番外編 オリヴィエ・マートン

オリヴィエ・マートン 一

 ・念の為の注意事項。

 このお話は物語の中で最も頭のおかしい人間の視点で書きました。なので、動物虐待や婦女暴行のシーンなどがあります。惨虐な行為が苦手な方はこのページを閉じる事をおすすめします。



          *     *


   一、オリヴィエという子供



 物心ついた頃には、生き物の死に悦びを覚えていた。


 最初に殺したのは、足元で這いずる蟻だ。行列を成してせっせと働く黒い粒共を、一匹一匹、丁寧に指で押し潰してやった。


 切っ掛けは何だったか。

 そうだ。

 使用人共が厨房に入り込んで困る、と愚痴っていたのを聞いたんだ。それまでは、黒い粒共に特に興味など持った事も無かった。

 指で潰した蟻は、変な汁を出して動かなくなるものが殆どだったが、変に逃げられると綺麗に潰せなくて、そういった蟻達は潰れた身体を置き去りに、残った脚で必死に逃げようと藻搔いた。

 頭を潰しても、胴に付いた脚はしばらく動いた。


 俺は、それを纏めて靴で踏み付けた。

 それでも生き残る奴もいたが、そいつもやがて、目の前で動かなくなった。

 大して、楽しくもなかった。

 何かが足りない。そう思ったもんだ。


 だから、次は飛蝗バッタや蝶を捕まえて、脚や羽根を捥いでどうなるのか観察した。

 特段、どうという事もなかった。

 移動出来なくなった虫は一日、二日はその場で生き続け、三日目には大体その場からいなくなっている事が多かった。鳥か蛙にでも喰われたんだろう。残念だと思った。

 その喰われる瞬間を見てみたかった。


 今度は、蛙を捕まえた。

 大きなかめの中に入れて羽根を捥いだ蝶を与えてやると、蛙はすかさず舌を伸ばして虫を口の中に引き込んだ。俺は笑った。

 蛙とはこんなふうに飯を食うのか。

 衝撃だった。


 俺は、丸呑みにされた蝶が蛙の中でどうなっているのか気になった。

 厨房から包丁を持ち出し、蛙の喉から腹を一気に裂いた。何だかよく分からないデロデロした物が、蛙が暴れるたびに外に溢れた。

 そのデロデロした物の中から、多分これだろうと思った箇所をさらに裂いた。そうしたら、さっき飲み込んだばかりの蝶が出てきて、俺は嬉しくなった。


 俺は蝶を取り出し、すぐそばの石の上に乗せてやった。

 だが、すでにクシャクシャになった蝶は身動みじろぎ一つせず、くったりと潰れたままだった。

 溜息を吐いた俺は蛙を見た。蛙も動かなくなっていた。さっきまでは、あんなに元気に暴れていたのに。


 口の中の舌を摘んで引っ張っても、餌を獲る時ほど伸びなくなっていた。蛙の息絶える瞬間を見れなかった俺は、二重に哀しい気持ちになった。


 そうして、俺は思い至った。

 身体が大きければ、切り刻んでも、きっともっと長く生き続けるだろう、と。

 蛙がそうだったように、苦しくても暴れて、中身を振り撒いて踊ってくれるだろう、と。


 取り敢えず、手近にいた飼い犬の尾に、後ろからそっと近付いて庭鋏をたてた。

 コイツは父親の狩猟犬だ。俺に懐いているわけでは無かったが、コイツにとって俺は警戒する相手でもなかったらしく、あっさり尻尾は切り落とせた。


 吃驚したのか、飼い犬はキャンキャン悲鳴を上げて地面をのたうち回った。

 その度に尻尾が生えていた場所から血が噴いて、辺りに散った。


 犬の悲鳴を聞き付けて、使用人達が集まってきた。女中は犬が転がり回るさまに犬よりも高い悲鳴をあげて倒れ、下男達は俺が庭鋏と切り落とした尻尾を持って、笑い転げる姿に唖然としていた。


