第22話 意外な呼びかけ

「明日、か‥‥‥」


 来るとしたら母親とレティシアのために頑張ろう。

 指定された戸口を抜け、うろ覚えの道を通っていくつかの角を間違えながら、家へとたどり着く。


「今日はどうだったの? 男爵のご令嬢にご迷惑かけなかった?」

「うん……明日からも来るように言われたから大丈夫だと思う」

「そう。私は今日一日、ずっとあなたのことを考えていたわ」

「僕も‥‥‥考えてたよ」

「ルーク?」

「なんでもない。疲れたから早く寝ます」


 知ってはいけないことを知りすぎた。

 覚えるには早いことを、知りすぎた。

 これは何かの罰なのだろうか。それとも彼女を早く迎えに行けという、何かの合図なのだろうか。

 いや、それはもうそうしたくてもできない。

 相手とは身分が違いすぎる。

 まだ忘れきれてないだけ。

 ただそれだけだ。


 ルークは風呂に入って寝どこに着いてからも、モヤモヤとする心の整理がつかず夜中まで目が冴えていた。

 お嬢様のもとにやってくる客というのはどんな男たちなのだろう。

 彼らのことも案内したり、まともじゃない視線で睨まれたりしなければいけないのだろうか。

 友人たちの親が、あの地域で働く彼女たちに向ける視線と同じように。

 侮蔑の視線に僕もさらされるのだろうか。


 そんな心配が心をよぎる。


 どんどんどんどん積もっていって、固くなってさらに重さを持ち、泥のようにへばりついてのかなくなる。

 これが汚れるっていうことかもしれない。

 何をしようとしてもアミアには近づけなくなる気がした。

 それでも慣れないことに対する疲労は、気づかないうちにルークの意識を失わせる。


 夢の中では、今日あったばっかりのクロエが、あられもない格好でベッドに寝そべっていた。

 何をしたかは覚えていない。

 朝起きた時、特にこれといった変わりはなかったけれど。


 悶々とした薄暗い感情が心の中に埋もれ渦を巻く。


 次の日は、クロエの顔を見るたびに夢のことを思い出してしまい、羞恥心に顔を赤くするルークは、そのことをレティシアに一日、からかわれて過ごした。




 男爵家に雇われて、一月が経過した。

 雨の日にとんでもない土砂降りに遭遇し、着替えも全て濡れてしまい、困り果てたこと以外は、ルークにとって特に困ったことは起こらなかった。


 朝起きて、職場に向かう。

 レティシアにあれをしろこれをしろと命じられ、中には自分の仕事じゃないものもあった。

 彼女が楽をしたいがために押し付けてきたその仕事に不安そうな顔ひとつして、それは男でも大変な力仕事だったから。

 頑張ってやり遂げたら、お姉さまたちにも褒められた。


 その辺りから、ようやく仕事に慣れ、荒くれ者の男たちとも、なんとなく打ち解けるようになった。

 裏切り者と言うルークの生い立ちは、日陰者の彼らと似通ったものがあったのだ。

 男爵がどんな仕事をしているのかは知らない。

 しかし雇っている男達は、まあ、世間で言えばはみ出し者と呼ばれる者たちが多い。


 彼らは最初、ルークのことを、貴族の息子と毛嫌いしていた。

 それがレティシアと侍女たちに認められ、振る舞いにもどこか自分たちに通じるものをルークに感じた彼らは、どことなく仲間意識を持ち始めていた。

 周りの人間を笑顔にするのはルークの天性の才能で、それはそのまま、職場における彼の居心地を良くすることにつながっていった。


 やがて屋敷の中の事が深くわかるようになり、かといってルークがそこに近づくことをロイダース卿も、男達も、レティシアさえも許すことはなかった。

 心の壁一枚隔てた向こうに、何か大きな人には言えない恐ろしいものが存在する。

 薄々とその何かの正体を感じ取りながら、やってきた客を案内し、もてなして、それから玄関へと見送る。


 機械的で変わり映えのない日常。

 ルールさえ守っていれば、温かい食事と、美味しいお菓子と、うわべだけの付き合いだが笑顔で語り合える職場がある。

 クロエも優しいし、機嫌が悪かったとしても、ルークやレティシアに当たるようなことはなく、彼女はそれをルークの見知らぬ『恋人』と呼ばれる誰かに打ち明けることで、発散しているようだった。


 夏も盛りが過ぎ、北に近いこの地方では夜になるともう分厚い上着がないと過ごせなくなる。

 そんな時期にさしかかった頃、ルークは一人の男に道端で声をかけられた。

 それは男爵邸で夕食をいただき、裏口で男達と最近覚えたポーカーを一ゲームだけこなし、レティシアに「あんなことに関わっちゃだめじゃない」と怒られて、自宅へと戻る道の途中。


 まだ若い二十代のその男は、燃えるような赤毛を短く刈り込んで、腰に剣を差している。


「君、ちょっといいかい」

 声をかけられてそちらを向いた。

 男の持ち物と恰好で、彼がどんな職業の人間か、ルークにも察しが付く。


 鎧にも似た分厚い革のジャケット。ズボンは動きやすい綿で織られていて、膝の部分には革が縫い込まれている。

 両手にぴったりと馴染んだ手袋に、腰の左側には青の革で包まれた剣が一振り。

 そして、ジャケットの右腕の部分には、緑色のワッペンが縫い込まれている。

 それはこの街で、栄光と名誉を手にしようとやってくるものが最初に就く職業。


 冒険者の証だった。

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