第二章

第18話 無言のルール

「……二か月。くらい‥‥‥、お姉さまたちは、長くできているって褒めてくれるけれど」

「お姉さまたち?」

「お嬢様のお世話をする、もっと年上の侍女たちのことよ。お姉さまって呼ばないと怒られるの。あなたも気をつけた方がいいわ」

「あーうん、そうするよ。レティシア」

「レティでいいわよ」

「じゃあ、レティ。僕も、ルークでいいよ」


 彼女の勤続年数がたった2ヶ月だということにちょっぴり痛いた憧れはさっさと消えてしまったことは内緒で。

 この屋敷の中には他に同年代の子どもはおらず、次に若いのがお嬢様。

 その上に、三十代や四十代の古参の侍女たちがいる。


 でも、管理のほとんどはロイダース卿がやっているというのは、変わらないらしい。

 そんなことをいろいろと教えてもらいながら、ふと、彼女はどうしてここに来たんだろうと質問する。

 まあ、それは手にしていた上着を見れば明らかだったから、それ、と指さしてみた。


「あ、これね。あの小うるさいロイダース卿が、あなたにって」


 はい、と二着の長袖と、二着のベスト。サイズはぶかぶかで、その場で着てみたら、レティシアに苦笑された。

 黒よりも紺色に見えるその瞳は感情豊かにくるくると動き、彼女もまた、仔犬があっちを向いたりこっちを向いたりして落ち着きがないように、そわそわしたり太くてふさふさの黒い尾を床に当てないように、せわしなく動かしたりして、言葉ではない他の部分で感情の表現が豊かな少女だった。


 試着してみたそれは、それぞれ黒い革で作られていて、仕立て直せばもうすこし大人になっても、着られそうだった。


「ま、仕立て直してもらうのね。今の季節なら、革のベストだけでいけるでしょうし。もしかしたら、上着はいらないかもしれない。後はこれ」


 と、彼女がポケットから取り出したのは、二本のくるくるとまるめられたネクタイ。


「男爵様は新しいものが好きだから、大陸の紳士は、スカーフよりもこんなのを首に巻くんだって、ロイダース卿が仰っていたわ」


 彼女はそのうちの一方を広げると、ルークの襟を立て首の周りにぐるっと一周させてから、喉元で左右に持った布の短い方に長い方を巻き付け、それを内側に、押し込んでからしゅっと、結んだ紐ををようにして、ネクタイの巻き方を教えてくれた。


 もっとも最初は力が入りすぎて、「ぐえっ」とルークは小さく悲鳴をあげなければならなかった。


「ごめんなさい、大丈夫? これまでの人たちはお姉さまたちが色々と教えてあげていたから、あたしも、これ見様見真似なの。でも多分、うまくできたと思う」

「……ありがとう。ちょっと苦しいけど我慢するよ」


 そう言うと、ここを緩めればいいと、レティシアは教えてくれた。

 身長はルークとあまり変わらない。

 獣耳を足したら、彼女のほうがすこし高いくらい。

 目線はほぼ同じで、近くでネクタイを調整してもらったら、髪に油をつけているのだろう、甘い果物の香りがした。


 それは、アミアがつけていたものには比較にもならなかったけれど、ルークに一瞬だけ、懐かしい相手を思い起こさせる。

 脳裏にあのときの彼女の陰が過ぎって、すぐに消えた。


「……」

「どうかした? ねえ、これからうまくやっていけそう?」


 きょとんとした顔でレティシアがそう訊いてくる。

 ルークが鏡をじっと見つめていたから、不安を抱えたのではないかと心配させたらしかった。


「あなたが前の人たちのようにクビになってしまったら、また、あたしは同い年の仲間ができないままなんだ」

「……頑張ってみる」


 獣耳が悲しそうに、垂れていた。

 ペタンっと頭に被さって見える。

 初めてできた同じ年の仕事仲間にそうまで言われては、頑張らないわけにはいかない。


「お嬢様ってどんな人か簡単でいいから教えてもらえないかな」


 先ずはこれから仕える主人のことを聞いてみよう。

 ルークは事前に多くのことを知りたかったけれど、レティシアはもう行かないと、と言い「ごめんなさい、ルーク」と残念そうな顔をする。


 でも、簡単にだけ教えてくれた。


「お嬢様は、十六歳だけれど、とっても大人びていらっしゃるから。あなたが言われたことを守ってちゃんと働いていれば、クビになさったりなんかしないわ」

「そう、だね。それは頑張るつもりだよ」

「うん。無理しないでね」


 レティシアはそう言い、部屋を出て行こうとする。

 ドアを開けて、半歩踏み出してから、何か思い込みしたように、こちらに振り向く。

 そして、忠告するように言った。


「いい、ルーク」

「なんだい」

「毎日、数人のお客様が、お嬢様のところにいらっしゃるけれど、女の人はめったに来ない。男の人が多い。二人が奥の部屋に入ったら‥‥‥呼ばれるまでは何があっても、応接室には入らない方がいいと思う」

「わ、分かった」

「じゃあ」


 頑張ってね、と愛嬌のある笑みを残して、彼女は去った。

 どういう意味なんだろう。

 その後ろ姿を見送り、ルークは首を傾げる。


 謎めいた一言。

 明らかに守らなければ働かせてもらえないだろう、ここのルール。

 言葉で教えられることない、無言のルールだった。


 

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