第1話Awakening―― 2

 3:

「それで?」

 部隊名『アックス』のリーダー、村雲鈴音は、椅子に座って腕を組んだまま、短く返した。

「私はあんたたちを叱れば、それでいいの? 誠一郎」

 黙ったままでいると、先を見越した追撃がやってきた。

「誰がそんなことをしろといったかしら?」

 すまない、申し訳ない。そういった言葉を出させるが彼女狙いではない。自分はただ黙って聞いていればいい。賽は投げられた、それは彼女も分かっていること。

「任務は『処分』のはずだったわよね?」

 彼女は自分から言い訳や謝罪を聞きだしたいわけではなく、今の自分の中にある憤りを発散させたいだけなのだ。適度に消化してしまえば、彼女は次の案を的確に指示してくれる。

「誰が言い出したのかしら? まさか誠一郎、あなたじゃないわよね? 麻人? それとも凉平の阿呆?」

「……シュウジだ」

 彼らはむしろ反対の側だった。彼ら二人にはもう道連れのような状態にある。ゆえに彼らにこれ以上の非を与えてはいけない――ということからの口の滑りだった。

「俺も、シュウジの意見に賛成した。だからこれらの件は俺たち『アックス』にある。『セイバー』の二人に非はない」

 それを聞いた鈴音は、口をつぐんでから半眼になってあさっての方向を向いた。

「普段からの『しつけ』が足りなかったようだな。エア=M(マスター)=ダークサイズ」

 この低い声は鈴音の隣にいた男からだった。

 エア=M(マスター)=ダークサイズとは、この俺とシュウジのリーダー、村雲鈴音のコードネーム。

 そしてその鈴音の隣にいるのが、部隊名『セイバー』のリーダー、フレイム=A(エース)=ブレイク――麻人と凉平のリーダーだった。

 ブレイクが口を開く。

「大方、お前が自分から責任を背負おうとしたのだろう。だが、それでお前たちを罰するわけでもない……ただお前たちが懸念したのは、このイタチ女のカミナリをどうにかしたかったのだろう? 今この状況のように。あえて貧乏くじを引いたのだろうな」

 見抜かれている。

 大柄筋肉質で鉄面皮に冷淡な低い声の男――ブレイクは、その無感動な口調に少しだけ皮肉を飛ばし、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。

 彼は煙草のフィルターから紫煙を吸い込み、ひと吹きしたところでまたこちらを向く。

「特に問題はない……お前たちが任務を全うできれば、な」

 だがやはり機嫌を損ねているのだろう、ふんと鼻を鳴らして、

「それで、どうする気だ?」

 そっぽを向いていた鈴音もこちらに向き直り、二人できつい視線を浴びせてきた。

「それは……」

 緊張の意図が張り巡らされた重苦しい空気の中で、何とか声を絞り出す。

「考えていない。だそうだ」

 かくんと鈴音が肩を落とし、ブレイクが紫煙を吐きながらため息をついた。

「流石は『アックス』だな」

 ブレイクが皮肉を鈴音に投げた。

 もう既に、部下の失態で威厳を失った鈴音が、開き直ったように言い返ず。

「どうせあんたみたいに上手く飼いならせないわよ」

 『セイバー』と『アックス』のリーダーは、シュウジがそうした理由も俺たちが賛成した理由も問おうとはしなかった。

 聞いたところでどうしろというのか。そう理解していたようだ。

「まあ、どうなるかは実際にそうなってみなければ分からんな。一時現状維持で行動しろ。次の任務に支障をきたす事態にはするな」

 ブレイクは、それでいいな? と鈴音に視線を送り、鈴音は渋々と頷いた。

「了解した。現状を維持し、おって次の任務を待つ」

 現状を維持しろというのは、あえて言えば『自由にしろ』という事でもあった。


 4:

