レイジィ・ブレードの憂鬱 ~煤煙に閉ざされた隔離都市で、不殺の剣士は青空を見たいと願う記憶喪失少年のために〝なまくら〟を振るう~

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

第一章 不殺の剣士は記憶喪失の少年を拾う

第一話 怠惰な剣士と吸血鬼

 闇の中で、小さな火がまたたいた。

 煙草の火口ほくち

 ターゲットの小太りな男は、頼りなくくすぶるそれをしきりに口元へと運び、焦りとともに煙を吐き出す。

 いくつもの紫煙が、暗雲の厚く垂れ込めた、出口のない空へと向かってゆっくり登っていく。


 ここは隔絶都市ル・モン・ルル。

 国の中心に巨大な十字架塔を抱く、逃げ場のない街だ。


 火が、地面に落ちた。

 男は踏み消すこともせず、すぐ近くのビルディングへと消えていく。

 この街の重要施設が集まる区画で、細々と営業されていた薬局。

 しかしこの店の持ち主は、数日前に突如蒸発し、いまは空き家のはずだった。


「それを覗き見る貴様レイジか。血がにごるぞ?」


 暗視ゴーグル片手に、ターゲットを監視していた俺へ、相棒が声をかけてくる。

 歌唄うたうたいたちが生涯をかけてようやく辿り着くような、美しくよく響く声音だった。


 振り返れば、俺よりも頭二つは身長の高い――百九十は超えている――青白い面持おももちの美丈夫びじょうふが、こちらをジッと見おろしていた。

 瞳の色は血のように赤く。

 唇には、黒いルージュがひかれている。

 服装も独特を極めており、夜会におもむくようなタキシードに身を包んで、ただでさえ細い腰を、コルセットで強く締め付けている。

 魔性のような、妖艶ようえんな色香がそこにはあった。


 もしもいまが昼間なら、周囲は男女を問わない人だかりでいっぱいだっただろう。

 彼――クリュゥード・メ・エウセスカには、それだけの魅力があった。


「私などより、貴様の方が目をく容姿だろうが。それよりも盗視とは、レイジらしい悪趣味だ。いよいよ本性を隠すのをやめたのか?」

「お生憎様あいにくさま、俺は見守るのが趣味でね。手間がかかるやつほど愛おしいんだよ。第一、それよりもというのならエウセスカ、おまえこそ他人をそしるなんて、誇り高きクリュゥード族にしては下賤げせんじゃないか?」


