拝見:英雄への一杯

 夜のセントラルシティはどこか懐かしさを感じた。


 環境悪化や戦争の影響は人間の営みを大きく変えてしまった。

 夜、外を出歩くのはよからぬことを考えている者か、そうした者達の毒牙に掛かる者だけだ。


 しかし、コロニー・E2サイトの町ではそうではない。

 人工太陽が落ちて、夜になったとしても人々の生活感はあちこちから滲み出ていた。

 それを不用心だと笑うのは、この世界で荒みきってしまったからだろう。

 物珍しそうに夜の町を見回す相方ジェスタ―を連れて、夜の町を歩いていた。



 そして、オレが求める料理――ラーメンを出してくれるかもしれないレストラン「フェー・ルトリカ」の前に辿り着く。

 店内は真っ暗、外からは中に人がいるかどうかはわからない。



「本当にメシ食えるのか? せっかくメシ抜いてきたんだから、無駄足は困るぜ」


「さぁ、どうなるかは『神のみぞ知る』ってとこかな」


 ジェスターの言うことはもっともだ。本当にラーメンを出してくれるかはわからない。

 それでも、営業時間外に呼び出すということはただ事ではないだろう。


 ジェスターが窓から中を覗き込んでいると、中で小さな灯りが点いたのが見えた。

 間もなくして、ドアが開く。


 そこから出てきたのは、あの青年店主だ。

 薄暗い街中でも、彼の爽やかな笑顔がはっきり視認できる。



「どうぞ」

 彼に案内されるように、オレとジェスタ―は店内に踏み込む。

 

 照明が点いていない店内、そのカウンターの2席に食器が並べられている。

 キッチンの灯りがカウンター席を優しく照らしていた。


「少々お待ちください」

 そう言って、店主は店の奥――キッチンに移動する。


 用意されたカウンター席に座り、用意ができるのを待つことにした。




「なぁ、ラーメンってのはそんなに手が込むものなのか?」


「まぁ、そうだな」


 本格的なラーメンを作るには様々な仕込みが必要になる。大きな鍋やコンロ、それに長い時間が掛かることも忘れてはならない。


「昨日の晩に呼び出せばいいのに、とは思ったけど、そこまで面倒な代物だとはな。ヌードルを茹で上げて、スープにぶち込むだけだろってさ」


 本物のラーメンを知らないとなれば、疑問を持つのは当然だ。

 スープ・パスタをラーメンと偽るヤツは地獄に落ちて然るべきだろう。



「色々あるんだよ、ラーメンはさ。スープとかベースとか、油とか」


「知らねぇけど、本当に美味いんだろうな、それ」


 ラーメンは酷く複雑な料理だ。

 様々なタイプがあって、調理法やトッピングで細分化されていく。

 その全てのラーメンを食べたわけではないが、そのほとんどを把握している。


 だからこそ、地球で失われたという料理を再現する男がどんなラーメンを作るのか――とても、楽しみだった。




 しばらくすると、キッチンから人が出てきた。

 店主と、昨日には見なかった女性店員。2人の手にはトレイが握られ、大きな丼が乗っているのが見える。

 そして、そのトレイごとオレたちの目の前に置かれた。


 

 それはまさしく、ラーメンだ。

 湯気と共に登ってくるのは醤油と小麦麺の匂い。この湯気を顔面で浴びることに、オレは喜びを感じていた。

 

 丼の中の様相は、特にひねりのない普通のラーメン。

 正確には、中華そば――その普遍的な眺めに、むしろ期待感が増す。



「おまたせしました、です」

 店主の言葉に、オレは思わず顔を上げていた。


 この世界でという単語を知っている者は少ない。

 それが料理人となれば、なおさらだ。


 

「その……恥ずかしながら、ずっとお出ししたかったんです」

 店主は照れくさそうに笑っていた。


「やっぱり、採算ですか」

「そうですね、手間も時間も掛かりますし」


 ラーメン屋はどうやっても、それに特化するしかない。

 中華料理屋のようにキッチンを広くして、様々な調理器具を用意するのは簡単だが、それはラーメン屋とは呼べないものだ。

 本格的なラーメンを出すということは、それ以外をまで下げるしかない。そうするわけにはいかないから、この店主はラーメンを店に出さなかったわけだ。



「以前、あるお客様方にごちそうさせて頂いたのですが……その、感想を頂けなくて――」


 複雑な事情――とまではいかないだろうが、店主にとっては特別なことだったはずだ。


 移民や戦争のゴタゴタによって、文化的な資料はちゃんと残っていなかったのかもしれない。そんな中で情報を集めて、ちゃんとした形で料理を再現する――それはきっと、途方も無い時間と労力を費やさなければならなかっただろう。

