二つ目の選択


「なるほど」


 これから何が始まるのやら、と心踊らせていた鬼神は黒色の門を越えると同時に悟る。

 もう始まっていた。

(何らかの縛り、制約。入った時点で術中か)

 一体何の条件を満たしたのやら。既に鬼神は自身に絡みつく術式の類を認識する。

「ぶっ壊してもいいが、手招きに応じたのはこっちだ。土俵は合わせてやるよ」

 漆黒からの純白。

 門を越えて先、全て塗り潰す真白の空間に鬼神は居た。

「で、だ」

 無警戒に歩き向かう部屋の中央。巨漢の彼にとってはあまりにも小さいテーブルへ問う。

 より正しくは、卓上に置かれたひとつの硬貨へ。

「児戯にも決まり事はあんだろ。無いってんなら気侭に勝手やるが」

 少なくとも永きを生きる鬼神にも見覚えのない、おかしな模様の硬貨を手に取り指で弾く。


『───此処は悪魔の牙城。二択の迷宮』


 くるくると回転していた硬貨は鬼神の手の中に収まる前に空中でピタリと静止し、牙の生えた口の模様を刻む面をこちらへ向けた。

『全ての選択を越え、その生命繋ぎ切った暁、悪魔に捧げる希求は叶う』

「二択。あァ、それでか」

 突然に喋り出した硬貨にもさしたる反応はなく、鬼神は新たに得た理解で把握する。

 この空間に足を踏み入れた段階から身に触れる違和感の正体。

「もう最初の二択を選んじまってたってわけか」

 入るか、否か。

 あるいは進むか、退くか。

 あれが初めの選択。その時点をもって開始と見なされ、この二択迷宮とやらの理法に囚われた。

 悪魔らしいといえば悪魔らしい、一方的で理不尽な契約。

 悪くない。

「この迷宮を踏破すりゃ俺の勝ち。話はそういうことでいいのか?」

『 然り。願いを口に』

「酒」

 どれほどの規模、どれだけの範囲。

 そういったものを一切問いもせず、鬼神の即答は簡潔なものだった。

「美味ェ酒をくれよ。質と量は用意出来る最大限」

『……再度、願いを声に』

「酒を。即日で頼むぜ」

 そんなわけがない。

 悪魔の魔窟にまで踏み込んで、それだけのリスクを支払って、求めるものが酒だなどと。

 硬貨は疑念を乗せてさらに重ねる。

『再度。願いを』

「日本酒めいっぱい。お前らみてェな魔性種風情に期待はしてねェよ」

 鬼神本来の願いは今も昔も『強敵』だ。

 だが陰湿極まりない悪魔の手練手管は鬼神もよく知っている。

 悪魔は真っ当な方法で願いは叶えない。それはどの世界であろうと変わらない。悪魔はだからこそ悪魔と呼ばれるのだから。


 仮に一人の善人が悪魔との契約で『世界平和』と願ったとする。

 悪魔の格によって陰湿さは変動するだろうが、あるひとつの叶え方としては『悪性の排除』となろう。

 悪意、害意、利己心、加虐心。そういった争いに繋がりうるものを総じて『悪性』と捉えた時、善意の願いは翻って『人類の鏖殺』という大罪と化すだろう。

 悪魔の契約とは、そういうものだ。真っ当な精神では及びもつかない叶え方で願いを聞き届け、嘲笑う外道の所業。


 純粋な闘争を望む彼の願いが歪められ踏み躙られた時、鬼神の怒髪天はあらゆる選択を跳ね除け挽き潰し、この児戯ゲームは強制的な終了を迎えさせられる。

『…最後に、もう一度願いを』

「酒だ。楽しくやろうぜ悪魔ボケ共。互いに不都合な想いはしたくねェだろ?」

 不敵に笑い、鬼神は腰帯から取り外した瓢箪の蓋を抜き取りぐいと中身を呷った。

「そんで、次はどうすりゃいい?話の通りどっちか選べばいいわけか」

 ぺろりと口の端を舐め、向き直る部屋の一面。二つのドアに正対する。

『然り。願い聞き届け、これより先は私、チップのデーモンが道を示す』

硬貨チップ悪魔デーモンね、ハン」

 小さな悪魔を摘み取り、鬼神は迷いなく片方のドアを選ぶ。

「んじゃこっちだ。行くぞ」

『何故に、こちらを?』

 無機質に事務的に理由を尋ねるデーモンだったが、心中ではシンプルに気になっていた。

 重々しい鈍色を放つドアをこそ選ぶと、この短い問答の中でチップのデーモンは確信していた。少なくとも、この野蛮な鬼畜生はこちらの装飾華美な宝石のドアなぞ避けるだろうと考えていたが。

「クカカッ、確かに趣味の悪ィ飾り付けだが、漏れ出る気配はこっちの方が面白そうなんでなァ」

 五感で感知できない何かを察したのか、鬼神は宝石に埋もれるドアノブを掴みダイヤの蝶番が壊れるほど勢い良く開いた。

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