 にんじん、じゃがいも、お肉、ねぎ。肉じゃが。

 味噌汁、ご飯。それからお店の残り物。

「おいしい」

 味は甘くて、しょっぱくて、やわらかくて、少しだけ固い。

「おいしいおいしい」

 食べ物、夕食。

 喫茶店『ひなた時計』の中で、皆と夕食を食べていた。日も落ちて夜になり、お店も終わった中だ。

「あーも、あんたちゃんと接客してよね! なんで掃除しかやってくれないのよ!」

「めんどくさい」

「それでも住み込みで働いてる身分なのかしら」

「住み込みしてる身分だ」

「ほんと、にくったらしい!」

 カウンターに座って食べていると、カウンターの後ろにあるボックス席から加奈子ちゃんとシュウジの言い合いが聞こえてくる。

 カウンターの中に座っている麻人さんが言ってきた。

「那菜ちゃん、後ろを向きながら食べるのは行儀が悪いよ。食事中はよそ見は駄目だからね」

 食べているときはよそ見をしない。

「はい。わかりました」

 麻人さんは優しい。シュウジはらんぼう。凉平さんは楽しい。加奈子ちゃんとそれから誠一郎さんは変な人。

 今日一日で、覚えることがたくさんあった。

 シュウジとの言い合いがひと段落したらしく、加奈子ちゃんが呼んできた。

 よそ見しない。だから振り向かないで「はい?」と返事をする。

「那菜ちゃんて、年の割りにちょっと幼いって言われたりしない?」

 幼い? 押さない? 

「わからない」

「ええと、なんというかこう……私より少し年が下だなって思うけど。那菜ちゃんっていくつなの?」

「私はいくつなんですか?」

「聞いた私に聞かれても……」

 やっぱり加奈子ちゃんは変な人だ。

 ふと、私の頭の上に目線を上げ、加奈子ちゃんはあっと驚いてご飯と一気に食べ始めた。

「ごめんなさい! 私このあと課題があったんです! これで失礼します!」

 課題とは一体何なのか分からなかったが、加奈子ちゃんは急いで自分の荷物をまとめると、

「それじゃあこれで! お疲れ様でした!」

 みんなの「お疲れ様」を聞く前に、喫茶店を出て行ってしまった。

 カランカランとカウベルの音だけが、ゆっくりと静まる。

「そういえば」

 急に、凉平さんが口を開いた。

「チビ助、お前外に用事があっただろ? あれだ。あれあれ」

 シュウジが思い出したように。

「あー、そうだ。忘れてた。ちょっくら行ってくるわ」

 とっくに夕食を食べ終えていたシュウジが、そのまま外へ出て行った。

(あ――)

 店の出入り口のドアを開けた時、その奥に一瞬だけ人影が見えた。

 あれは――

「那菜ちゃん」

 麻人さんが呼んでくる。

「コーヒーとオレンジ、どっちにする?」

 コーヒーは良い匂いだけど、やっぱり苦い。

「オレンジが欲しい」


 一気に人の気配が無くなってしまった。店内には、私と麻人さんと凉平さんの三人だけ。

 話すこともなくなって、ゆっくり時間が流れる。

 オレンジジュースがおいしい。

 凉平さんが散らばった食器を片付ける。受け取った麻人さんが洗っていく。凉平さんがそのまま奥へ行ってしまって、麻人さんと二人きりに。

 麻人さんが食器を洗い終わって、一度伸びをしてから、麻人さんもいなくなってしまった。お店の中は私だけ。

 しんとした中に、外から車が走る音が聞こえてきた。あんなに騒がしかったお昼が、今では外も中も静かになって、やることが無くなってしまった。

 頭を揺らしながら、体を少し振ってみる。キイキイと座っているスツールが軋み音を立てた。また外を車が通って行った。

 オレンジジュースをストローで飲む。飽きた。

 脚を振ってみる。つま先をカウンターにぶつけてしまった。「うーん」と声を出してみる。誰もいないので誰からも返ってこない。

 天井を見ると、三枚羽の換気扇が止まっていた。もう動いていない。

 天井の角に、お店で流れていた音楽を出していたスピーカーがあった。黒い四角のスピーカー。

 そのスピーカーをじっと見ていると。

 小さな声が聞こえてきた。

 

