第九話〜⑧

 予兆も無くシュトルーヴェ家を急襲した第一連隊は、驚くアリシアとマルティーヌを押し退け伯爵の部屋へと雪崩れ込んだ。

 

 監獄襲撃の詳細な話し合いを行っていた伯爵と同志数人は、試みた抵抗さえも圧倒的な数の差で押し切られ、たちまち制圧・拘束された。

 取り押さえられた伯爵達の前に、先代シュトルーヴェ伯爵が現れた。

 先代は息子の従僕に金銭を渡し、監視を命じていたのだ。


 先代伯爵は、拘束されても、尚、父親を睨み上げる息子を杖で打ち据えた。

 先代は、何度も何度も伯爵を殴った。

 幼少期から反抗的だった息子がいよいよ国家への叛意を示した事を機に、それまでの怒りが爆発し、罵声を浴びせて執拗に痛め付けた。

 怖くて、見ている事が出来なくて、母のドレスにしがみ付いて泣くアリシアも「黙れっ」と怒鳴り付けられた。


 やがて、殴り疲れた先代が腕を下ろした時、杖は折れ、伯爵は血塗れで動かなくなっていた。

 床には伯爵の血が飛散し、第一連隊の兵士達が鼻白むほどの凄惨な有り様となっていた。


 縋り付くマルティーヌを払い退け、第一連隊は意識を失った伯爵と同志達を連行した。

 伯爵が解放されたのは、ローフォーク家当主の処刑が終わり、その次男が爵位を受け継ぐと同時に、母親と共に王宮庭園を追放された後の事だった。


 屋敷に戻ってきた伯爵は、出迎えたマルティーヌとアリシアを前に、茫然と虚空を見詰めながら言った。

『力を付けたい。誰にも屈服せずに済む力が欲しい。カレルとオーレリーを王宮庭園へ連れ戻して、また、以前のような、幸せな日々を過ごしたいんだ……』


 フィリップ十四世に逆らう意図は無かった。ただ、兄と慕った友人の命を奪わないで欲しかっただけだ。

 取り返しのつかない失敗をしたのは彼の息子であり、部下であるクレールだ。だから、父であり上官である彼が責任を負うのは仕方のない事だった。


 だが、死ぬ事は無かった。


 死を持って償わなければならないほどの罪を、友は犯したのだろうか。

 その妻と、まだ十二歳のもう一人の息子までもが罪人の咎を負い、追い払われる必要が本当にあったのだろうか。


 何度も国王へ助命を願い出て、門前払いを受けた。

 自分達に残された手段は、あれしか残っていなかったのだ。

 叛乱を企てたとして処刑されるなら、それも本望だと思った。

 だが、生き残ってしまった。

 宰相である父の力で、罪も不問にされてしまった。


『カレルはきっと俺を恨むだろうな。だけど、憐れまれるべきは俺じゃない。アンリを助けられなかった俺は、友を見殺しにしたと謗られても当然なんだ。マルティーヌ、この事は誰にも言わないでくれ。フランツにもだ。俺は赦されるわけにはいかないんだ……』

 静かに涙を流すマルティーヌに抱き締められて、堰を切ったように泣き崩れた父の姿を、アリシアは今も忘れられずにいる。


 その日の事を、あのまんじりともしない追悼の夜に、彼女は訥々と話してくれた。寝台の中で語るアリシアは、エリザベスの手を握りながら小さく震えていた。まるで、悪夢に怯える幼子のように。


 追悼の夜、一人でいられなかったのは、きっとアリシアの方だったのだ。


 ローフォークは、力無く再びベンチに腰を下ろした。

 頭を抱え苦渋に表情を歪ませる彼は、しばしの沈黙後に掠れた声で、一人にして欲しいと呟いた。

 エリザベスは一礼をして、練兵場を立ち去った。


 この二日後、宮廷からシャイエ公爵夫人へ、領地での蟄居が命じられた。

 実質的な追放だと王宮庭園は騒然となったが、その騒めきも、グラッブベルグ公爵派達の勝ち誇った高慢な態度に、白ける形で静まって行った。


 オーレリーは、シャイエ公爵夫人と共に公爵領へ向かう事となった。

 王宮庭園への立ち入りについては、その経緯からオーレリー自身の罪は問われる事は無く、子爵家の当主であるローフォークに対しても一切の通知は無かった。

 国王フィリップ十四世の振る舞いは、まるでローフォーク家自体が存在していないかのようだ。

 これらをフランツから聞かされたローフォークは、両手を握り締めて不遇に堪えていた。

 その姿に、エリザベスはただただ悲しくなるばかりだった。



     *   *



 十二月に入り、空気はより一層の冷え込みを強め、時折、小さな白い粒が空から舞うようになった。

 収穫の季節はとうに終わり、王宮庭園では本格的に社交のシーズンとなる。


 シュトルーヴェ伯爵家には、連日、夜会の招待状が届いていた。

 今年は特にマルティーヌの女官長就任と、嫡男とスティックニー侯爵令嬢との縁組が話題になっている。

 さらに、最近まで世間を騒がせていたレステンクール人による銃密輸と王族の暗殺計画を、フランツ率いる第二連隊が結果的に終結の一手を打った形になり、治安維持軍では第一師団に勲章が与えられていた。