 言い終える前に、俺は首を横に傾ける。

 風を切って、背後の壁をなにかが貫いた。

 ほんの一瞬まで俺の頭があった位置には、黒々とした杭が突き立っている。

 黒杭こっこう

 エウセスカの持つ、最大威力の得物ぶきである。


「さすが私の相棒だ。いまのをよく避けたな。たたえてやろう、次は殺す」

「シームレスに殺そうとするな。冗談は暴力をともなわないものだけにしておけって両親から習わなかったのか? それとも良心がないのか? あ、ないのは考える脳みそか」

「私にないのは心臓だ。そして貴様は命を失う。等価交換だな」

「メリットがない。嫌すぎる交換だ……」

「ふん、そもそも親というならば貴様が――いや、レイジの舌先に付き合ってやるのは此処までだ。優先すべきは、仕事のほうだろう」


 いつもどおりの軽口を終えて、相棒が本題へと入る。

 彼は細く長い手を、こちらの目の前へと掲げて見せた。

 どんな奇術を使ったのか、さきほどターゲットが捨てた煙草の吸い殻が、エウセスカの指先には握られていた。


 相棒は指先でくるくるとシケモクを回し、それを自分の口元へと運ぶ。

 黒いルージュの唇を割って、赤い舌が現れ、吸い口をと舐めた。


「間違いない。ターゲット、広域爆破魔テロリスト〝ボマー・ゼー〟の情報サンプルと一致する」

「前から思ってたんだが、血液以外の体液を口にするのって、おまえにとってどんな感覚なんだ?」

「貴様はパンを食べるが、米を嫌うのか?」


 なるほど、それはわかりやすいたとえだ。


「ついでに一つ。俺が視認した時点で、ターゲットと確認できていたのに吸い殻を拾った理由は?」

「二つある。ひとつ、貴様は間が抜けている」

承服しょうふくしかねるけど、二つ目は?」

「私たちが〝掃除屋〟だからだ」

「…………」

「笑え。私なりの冗句ジョークだ」

「そんなだから俺以外に友達いないんだぞ」

「黙れ、殺すぞ。私にとて気安い相手はいる。そうだな……視覚情報というのは、体感よりも当てにならないから、としておくか。誰もが見た目に騙される。この剣と同じだ」


 言って、彼は俺の腰へと手を回してきた。

 その大理石のように白い指が、三振りの得物――俺が腰に差した剣へと触れる。


「今回は名剣だな、上古の作か。斬鉄もなせるだろう」

「エウセスカ」

「解っている。貴様以外は殺すな、であろう? しかし、偽善極まりないとは思わないのか? 標的あちらはこちらを殺すつもりで来るのだぞ?」

「それでも、俺はみんなに生きて欲しいよ」

雇い主ジルヴァも貴様も、難しい注文ばかりだ。いいだろう、クリュゥードの誇りに賭けて、付き合ってやる」

「助かるよ。よし――」


 それではひとつ。

 世のため人のために、お仕事をはじめましょうか。


「掃除屋の仕事を、ね」



§§



 爆炎が咲いた。

 クリーニング屋の正面から突入したエウセスカを、指向性の爆薬が吹き飛ばしたのだ。


「バカめー!」


 喝采かっさいをあげたのは、小太りで頭髪の薄い男だった。


 煤煙ばいえんと結界によって空と大地を閉ざされた国家――閉鎖都市ル・モン・ルル。

 この国で、三年にわたって重要拠点ばかりを爆破してきた男がいた。

 それが、通称ボマー・ゼー。

 爆弾を扱わせれば右に出るものはいないとされる、天才的テロリストであった。


「はっはっは、ザマァ! このボマーさまが出入りしている扉なら安全と思ったかよ! 十五秒もあれば対人地雷ぐらい設置できるってーの!」

「――だと思った」

「!?」


 エウセスカを吹き飛ばしてご満悦のボマーの背後に、俺は音もなく降り立つ。

 ボマーのぎょろりとした眼が驚愕でいっぱいに見開かれ。

 次の瞬間、頬がバラ色に染まった。


「天使サマ……?」

「残念ながら違うね。俺は――掃除屋だ」

「どうやって――」

「侵入経路かい? 普通にジャンプして屋上から入ってきただけだから、種も仕掛けもないよ」

「お、屋上には人感センサーがある! やっぱり、テメェは天使――」

「センサーは切った」

「は?」


 間の抜けた表情をする男へ、俺はウインクを飛ばし、腰の得物を即時抜刀。


「こんな風にね――怠惰な利剣レイジィ・ブレード


 陶然とうぜんと俺の顔に見取れていた男の腹を、刃がぐ。


「ぎっ!?」

「俺が持つ刃はになる――安心しろよ。両刃だけど、峰打みねうちってやつだ」

「ふざけ――」


 痛みに崩れ落ちて、地面に突っ伏した男は。

 今度は別の意味で顔を紅潮させ、怒声を吐き出そうとして――そのままあんぐりと、口を開けることになった。


 爆破された入り口から、コツリ、コツリと足音が響いてきたからだ。

 黒く長い足。

 それが一歩進むごとに、漆黒のモヤがどこからか集まってきて人体のパーツへと変わっていく。

 最終的にボマーの眼前に立ったのは、怪我ひとつない相棒の姿だった。

 彼は爆発に巻き込まれた瞬間、肉体を霧化きりかして被害を間逃れたのだ。


「あ、ああ……」


 テロリストが、顔を青ざめさせてガタガタと震え出す。

 百面相ひゃくめんそうかな? 忙しいやつだ。


「切れない剣士と、不死身の吸血鬼……テメェらは、まさか――メテオール公爵家の掃除屋か!?」

「そうそう。この街で悪いことをすると、こわーい俺たちに掃除されちゃうわけ」

健常者ニュートラルに味方する〝変質者トランス〟の裏切り者め! お、おれを殺すと後悔するぞ……! このボマーさまのバックには四騎士が付いていて――」

「じつに血が不味まずそうな脅し文句だ。私たちの雇い主は、その四騎士とやらの掃除も望んでいる」

「――――」


 愕然するボマーの手足を、俺はテキパキと拘束していく。

 今日は簡単な仕事だった。

 さっさと屋敷に帰って、温かい紅茶にでもありつければ――と。

 そこまで考えたとき。


 爆音が、とどろいた。


 見遣みやれば、ボマーは狂気的な笑みを浮かべ、口をすぼめる。

 こちらへと向けて吐き出される唾液。

 さえぎったのは、相棒の右手。

 刹那、その手が爆発四散する!


 体液を爆薬に変える〝トランス〟か!?


「エウセスカ!」

「――行け」


 俺をかばって吹き飛ばされた腕を即座に再生させながら、相棒はボマーの顔を踏みつける。


「しかし」

「私は、貴様の相棒ではないのか?」

「――任せる」

「それでいい。それでこそ、貴様の血は美しくかおる」


 艶然えんぜんと微笑む彼にあとを託して、俺は外へと飛び出した。

 店の外に出れば、すぐに解った。

 もうもうとした爆煙が、煤煙の空を燃やしている。


 このあたりにある施設と方角を、脳内で高速演算。

 中央銀行、派出所、教会。


「ウェイルロー記念病院!」


 事態の深刻さを理解したときには、俺は文字通り飛び上がっていた。

 家屋の壁を雨樋あまどいづたいに駆け上がり、屋根を蹴って飛翔。

 一直線に爆心地へと向かう。


 脳裏をよぎるのは、遙か昔、この街が閉じてしまったときに起きた大災害の光景。

 かぶりを振って無用な思考を頭蓋から追い出し、さらに加速。

 五分ほどで辿り着いた先にあったのは――赤々と燃える、病院の姿だった。


 ほとんど原型などなく崩れ落ち、燃えさかる瓦礫がれき

 収容されていた百数十人の命など、絶望的な災禍さいか

 否――テロリズム。


 ボマーの仕業しわざだとしたら、予測できなかった俺たちの罪だ。

 意を決し、無駄だと解っていても炎の中へ飛び込んで救出活動しようとしたとき、視界の端を、なにかが過った。


 少年が、倒れていた。

 全身に火傷を負った、金髪の少年。

 彼はところどころすすけた絵本を大事そうに抱え、地面に突っ伏していた。


「きみ!」


 目前の命を無視できず、少年を抱え起こす。

 すると、彼は微かに目を開いて。


「青い、そらの色……」


 俺の目を見て、それだけつぶやくと、また意識を失ったのだった。



§§



 これが、公爵令嬢の雇われ掃除屋たる俺――レイジ・オブ・ペイルライダーと。

 隔離都市で青空を夢見た少年、ユア・ピューピィの最初で。


 ……きっとどうしようもない、最悪ウンメイ出逢であいだった。

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