 ナンバーセブン。やっと届いた。

 今なら分かる、届いたって。

 迎えに来たよ。さあ、こっちへおいで。こっちに来て。

 今なら逃げ出せる。早く。

 急いで。


 5:

 気が付くと、景色が『ひなた時計』の店内からぼろぼろになった部屋に変わっていた。

「……ここは」

 どこなのだろう? スピーカーから声が聞こえてきて、それからどうなった? 何があった? まるで一瞬でここに移動したかのよう。

 店のスツールに座っていたはずなのに、

 頭の中がぼうっとする。体が火照っているのに肌が冷たい。走った後のようだ。息も少しだけ乱れている。

 何も覚えていない。何があったのか? どうして私はこの壊れたビルの中にいるのか?

「ビル?」

 今、自分は何と言った? ここが廃ビルの中だと、何故分かった?

 何故移動したと思った?

 あの『ひなた時計』の出来事が、夢の中だったかもしれない、幻だったのかもしれないのに、なぜ私はとはっきりそう思ったのか?

 ここまで走ってきた? そうだ、ここまで――呼ばれて、ここまで――


 そして、この生物たち。

 

 自分を囲んでいる五体の生物たちは、服は一般人の服装をしているが、顔の下から首にかけて凹凸がない、口の端が鋭くなっている。わずかに動く胸の動き、呼吸も人と変わっている。

 リザード――型番は細部まで見ないと分からない。生物兵器――人間の遺伝子に爬虫類の長所を合わせた――人工生物――生殖能力も性別もない――さらに主の命令には絶対に従い、躊躇もしない恐れない、知能は人間の幼児ほどで留めている、さらにリザートの長所は休眠状態にできるつまりは低体温状態でも生存することができ、それは

「まって! まって!」

 頭を抱えて叫んでいた。

 頭の中から情報が洪水のようになだれ込んでくる。

 全く知らない見たことがないはずなのに、知っている事が一気にあふれてくるようだ。「だめ! やめて!」

 止められない、自分で止める事が――苦しい。


『ストップ!』


 頭の中で自分ではない声が叫び、

 思考の回転が止まった。

「だれ?」

 

『僕だよナンバーシックスだよ。

 良かった、返事をしてくれた。大丈夫、僕は君を助けに来たんだ』


「ナンバーシックス?」

 胸に記された『№7』の文字に触れる。他にもこの名前の人がいたのか。

 頭の中から聞こえてくる声で、辺りを見回す。しかし、量産型生物兵器のリザード以外、他の人間は見当たらなかった。

「私は、誰なの? あなたは何者なの? どうして私は記憶が思い出せないの?」

『うん?』

 姿が見えなくもささやく声に、疑問符が混じった。気配をうかがうに、考えている様子だった。

『精神年齢が発展している? 急速に? ……構築が体の成長に合わせて?』

 何を言っているのかわからない。ぶつぶつと呟く声の主……上手く聞き取れ無いが、相手の返答を待った。

『とにかく話は後だ。まずは君が――』

 声が突然途切れたのは、間に割って入ってきた二人の人物に驚いたからだった。

 ささやいて来る声が『セブン!』と叫んだが、それ以降気配が途切れたように消えてしまう。

 銃声 斬撃

 こちらを取り囲んでいたリザード五体のうち、二体が一瞬にして倒れる。一つは肩口から斜めに両断され、もう一つは頭部に穴を穿れて――

 現れたのは、黒いコートに黒光りする漆黒の刀を持った人物と、大型の拳銃を両手に持った黒いボディスーツを着込んだ人物。

 こちらをかばうように背を向けた、黒い二人組。

 残った三体のリザードが即座に身を低くして、跳ねるように距離をとった。

 甲高い音を立てた威嚇の声を発し、リザードたちが戦闘態勢を取る。それぞれにナイフや銃器を持って。

 三体のリザードたちが、ほぼ同時に動く。

 こちらを中心に円を描くように、腰を低くして風を切るように素早い動き。

 すると黒刀を持ったコートの人物が、その刀の切っ先を床へ突き立て、叫んだ。

「ウォール!」

 ズンッ! ぐしゃ!

