第三章〈悪霊と聖女〉編

11話 サラセン人の墓(1)

 カルナック城を出発してから8日後の午後7時。

 若きカルナック伯爵ことオリヴィエが率いるカルナック軍一行は、ポワティエ平原までやってきた。

 平原といっても、木もなく、谷もなく、石ばかりの荒野である。

 旅人たちが地面を踏んで馴らしてもこの荒野には道ひとつできない。


「今夜はこの平原で野営しましょう」


 オリヴィエの横に控えているトリスタンは、ジル・ド・レ伯爵の城で予告された未来が近づいているのを感じて、ひそかに胸を高鳴らせていた。


「カルナック伯爵家の輝かしい先祖の墓を探して、巡礼しませんか」

「そうだな。近くまで行ってみようか」


 トリスタンが鋭い視線で宵闇を探ると、薄暗い空の向こうに、遠目には雲の境界ともとれるような——しかし、直感を信じるなら、かの有名な「レオン・ド・カルナックと異教徒サラセン人を埋めた一枚岩の墓石」らしき稜線があることに気づいた。


「あれに違いない!」


 トリスタンはその方向へ進みながらオリヴィエに提案してみた。


「よろしければ、俺自身が先にあそこまで行ってこの目で確認してきます」


 オリヴィエの許可を得て、トリスタンはバアルを走らせた。

 しばらく行くと、思った通り「予言の墓」の前に出た。

 ピラミッド型の巨石で、その上に苔が生えているだけだ。

 ただの石に見えるが、この墓石の前を通りかかる旅人たちは、敬意と恐怖を感じながら十字を切った。花と廃墟が混ざり合うように、古めかしい伝説が記憶に刷り込まれることを恐れたのだ。


「さて、ジル・ド・レ伯爵は『墓を覆う石を持ち上げろ』と言っていたが……」


 トリスタンは腕力に自信があったが、それでもこの石を一人で持ち上げるのは不可能だと思った。


 トリスタンが考え込んでいる間、トールとブリンダは墓石と地面の境目に鼻を寄せて、猟犬みたいに嗅ぎ回っていた。何か察知したのか、突然立ち止まると、頭を上げて長い悲痛な遠吠えを上げた。


 同時に、バアルも墓に向かって首を伸ばして耳を立て、鼻の穴を開いて空気を吸い込むと、犬の遠吠えと同じようにいななき始めた。


「そこに何があるんだ?」


 トリスタンも耳を澄まして深呼吸しながら霊廟を眺めたが、墓石以外には何も見えず、風の音以外には何も聞こえない。

 矢の届く距離で待っているオリヴィエのもとに戻り、確かに墓があることを報告した。


「ここで野営しましょう」


 オリヴィエは快諾し、平原で一晩過ごすために行列を停止させてテントを張るようにと命令した。


 兵たちは下馬して、馬を使用人バレットに引き渡すと野営の準備に取り掛かった。


 松明たいまつに火をつけ、ヒース(ツツジ科の植物。ほうきの枝やたきぎの燃料に使う)を集めて焚き火をおこし、荷馬車から鍋や鉄杭を持ってきて炊事場を作って食事の準備をするのだ。


 松明の明かりを頼りに、ずんぐりした弓兵たちが甲冑をがちゃがちゃ言わせながら走り回り、銅の大鍋を持って行ったり来たりするのは滑稽だった。工兵たちはテントを支える鉄杭を地面に打ち込んでいるが、中には仕事をさぼってのんびりと寛いでいる者もいる。馬のいななきや使用人の声がざわめく中で、焚き火で暖を取っていた。


 その間に、オリヴィエとトリスタンは墓に向かった。

 墓の前に到着すると、オリヴィエは敬虔な気持ちで十字を切った。


「この墓を開封しましょう」

「なぜ死者の安息の地を踏みにじる必要が?」


 トリスタンは、墓を暴くためにオリヴィエの権力を利用しようとした。

 しかし、敬虔なオリヴィエが墓あばきに賛同するはずがない。

 こうなると予想して、あらかじめ説得するための理屈を考えていた。


「力と加護を求めるためです」

「どういう意味だ」


「この墓で眠っているのは、カルナック家の偉大な先祖です。勇名を馳せた先祖へ加護を呼びかければ、遠征の験担ぎになります」


 オリヴィエは「なるほど」とうなずいた。


「異教徒サラセン人との激闘から700年を経て、子孫のオリヴィエがこの霊廟を巡礼するのは偶然とは思えません。偉大な先祖も喜ぶでしょう。墓をあけて、数百年来の先祖と子孫が対面を果たし、子孫が先祖の武具を授かることは悪いことでしょうか。いわば、先祖の加護がこめられた『お守り』みたいなものですよ」


 700年前、祖先が異教徒と戦った伝説の剣でイングランドと戦うのは、きっと美しい光景だろう。


「トリスタンの言うことは、確かに一理ある」


 オリヴィエは墓前で立ち尽くしていた。

 タペストリーや予言詩、先祖の年代記に書かれた一族の記憶が、オリヴィエの精神にどんな影響を与えたかを考えていた。


「……だが、墓あばきはやはり死者への冒涜だ」

「どうかお願いします。俺は好奇心が強くてこの墓の中を見てみたい」

「正気か?」


 トリスタンは「ああ、わかっています」と答えた。


「祖先が使った剣ではなく、オリヴィエ自身の剣で戦うからといって失望しませんよ。その剣だって良いものですからね」


 祖先由来の伝説の剣を引き合いにしてコンプレックスを刺激しようと試みたが、オリヴィエにはあまり通じないようだ。


「では、祖先のカルナック伯爵とともに眠っているサラセン人をどう思いますか。異教徒は敵であり、敵の武器を奪うのは勇敢な行いでは?」


「トリスタンがそんなにロマンチストだとは知らなかったよ」


 オリヴィエ困ったように苦笑した。


「気持ちはわからなくもないが、死者には安らぎを与えよう。戦いの後、かつての敵同士が隣り合って永眠していることに意味があるんだ。それは死の和解であり、永遠の赦しといえる」


「本当にそうでしょうか。二人の英雄の間に何があったか、長い時間が何をもたらしたのか、真実を知りたいと思いませんか」


「もう一度言うが、好奇心を満たすために死者の安息を乱すのはやめよう」


「わかりました。もし死者を冒涜した罪があるとしたら、報いを受けるのは俺ひとりです。それならいいですよね」


「トリスタンは何を……」


「オリヴィエは何もしなくていい。ですが、俺がすることを見ていて欲しい。きっと、カルナック家の記憶に残る光景を目撃できますよ」


 オリヴィエの返事を待たずに、トリスタンはキャンプに引き返すと男たちを連れてきた。大きな一枚岩を持ち上げるのに必要な道具もすべて持ってこさせた。ある者は板を、ある者は鉄杭を、ある者はロープを、ある者はツルハシを持って駆けつけた。


「動かすのはこの石だ。みんなの力強さと勇気を証明してほしい」


 墓の周りに集まると、トリスタンは石を見せて言った。


「やれやれ、トリスタンの好奇心と行動力には敵わないな」


 ついにオリヴィエも、他のどんな感情よりも好奇心が勝ってその気になってしまい、石を動かす許可を出した。







【追記】


本作を電子書籍/ペーパーバック化するにあたり、規約の都合上、非公開にしました。見本代わりに、本編冒頭〜主人公が登場するまで、各章1話目と登場人物紹介を残しています。

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