。ヤツはルナの持っていたナイフを握りしめ、覆面男に攻撃を加えようとする。


 だが、へっぴり腰で動きも遅い。あれじゃ避けてくださいと言っているようなものだ。事実、覆面男は余裕でそのナイフを弾き飛ばし、返す刃をビッテルへ振り下ろそうとしている。


 でも――。


「でりゃぁああああああぁ~っ!」


「っ! な、何ぃッ!?」


 覆面男が初めて焦ったような声を出した。


 それもそのはず、怪我をしていたはずのルナが全快状態で、ビッテルとは反対側から覆面男に迫っていたからだ。しかも彼女の攻撃を回避する暇はすでに失われている。


 完全に不意を衝かれた覆面男は鳩尾にルナの重い拳を食らった。続けて顔面にも二撃目の拳がヒットし、最後に回し蹴りが上半身に炸裂する。


 さすがに足がふらつく覆面男――。


「バラッタっ! 今よ!」


「うぉおおおおおぉーっ!」


 ルナの声を受け、俺は最後の力を振り絞り、ナイフを突き出したまま覆面男へ突進した。



(つづく……)

 

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