第3話 ごめん、よりも、ありがとう

 今度は引っ張られることも無かったが、曇曜は少年について南市まで来た。寺から言われていた用事も既に済ませたし、少年の怪我は案の定嘘だったしで、もう一緒に来る義理も無いけれども来てしまった。


「ところで、さっきの槍の時から思っていたのですが、なんか変ではないですか?」


「何が?」


 少年は首を傾げた。軽量の物とはいえ兜を被っているので細い首が折れそうだ。


「……いや、なんでもないです。ところで、南市では何を買うのですか?」


「馬具だね。鞍、轡、あと、長鞭も必要かな。買うべき物がいっぱいあるからなるべく安いので済まさないと」


「馬具……って、鞭くらいならともかく、鞍なんかは、肝心の馬がいなければ買っても合うかどうか分かりませんし、持ち運ぶのも邪魔になって面倒なだけじゃないですか?」


「あっ……言われてみればそれもそうだ。北市で馬を先に買うんだった」


「なんですかその計画性の無さは……」


 仕方なく二人は北へ向かった。また後で南市へ戻らなければならないので、二度手間だ。無駄な移動をしたので、途中でさすがの曇曜も徒労感による疲労を隠せなかった。


 だが、曇曜以上に歩くのが辛くなったのが少年だった。軽いものを選んだとはいえ、防具を着てその上槍も持っている。防具の重さのせいか、次第に歩き方がおかしくなってきた。片足を地面に着くのが辛そうな偏った歩き方をし始めて、やがて往来の真ん中で歩けなくなって座り込んでしまった。


「足首を見せてみなさい」


「イヤだよ」


 少年はまたも拒否したが、曇曜は無視した。強引に少年の脛当てを外して左足首を見た。


「少しではありますが、腫れて熱を持っているじゃないですか。ぶつかった時に足を挫いたっていうのは本当だったのですね」


「なんだよ今更。嘘だって決めつけたのは、お坊さんじゃないか」


「痛いなら痛いで、休むべきだったのに。治療せずに無理して歩くから悪化してしまったじゃないですか」


 少年は痛みに呻るだけだった。曇曜は頭を抱えた。ここは平城の都のほぼ中央あたりで、人の往来も多い場所なので、座り込んだままだと他人の邪魔になる。本来ならば曇曜はこの少年とは無関係なのだから見捨てて行っても良いのだが、そこは仏の道を追求している僧だ。困っている人を簡単に見捨てるわけにはいかない。


「仕方ないですね」


 曇曜は少年を背負い、北に向かった。市場で馬を買えば、後は少年を馬に乗せて移動すれば良い。それまでの辛抱だ。いや、馬を買う前に、市場に着いたら怪我の治療をするべきだろう。


 兜や籠手などの分、少年の体重が曇曜の背中にのしかかる。槍は曇曜が片手に持って杖代わりにしている。


 北市の馬を扱っている店に着いて、店員に頼んで濡れた布をもらい、それで少年の左足首の患部を冷やした。


「ごめん、お坊さん。結局迷惑かけちゃった」


「そういう時は、ごめんと謝るのではなく、ありがとう、と感謝した方が良いですよ」


「じゃあありがとう」


「それはそうと、どうしても指摘しなければならないことがあります。あなた、少年のように装っているけど、女の人ですね? 誤魔化してもダメです。背負った時、胸の柔らかい感触がありました」


 少年は、いや、少女は一瞬口ごもった。が反論が無駄だと悟って開き直りの態度に出た。


「お坊さんは、女の人に触っちゃダメなんじゃなかったのか?」


「そう思うなら、最初から自分は女だと自己申告しておいてください。そして、自分の足で歩けなくなるような無理をしないでください」


「ちぇっ、お坊さんは冷静だな」


 少女は吐き捨てるように言ったが、実際のところ曇曜は冷静ではいられなかった。


 仏の道に入って禁欲生活をしているものの、肉体は普通の十六歳前後の少年である。僧侶でなければ結婚していてもおかしくない年齢であり、当然ながら性欲も最も旺盛な年代だ。


 煩悩を断ち切れ。煩悩を断ち切れ。惑わされるな。これは単なる事故で女の人に触れてしまっただけだ。心の中で言い聞かせる。


「あれ? お坊さん、顔が赤いよ? もしかして、僕を背負ったことを意識しちゃっているとか? 胸の感触が気になったのなら、もう一回触ってみる?」


「僧侶を挑発するのではありません。女の人に触れてはならないという戒律に偶然抵触してしまっただけです。慈悲忍辱の心こそが重要なのです」


「じひにんにく? なんだそりゃ?」


「慈悲の心をもって、いかなる困難にも耐える、という意味です。拙僧は、あなたが女の人であるということに気づいていなかったから、こうなっただけです。あなたは随分痩せていて、服の上から見ただけでは男か女か分かりません。あなたと同年代の娘なら、普通はもっと胸が大きいものでしょう」


 今度は少女が顔を赤くする番だった。


「な、なんだよ。お坊さん、僕くらいの女の子の胸の大きさを見比べられるくらい観察しているのかよ」


「僧侶は、男の人も女の人も等しく、良き縁に恵まれてこの世を全うし、救われることを願っているのです。困っている人がいれば、男であろうと女であろうと、できる範囲ではありますが等しく助けますよ」


「ホント、なんなんだよ。その出来る範囲ってのがとても狭いじゃないかよ。本来なら、こんな槍なんか持って戦争に行きたくないのをなんとかしてくれよ」


 と言ってから少女は気づいた。その、さっき買ったばかりの自分の槍が見当たらない。周囲をきょろきょろと見渡して、視線が横に固定された。


 貧しそうな身なりをした若い男が、槍を持って走り去ろうとしている。


 置き引きだ。

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