 その対価は金だけでは足りない。

 報いるには、笑顔で「美味しい」と真心を込めて伝えることが必要なんじゃないだろうか。




「お客様はヨナ――自分の知人とお知り合いのようですし、ラーメンという料理をご存じだと確信しています」


 そう言って、彼は懐から何かのケースを取り出した。

 それを受け取って、開く。



「どうぞ、ご堪能ください」


 ケースの中には箸とレンゲが入っている。

 ちゃんとした木製の箸、レンゲの方は磁器製のようだ。

 まさか、こんなものが残っているとは微塵も思っていなかった。



「ありがとう」


 フォークとスプーンでラーメンを食べなければならないと覚悟していたが、店主が気を利かせてくれたらしい。

 オレが日本人で、箸とレンゲ――正真正銘のスタイルでラーメンと向き合うことを予想してくれたのだろう。その気配りだけで、オレは頭が下がる思いだった。




 早速、レンゲを手に取る。

 冷たい手触りと確かな重量感、それをこの世界で手にできること自体が奇跡のようだ。


 レンゲでスープをすくう。

 その琥珀色は、オレがずっと求めてきたものだ。油の浮かんだそれは現実世界のラーメンとそう大きく変わらない。


 スープを口にすると、驚きは増していくばかりだった。

 代替調味料ニセモノなんかを使わず、本物の醤油とスープで勝負しているのがわかる。

 だが、その香りは食してきたラーメンとはどこか違った。


 この世界で大豆といえば、人工タンパクに転用されることで知られている。

 だから、醤油や味噌がこの世界に存在すること自体があり得ないことだ――――それでも、醤油なのは間違いない。


 スープも濃厚な旨味に満ちている。

 口にする度、脳を揺さぶられていると錯覚するほどの味が口内に広がった。

 パンチ効いた旨味を、香味野菜の甘さが支えている――がどこか違和感を覚える。


 美味いが、どこか違う。

 その差異に、オレは興奮してしまっていた。

 謎を追い求めるように、何度もスープを味わう。


 そして、オレはようやく答えに辿り着く。

 舌と脳で覚えているラーメンの味を掘り下げ、知識の一片からそれを手繰り寄せた。

 だからこそ、この1杯に感服せざる得ない。

 

 この世界だからこそ、この店主だからこそ、産み出されたラーメン。

 これは再現などではない、ラーメンの新しいスタイルの誕生だ。




「――牛骨か」

 オレは思わず呟いた。


 ラーメンと言えば、とんこつ。

 スープに豚骨や鶏ガラを使うことは珍しく無い。「醤油とんこつ」という種類ジャンルが存在するのも事実だ。


 しかし、牛骨を使うラーメンはそう知られていない。

 オレの知る限りでは、ある地域で有名なラーメンでそれをやっているところがある。


 『牛骨ラーメン』――それをアレンジしたものが、このラーメンだ。



 しかし、それだけではない。

 もっと違う旨味が――ネタがあるはずだ。



 気を取り直して、麺を箸ですくいあげる。

 懐かしい箸の感触、ちぢれた中華麺、それだけでオレは感激してしまっていた。



「お前、器用だな」

 すぐ隣からジェスターが物珍しそうに見ている。

 おそらく、箸を見たことが無いのだろう。仕方無いことだ。



 麺をすすってみると、その味わいに身震いしてしまう。

 中華麺の小麦の匂い、そこに絡むスープの濃厚な味と香りが混ざり合って言葉にできない高揚感をもたらす。

 そこでようやく、謎の1つが解明できた。


 牛骨の脂、つまりは骨髄とは別の旨味。それはスープの中に紛れている。

 そして、それはだ。


 香り高い牛骨の脂、光り輝くスープ、スタンダードな中華ちぢれ麺――

 残るはトッピングだ。


 丼の中央、麺の上に置かれた肉。繊維質で解されたようなそれは、ラーメンには珍しいものだ。

 それを箸でつまんでみると、明らかに違和感があった。

 

