第2話 摂行堅貞、風鑑閑約

 春になって最初に目立つ花は白い木蘭だが、もう他の花も咲いてきている。紫色の鮮やかな花も咲いていて、これも人々の間では一般に木蘭と呼ばれている。


 平城の都には四つの市場が東西南北にある。自分の住んでいる近くの市場に行けば、日用品は大体買うことができる。だが、珍しい高価な物を買おうと思えば、それを扱っている市場を選んで行かなければならない。また、日常的に頻繁に使う品は四つの市場のどこに行っても入手できるとはいえ、値段が高いか安いかは別問題だ。


「東の市場は、四つの市場の中で一番武器が安いと聞いた。ここでは武器を買うんだ」


 国に招集された兵士は、自ら武器や防具を調達しなければならないのだ。自分の身を守るための物だから、簡単に壊れるような安物では困る。だが、高価な武器防具を買えるほどの裕福な者は少ない。


 少年は最初、剣を買おうとした。だが、値段が高すぎるので値切った。半額を提示されたが、それでも買えない。最初の値段の四分の一を提示された。少年がまだ粘ると八分の一になった。ここまで来ると、最初の提示が相手が少年であると見下してのボッタクリだったのであろうが、それでも少年には出せない額だった。武器だけを買えば良いのではない。この後、防具や馬や馬具も買わなければならないのだ。


 買う気が無いならさっさと出て行け! と怒った店主に追い出された少年と曇曜は、隣の武器屋に入った。武器屋は武器屋で近い場所に固まっているのだ。武器屋に限らず、同業者同士はお互い近くで店を構え、情報を共有したり問題に対して共同で対処したりする。


「槍が安いな。槍の方がいいかも。馬の上に乗って使うから、片手で扱える重さで、それでいて敵に十分届くものがいい。それに槍だと、多少壊れてもある程度なら直して使えそう。剣だったら、壊れたら現場で直すのは無理そうだし。お坊さんもそう思わない?」


 針のように細い短剣と槍とを見比べながら、少年が曇曜に問いかける。


「そうは言われても、自分は殺生の道具については良いも悪いも意見はありません」


 だから曇曜は、先刻の方便でも、武器を買うとは言わずに防具なら買っても良い、と言ったのだ。


「何を言っているんだよ。お坊さんだって斧とか使っているだろう。僕は知っているんだ」


「斧は薪を割るためです」


「寺が騎馬民族に襲われた時なんかは、その斧で戦ったりするんじゃないの? 一方的に殺されるわけじゃないでしょ?」


「自らの身を護ることと、相手の土地に出向いて征服するのとは違いますよ。それに、騎馬民族のことを悪く言うのはやめた方がいいですよ」


 魏という国は、元々鮮卑族という騎馬民族の中の拓跋氏が皇帝となって建てた国であり、領内の漢民族をはじめとする数多の民族を支配している。魏という漢民族風の国名を名乗っているが、漢民族の王朝は長江の南へ逃げ延びて、宋という王朝が虎視眈々と捲土重来を狙っている。


「でもお坊さん、実際のところ今回の敵は騎馬民族だろう?、今回の遠征先は、騎馬民族の柔然をやっつけに行くのが目的だって聞いたぞ」


「柔然? 撃破したはずでは?」


「何年か前にも勝っているらしいけど、それ一回だけで滅ぼしたことにはならないってことだよ。ま、お坊さんなら、そのへんのことは知らないだろうし、兵隊に行くわけでもないから他人事だろうけど」


 少年は吐き捨てるように言った。


 しばらくの間は少年が槍を買うかどうかで悩んでいそうだと察して、曇曜は先に自分の用事である買い物を済ませることにした。少年を武器屋に残して、足早に市場内を巡る。


 さっさと自分の仕事を済ませた曇曜が武器屋に戻っても、少年はまだ迷っていた。槍を買う決心はしたらしいが、幾本かの槍を見比べて、どれにしようか迷っていた。結局少年は、陳列されている中で一番短い槍が廉価であることもあって購入することにした。店の言い値ではなく、半額に値切った金額だった。少年は嬉しそうに槍の握り心地を確かめていた。


「じゃあ次は西市へ行って防具を買おう」


 少年は片手に買ったばかりの槍を持ち、もう片手で曇曜の袖を引っ張って、人の波を掻き分けながら西へ向かう。


「鎧も高いなあ」


 少年は、防具屋から聞いた値段の高さに、低く肩を落とした。


「……あ、そうだ。お坊さん、防具を買ってくれるって言っていたよな。やっぱり品質の良いのを買いたいんで、ちょっと高めのを頼むよ」


 先刻の約束を思い出して一瞬で元気を取り戻した少年だったが、曇曜は僧侶らしい慈悲に満ちた眼差しで見下ろした。


「私は、怪我への賠償としてと申し上げました。ですが、あなたはさっきから今まで、何の問題も無く元気に歩いていて、足を挫いたというのは明確に嘘ではありませんか。仏の教えは因果応報。怪我をしていないのならば、賠償の必要も無いはずです」


「え? そんなのズルいじゃねえかよ」


「ズルいのはどっちですか。嘘までついて」


「……お坊さん、若いくせに、まるで年寄りの熟練した、なんとか統とかいう偉い役職のお坊様みたいだな」


「道人統ですか。私はこれでも若いながらに摂行堅貞、風鑑閑約、と讃えられるのですよ。お寺の中では評判が良いのです」


 摂行堅貞とは慎み深く操が高いということ。風鑑閑約とは人材に欲が無くさっぱりしている、という意味だ。


 少年は曇曜との議論を続けず、店主から提示された防具を確かめ始めた。全身を防護する鎧は明らかに値段が張る。ということで、全身鎧は諦めて、軽量の兜と籠手と脛当てだけを買うことにした。それも散々値切り交渉をした。

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