 改めて、耳目を集めるシュトルーヴェ伯爵家と、お近付きになりたいという事だろう。

 グラッブベルグ公爵との因縁が浮き沈みしていながらも、シュトルーヴェ伯爵家と縁故を結ぶ事は、多くの貴族達にとってとても魅力的なのだ。

 例年以上に届く招待状の数に辟易しながらも、シュトルーヴェ家の人々は手際良く、誰がどの夜会に出席するかを振り分けていった。


 そんな冬の日々の、特に冷える夜だった。

 厚手の外套を着たフランツに続き、ジェズは二頭立ての馬車に乗り込んだ。

 今夜、フランツは王都内の資産家の夜会に招待され、ジェズはそのお供を仰せつかったのだ。なんでも、見せたい物があるのだという。


 主催者の資産家は、所謂、特権商人だ。

 王国の兵器製造を担っている技術者達を取り纏め、商品を売り付ける相手は国家そのものという、極めて特殊な立ち位置の大商人だった。

 軍事関係という事で、国軍の主要部に在り続けたシュトルーヴェ家とも縁は深い。


 今回、その商人がアンデラ産の密輸銃を元に、改良した小銃の試作品をこっそり見せてくれるのだ。さすがに試し撃ちをさせてもらうわけには行かないが、現段階での動作確認や使用感の感想を聞かせて欲しいと、軍務大臣である伯爵に打診があった。

 それならば是非ジェズに触らせたい、とフランツが言い出し、このような運びとなった。


 夜会用の服など持っていないジェズは、だが、新品の夜会服を身に纏っている。こんな事もあろうかとアリシアがこっそり仕立てていたのだ。

 ジェズの夜会服は、花緑青はなろくしょうのコートと同色のブリーチズだ。

 コート下のウエストコートは淡緑たんりょくで、いずれも裾や袖口には濃淡二種類の緑の糸と鮮やかな赤色の糸で、コトネアスターの刺繍が施されている。

 

 首には絹製のシンプルなクラヴァットを巻き、それを瞳と同じ色のシトリンのピンで留めた。このピンは、いつかの日にフランツから巻き上げた私財で、アリシアが誂えてくれた贈り物だった。

 足元も磨きに磨いた真新しい上等な革靴だ。

 いつもピョンピョン跳ねている髪も整えると、ジェズはまるで自分がちゃんとした貴族になったようで奇妙な気分だった。


 留守を預かる事になったエリザベスとアリシアに見送られ、王宮庭園内の別の夜会へ向かう伯爵夫妻に続いて、ジェズ達が乗った馬車も出発した。

 夜会の会場は、大運河沿いに並び建つ富裕層の中でも、特に上位層が居を構える高級住宅地の一画にあった。

 シュトルーヴェ家も相当な物だが、この屋敷の主人もかなり羽振りは良さそうだ。一歩足を踏み入れた先に広がる調度品や、豪奢なシャンデリアと華やかな装いの貴人達に、別世界に迷い込んでしまった気がして、ジェズは思わず身構えてしまった。


「堂々としていろ。胸を張れ。お前の立ち居振る舞いは、自分で思っている以上にしっかりと身に付いている。俺が保証する」

 緊張してぎこちない動きになっているジェズを、フランツはそう言って励ました。


 会場に入ると早々に、フランツを見付けた夜会客が次々と挨拶にやってきた。

 筆頭伯爵家の次期当主と友好を結びたい人々は多い。

 入れ替わり立ち替わり現れて、婚約の祝いと第二連隊が挙げ続けている功績を繰り返し讃える彼等に、フランツは嫌な顔一つせずに卒なく対応する。

 時々、ジェズにまで声が掛けられてビクリとしたが、フランツはさり気なくジェズを庇い、話題を逸らした。

 お茶会での二の舞にしない為の、気遣いだったのかもしれない。


「シュトルーヴェ伯爵」

 ジェズが貴族然としたフランツを尊敬の眼差しで眺めていると、夜会客との会話を遮って声を掛けてきた者がいた。

 夜会の主催者である特権商人だ。


 太っていると言うほどではないが、やや丸みのある身体はフランツに負けない上等な夜会服に包まれていた。

 歳の頃は伯爵と同じくらいか、もう少し若く見える。茶色い髪と茶色い顎髭を湛えた顔は眼光も鋭く、抜かりの無いやり手の商人のそれだった。

 国を相手に商売をするだけに、なかなか迫力のある人物だ。


 だが、ジェズが驚いたのは堂々としたその雰囲気ではなく、商人が連れていた少年の存在だった。

「ヴヌー⁉︎」

「や、やあ。シェースラー。ええと、楽しんでいるかな」

 商人の背後に隠れて立っていたセバスティアン・ヴヌーは、少し気不味そうに挨拶をした。


「どうして君がここに?」

「僕の母の実家なんだよ。この人は、僕の伯父なんだ」

 呆気に取られるジェズの横で話を聞いていたフランツは、ヴヌーの伯父──武器職人達の総取締サーンスに視線を向けた。


 サーンスは敢えてそうしているのか、含みのある微笑みをフランツに向けていた。

「なるほど。本来の目的はそっちか」

 社交用の笑顔に渋みを含めてフランツが呟く。


 意味が分からずきょとんとするジェズに、サーンスは今度は曇りのない笑顔を向け、ヴヌーは申し訳なさそうな顔で俯いた。

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