 それは何かの肉――おそらく、牛肉のある部位を解して落としたものだ。

 肉に僅かだが、ゼラチンのような質感がある。それが示すのはたった1つ。



「――牛テール、か?」


 テールスープや煮込みで使われる部位。

 強い旨味があり、肉の部分も美味い。それを煮出してスープに加えているのだろう。

 それ故に、このスープは強い旨味を持つものになっていた。

 そこに牛骨の香りと風味、香味野菜と調味油がまとめあげ、ちぢれ麺とトッピングが別の楽しみ方を与えてくれる。


 見た目は普通の中華そば。

 だが、その全てが異なるものだ。


 この世界でネギは存在しない。

 代替で選ばれたのは、似た野菜であるだ。

 おそらく、スープや油でも使われているのだろう。トッピングにも焼かれたリーキが乗っている。

 それが普通のラーメンとは異なる風味と甘みを与えていた。

 

 強烈な旨味によるパンチ、上品な香り、香味野菜から溶け出した甘さと風味。

 これはまさしく、この世界のラーメンだった。


 ちぢれ麺、煮卵、みじん切りのタマネギ、とろけるような柔らかさの煮豚チャーシュー

 それだけ見れば普通のラーメンなのに、彩りの焼いて刻んだリーキがそこに違和感無く紛れ込んでいる。

 しかし、その役割はネギと同じように清涼感や食感を与えるのではない。


 火を通したリーキは、とても甘い。溶け出るような濃厚な旨味と香りを放つ。

 このラーメンは、トッピング1つですらに留まらない。


 まさに、至高の一杯と言えるだろう。





 丼を空にして、オレは一息付く。

 すぐ隣には、懸命にフォークで麺を口に運んでいるジェスタ―がいる。その女児のような忙しなさに、思わず鼻で笑ってしまった。

 

 目の前には、腕を組んだままの店主がいる。

 その店主に突き返すように、丼の乗ったトレイを押す。



「素晴らしい1杯だった……ありがとうございます」



「いえ、感謝するのはこちらの方です」

 店主はグラスに水を注いで、オレに渡してくる。



「これだけのラーメンは、かなりの手間とコストが掛かってるだろ? それをどうしてオレたちに……」


「もちろん、お客様を特別扱いしてるわけではありません」


 女店員がオレの使った食器を下げる。

 そうしている間に、店主が目元を拭っていた。

 



「戦争を終結に導いた英雄の1人に、料理人が料理を振る舞っただけですよ」

 店主はそう言って、笑う。

 

 彼もまた、戦争で戦ったのだろう。

 だからこそ、それを終わらせることの難しさを知っている。


 それに、戦いの中に居続けることの辛さもわかっている気がした。

 オレはずっと戦争の影響下にあった。戦闘を経験する度に、自分が自分で無くなっていくような――自分の何かを削ぎ落としていくような感覚に陥る。

 まだ、その渦中にいるわけだが――少なくとも、店主や整備士のようにそこから抜け出せることもあることを知った。



「僕がここで料理を作っていられるのも、レストランを再建できたのも、戦争が終わったおかげです。本当にありがとうございます」


 深々と頭を下げる店主。

 オレが戦争を終わらせたわけじゃない。むしろ、機動部隊は政治的には何もしていないのと変わらない。

 直接的に終わらせたのは、クーデター軍の将校達だ。


 それを理解していたとしても、彼は頭を下げてくれるだろう。


 オレも反対の立場なら、きっとそうしたはずだ。




「また、来るよ。次は客として――」 


 この世界での日々はおそらく、まだ続くはずだろう。

 戦う以外のことも、少しは考えなければならない。


 そうした時、オレはやっぱり美味いメシが食いたい……そう考えてしまう。

 今は任務でコロニーを飛び回っている、それが終わった時のことは――まだ考えていない。

 いっそ、このコロニーに移住するのもいいだろう。

 この店主と共に、ラーメンを作ったり、料理を再現したりするのもいいかもしれない。


 戦い以外の生きる理由を、探さねばならないだろう。



 すぐ隣でズルズルと麺をすする相方を見ながら、オレはぼんやりとそんなことを考えていた……

 

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英雄に捧げる一杯 ~創作世界放浪記~ 柏沢蒼海 @bluesphere

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