 最初の音は、円を描いて疾走していたリザードの進行方向に、突然意思の壁が現れた音。次にリザードがその石の壁に頭から激突した音だった。

 三体のうち一体が、石の壁に激突して崩れる。割れた頭部から出た血が石の壁にべっとりと尾が引いている。

 意表を突かれたリザード二体が「ギャ!」と声を上げ、また足を止める。

 その隙を狙い、両手に大型拳銃を持っている方が動いた。強い光が瞬く。

 ダンダンッ!

 空気が破裂する音が二度響き、二体のリザードの胸に穴が開いた。そのままリザード二体が吹き飛んで……動かなくなる。

 大型拳銃の人物が、ゆっくりとした動作でリザードたちへ向けていた銃口を下ろす。


『くそう! まだだ!』


 頭の中に声が響く。

 すると、隠れ潜んでいた二体のリザードが現れ、黒い二人組へ向かっていく。


『早く逃げるんだ! 早く!』

 

 わけが分からない。だが、逃げるべきだと焦燥に駆られる。

 部屋を出て、廃れた廊下を――痛い!

 裸足だった事にいまさら気が付く。

 それでもかまわず、走る。逃げなきゃ。

「まて!」

 後ろから声が聞こえてきた、囁いて来た相手ではない声が。

 逃げなければ。

「あっ」

 床の砂埃に足を滑らせ、転倒する。そのまま頭を打ってしまった。

 痛む頭を抑えて起き上がる。

「おい、大丈夫か?」

 振り向く。

 呼んできた相手は、全身を黒いマントに身を包んだ背の低い人物だった。

 尻餅をついたまま後退する。

「来ないで! 来ないで!」

 手に触れた砂埃や、建築材の破片を投げる。

「大丈夫だ! 那菜!」

「来ないで来ないで!」

「俺だって!」

 相手は黒いマントの頭を覆っていた部分をはぎ取り、顔が露わになった。

「……あ」

 金色のぼさぼさの髪に、少女のような顔立ちをした少年。

「シュウジ」

 ばつの悪そうな顔をして、黒いマントの人物――シュウジが頭を掻いていた。

 どうして?

 そんな声を出す前に、シュウジの背後から先ほどの黒刀と大型拳銃を持った二人組が走ってやってきた。

「アックス2」「チビ助」

 全身が黒い姿をしているが、体格に面影がある。声にも。

「麻人、さん……凉平さん?」

 正体がばれて、二人が隠していた顔を見せると、やはり麻人さんと凉平さんだった。

 シュウジが振り向いて二人に。

「リザードは?」

 凉平さんが肩をすくめて答えた。

「あんな量産に後れは取らねーよ」

 麻人さんも同意なのか、一度ため息をついた。彼のほうは、柔和だった笑みが消え厳しい顔つきになっている。

「大丈夫だ」

 口を開いたのは麻人さん。

「俺たちは少なくとも味方だ。心配ない」

 凉平さんが寄ってきて、「立てるか?」と手を差し伸べてきた。それを取って、立ち上がる。

「皆は、いったい……何なんですか?」

 めまぐるしい事が起こりすぎて、何をどういえば良いのか分からなくなってきた。


「ソーサリーメテオめ」


 聞こえてきたのは、ささやいて来た声の主。だが、

 口を開いたのは自分の口からだった。

 先ほどの声の主が、私の口を使ってしゃべりだす。

「ナンバーセブンは必ず取り返す。忘れるな、僕は君たちを許さない……絶対に取り戻す」

 勝手にしゃべりだす自分の口を押さえるが、もうそれ以上勝手に口が開くことは無かった。

 言ったのは私ではないと、口を押さえながら首を振る。口を両手で押さえたまま、もごもごと。

「わ、私じゃありません! 口が勝手に!」

 するとそれが伝わったのか、シュウジ麻人さん凉平さんとそれぞれ顔を見合わせた。

「とりあえず、『ひなた時計』に戻るか」

 シュウジが切り出し、麻人さん凉平さんも賛成して、私たちはその場を後にした。

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