第30話 グレンライドファミリア

 それまで遠くから幾度か眺めたことはあるものの。

 十六階建ての高さを持つその威容に、グレンライドファミリアという名前の、海外に母体を持つ巨大総合ギルドはこの古都の数あるギルドの中で、一際、異彩を放っていた。


 そこの二階にある、来客用の客間の一室にルークと気を失ったレティシアは軟禁されていた。

 自由にしてもいいと言われた。でも部屋からの外出は禁じられた。

 外部との連絡を取ることも許されなかった。

 その意味では軟禁と言わざるを得ない。


 二つあるベッドの片方で安らかな寝息を立てて眠っている獣人の少女は、ようやく安息の地を得たかのように、穏やかな顔つきをしていた。

 それを見ると、自分が取った行動も間違いにはなかったのかと、ルークはちょっとだけ心を救われる。

 彼らをここに運んだとき、クロエの姿はどこにも見当たらなかった。


 フランに確認すると、

「彼女は役目を果たしたんだよ」

 と、どこか寂しそうな目をしてそう言った。


 その言葉の意味をすべて理解した訳ではなかったが、ルークはもうしばらくは会えないのだろうとそんな想いを心のどこかで抱いた。


「これから二人にはこの部屋で過ごしてもらう。トイレも風呂場もついている。煮炊きも可能だ‥‥‥とはいえ、ギルドを燃やすようなことはしないでくれよ」


 フランはそれだけ告げると、レティシアを部下に運び込ませ、あとは質問を受け付けなかった。


「書類を片付けなきゃならないんだ。まだ見つかってない‥‥‥とにかく、君たちは安全だ。彼女の身分も保障される。それと君の約束も、忘れてはいない」

「……安全なままで過ごせるなら。それは嬉しいけど‥‥‥」

「けれど?」

「まさか約束を守る気があるなんて、フランさんは軽薄そうに見えたから」


 彼は傷ついたような顔をする。


「ひどいなあ……。そりゃ確かに君と出会った時には時間がなかったからあんな話しかできなかったけど。ちゃんと約束は守るよ」

「それならいいのですけれどね。よろしくお願いします」


 彼らの会話を側で寝ているレティシアは、その耳をピクピクと軽く動かしながら聞いていたことに、ルークもフランも気づかなかった。


 それから数時間。

 もう夜も迫る時刻だ。

 実家に連絡を入れなければ、母親が心配をする。

 扉の向こうにいる警備係の冒険者の男にそう伝えると、少し待てと返事が返ってきた。


 また三時間ほど待たされて、フランが部屋に顔を出したのは、夜の八時頃だった。

「お待たせしたね」

「待ちましたよ‥‥‥お母様に連絡をしなければ、心配しているはず‥‥‥レティだって目覚めないし」

「彼女?」


 フランは片方の眉を上げて面白そうな顔した。


「君の母上には、ギルドの方から連絡が行く。いやそれよりも、仲介人から連絡が入っているはずだ」

「どういうことですか?」


 仲介してくれた貴族は、父親の古い馴染みのはずだ。

 そこに連絡が入るとはどういうことだろう。

 何かとんでもない計画に最初から巻き込まれていた気がして、ルークの顔が険しくなる。


「もしかして‥‥‥」


 すまない、とフランは肩を竦めた。


「君の生まれも、どうしてここに来たかも。僕たちはすべてを知っていた。だから君を利用した。それについては謝罪しておこう」

「そんな‥‥‥母上も知っていたということですか」


 もしかして自分だけ何も知らされず?

 ただ都合のいい駒として扱われていた?

 参加することで母親のマーシャにまで危険が及ぶ可能性があることを知り、ルークの顔面は怒りで蒼白になる。


「おいおい、落ち着けよ。君たち母子に危険が及ばないようにするために、僕たちがどれだけ気を配ったと思ってる。むしろ今回の件がなければ、君たちはそのうち今頼っている貴族に裏切られ、親子バラバラにされて奴隷として売られている運命だったろうね」

「な‥‥‥っ、なんで」


 なんでそんなこと、わかるんだ。

 その発言はフランの指ひとつで止められた。

 彼は黙るようにと人差し指を立てて指示をすると、ゆっくりと事のあらましを教えてくれた。


「まず君と君の父親について。君たち親子についてと言うべきかもしれない。このペイゼワールに親戚を頼ってやってきたということは、よく考えて欲しい。君たちをこの地に置いやった誰かは、その爵位をずっと持たせる気はなかったというそのことを。君は気づくべきだ」

「……」


 言われてみれば確かにそうだ。

 国王陛下を裏切った騎士団長の一族が、その爵位はそのままに、王都を追放されるだけでは罪が軽すぎる。


 裏切り者には断罪を。それが普通だと、母親のマーシャも言っていた。

 そこにはルークが誰にも言わない血筋が関わっているのだろうと、変な安心もしていた。

 父親は国王の従兄弟だ。自分は従兄弟甥にあたる。紛れもない王家の血筋をその身の内に秘めた存在。

 だからという安心感がずっと心の底にあった。


 いつかは呼び戻されるかもしれないというそんな淡い期待も‥‥‥。


「君は認識が甘い。色々と調べたが王都では王の弟、大公殿下が君の父親の悪事を暴いたとされている。血筋から言えば君は王族だな、ルーク。だが、血族を追われた王族を生かしておくほど、この国は甘くない。そのことにもっと早く気づくべきだ。男の子なら‥‥‥」

「無理よっ!」


 いきなりの発言に戸惑い、自分の思いを言葉にできないルーク。

 彼を守るように叫んだのは、てっきりまだ眠っていると思っていたレティシアだった。

 レティはがばっとシーツを跳ねのけると、弟を守る姉のようにして、ルークを自分の側に引き寄せて抱きしめた。


「めちゃくちゃ言わないで。ルークはまだ八歳なの」

「……君だってそうじゃないか」


 小さな声でルークは反論する。


「あなたは黙ってなさいよ」

「ごめん」


 尻に敷かれた気分になった。


「フランさん、いきなり色んなことを彼に語り継いだわ。あなた本当に、信頼できる人なの?」

「よく軽薄だとは言われたりするが。約束を守ることにかけては、誰にも負けないと思うよ」

「そんなところが信用できないのよ‥‥‥」


 野生の勘と言うべきか。レティはフランを油断ならない男として認識していた。


「かなり資料をあたり、王都とこの街を何度も往復して、ようやく彼があの裏切り者と呼ばれた男の息子だってことまでは突き止めた。それは間違いじゃない」

「今そんな話をしているわけじゃないでしょ。なんでルークを利用しようとしたの?」

「彼の状況があまりにもひどかったからだよ。悪者は自分と同じような境遇の人間を見つけて来ては仲間にする。その仲間に彼らが見つけるより早く加わってもらっただけだ」

「あんたって最低‥‥‥お嬢様もそうして見つけてきたってこと?」


 いつの間にか生えた牙が鈍く光を放つ。

 フランは腰を浮かせながら、これも凶賊を一網打尽にするために必要な措置だったんだ、と言い訳のように言った。


「それで、どうするの!」

「どうって、なにをかな」

「あたし、聞いたんだから! あんたがルークを手駒にする代わりに冒険者にしてやるって約束したことを!」

「……それは‥‥‥確かに。約束したよ」

「なら守ってくれるよね?」

「もちろん」


 不承不承、緑の冒険者はうなずいた。


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