九之五 沖乗り
油津を出ると地乗りで進み、薩摩に入った。港に寄りながら、佐多まで進む。佐多から竹島までは十里。そこまで陸が見えない沖乗りになる。潮が良く風が良い日を選び朝早く出れば、日暮れまでには竹島の小さな入江に入れるはず。竹島は、百にも満たないわずかな民がひっそり暮らすだけだ。貧しい島なので、船積みもできない。入江で夜を過ごすだけが精一杯だろう。
佐多で気晴らし方々また船人を港に放ち、土地の者の勘所を聞き取らせた。ここしばらく風も潮もおとなしく、荒れる気配はあまり感じられないという話が多かった。ただ天色が急に変わる事はここ佐多でも噂で、心安らかに進むのは難しそうだ。
この船人組みでの初の沖乗りでもある。万全の構えを心掛けた。沖乗り船出と決めた朝、暗いうちに皆を起こし、朝餉を多く取った。続いて支度を整えさせ、それぞれ最も得意の持ち場に就かせる。
操りが一番得手の夜儀を一の帆に置き、補いとして津見彦を従わせた。夜儀の命で素早く帆を操るためだ。次に大事の
アサルは猫と一緒に昼寝はさせるが、それを除いて星辰櫓に置く。異国の漁師村育ちならではの、見方が異なる知恵が欲しいからもあるし、潮見の間では全ては見通せぬからだ。もうふたつの眼となりて、俺と源内を補う手はず。
握り飯や味噌玉、さらに干し柿や乾物を入れた
いよいよ船出の頃合いとなった。
「支度はいいか」
大声で叫ぶと、同意の
「雪隠に行くは今ぞっ」
源内が告げると、皆が大笑いする。
佐多の下働きに合図してもやいを解かせ、津見彦にまとめさせた。写楽に命じ先帆を掲げ港を離れると、一の帆も張り舵を下ろさせた。朝も早いので、幸いな事に、陸のまわりでは南に向かう陸風がまだ吹いている。満帆の風を背に受けて、木花は驚くような速さで進み始めた。遥か彼方を目指す辺境船ならではの速さ。本領発揮といったところだ。波立つ外海でこの速さというのに、神の加護により揺れも少ない。
琉球への海路図は戦の備えのため御禁制の品だが、木花には積んである。大名を後ろ盾に、異国から得難い文物や仙宝を集める神木船だからだ。御法度免除の御触れを取ってある。それに星辰櫓と潮見の間には、貴重な船磁石が備えてある。木花建造の頃にはなかった技だ。船頭が三百年も見つからぬ生娘の船というのにわざわざ財を費やして、俺が生まれた頃に取り付けられたと聞く。これと海図を用いれば、大まかな波路は見て取れる。ただ、目指すのは竹島だ。見つけにくい小島だけに、それだけでは危うい。
しばらくは後ろの薩摩を見ながら地乗りができる。それが見えているうちに、沖乗りに備える。風と潮、匂いと陽の位置を元に、進むべき方角を決めてゆくのだ。
俺と源内は、海を読みながら、細かく談じ交わした。竹島を見つけ損なったら、そのまま一晩夜通し無理しても進み、屋久島まで辿る。そう、ふたりの間で決めている。
屋久は大きな島だし山もある。そのため、上の空に雲が湧く。晴れてさえいれば、遠くからでも、島がある事が推し量れる。雲を目指し進めば、多少ずれても島も遠目に見えるはずだ。
とはいえ初めての船人組み、初めての沖乗りで夜通しは避けたい。誰も来ない沖合いにも、気まぐれに覗く浅瀬や岩場はある。万が一にも乗り上げれば、そこで俺達は死ぬしかない。それに小島まで正しく辿り着く力が、この長い航海にはいずれ入り用となる。早いうちにその技を身に付けておかなければ危うい。
しばらく気持ち良く進むと、薩摩もぼやけ見えなくなってきた。いよいよ沖乗りの始まりだ。まだ昼には早いというのに、アサルは星辰櫓でもう巾着の麦焦がしを食んでいる。
■注
船磁石 常に北を指すので陸地の見えない沖乗り・沖渡り船にとってはとても有り難い装置
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