 騒ぎの報告を受けて駆け付けた父親も母親も、使用人共と同じ反応だった。

 なんだか、その姿が可笑しくて、俺は親を目の前にまた笑ったもんだ。

 もっと、こう、お貴族様らしい、澄ました態度で教養高く、表現豊かに説教の一つでもしてくるかと思っていたのに、返り血で汚れた俺を見ても言葉一つ出て来ないんだからな。

 何の為に言語を操る生き物に生まれたんだか。

 俺はそんな両親を見て、何だか可笑しかったのが急に馬鹿らしくなった。


 本当は父親が狩猟の時にやっているように犬を捌いて見たかったけど、下男共に鋏と包丁を取り上げられて、部屋に閉じ込められちまった。


 俺は、それからすぐに教会に送られた。

 どうやら両親は俺が悪魔にでも取り憑かれたと思ったみたいだ。


 教会での暮らしは、クソつまらなかった。

 毎日毎日、神様とやらの説教を聞かされて辟易していた。

 けど、良い子でいなきゃ、外に出してもらえなかったから、俺は大人共が言う良い子を演じていた。


 五歳になった頃だったか、俺はやっと改心したと見做されて家に帰った。

 両親も使用人共も、俺を大して歓迎はしちゃいなかった。

 そりゃそうだ。俺がいない間に、ガキが一人増えていたからだ。全員がそっちに夢中になっていた。要は、俺は要らねえって事だ。


 それなら、また蛙でも捕まえて遊ぼうか、とも思ったが、興味は無くとも見てはいたいらしい。つまり、またおかしな真似をしないように、本当に改心したのか監視されていたわけだ。

 面倒臭ぇ話だが、また教会送りにでもされちゃつまらねえ。俺は大人共が求めるお利口さんでいる事にした。


 六歳の時に、なんだか世間がきな臭くなってきた。

 隣の国とゴチャゴチャし始めたらしい。

 その頃の俺はすっかりお利口さんだった。親も家庭教師も、俺の出来がそれなりに自慢だったようだ。聞かれた事には相手が求める答えを返して、分からない事には相手の教養の高さを褒めて煽て、興味が湧いたふうを装えば、すぐに気に入られた。

 そんな俺の話を聞きつけて、何処かの偉そうな野郎がうちに来た。


 俺を養子にしたいらしい。正気か?


 親は最初は渋ったようだが、大金を積まれてあっさり俺を手離した。

 まあ、跡継ぎはもう一人いるから、構いやしないんだろう。王宮での一定の地位の約束もしてもらった、と客が帰ってから父親ははしゃいでいた。

「お前のお陰だ。お前の賢さと落ち着きのある態度を相手は気に入ったんだよ。あの時は悪かった。お前の本質を見抜けず、教会に送ってしまって。私はもっとお前とお前の才能に向き合わなければならなかったんだ。お前は生き物の構造に興味があったのだろう? だから、あんな事をした。あの時のお前はまだ小さかったから、その好奇心を上手く表現出来なかっただけだ。あの御方は高位の貴族で、多くの学者や医者の卵のパトロンをしている方だ。お前はあの御方の子供になって医術を学び、立派な宮廷医師になるんだ」


 医者? 俺が? 何だか面倒くせえ話になってきたな。


 俺は大人が好むあどけない笑みを浮かべて返事をした。

「はい。お父さん」

 父親は、それはそれは満足そうな笑顔で頷いた。


   *     *


 医者の勉強とは、良く言ったもんだ。


 ナイフを持つ俺の手に、自分の手を添えて二番目の父親は離れた壁を指差した。

「柄を離す際に、手首に余計な角度が入っている。もう少し肘の力を抜いて、手を離すその瞬間まで標的から目を逸らしてはいけない。こうだ」


 父親は立ち上がると、スッと何気ない自然な動きでナイフを放った。ナイフは真っ直ぐ飛び、壁際に用意された板人形の額に突き立った。

 俺は、それを真似てみる。


 俺の放ったナイフは板人形の喉に当たり、音を立てて床に落ちた。

「今度は指先を捻り過ぎだ。刃先が真っ直ぐでなければ、今のように弾かれる」

 二番目の父親は俺の目を見て言う。

「だが、喉を狙ったのは良い。巧く刺されば相手は声を出して助けを呼ぶ事が出来なくなるからな」


 二番目の父親はレステンクールの将軍の一人だった。それも諜報活動を行う間諜の一番偉い奴だ。

 こいつは、俺をレステンクールの工作員にするつもりで引き取ったんだ。

 何が医者だ。真逆じゃねえか。


 父親はナイフ投げや徒手や剣、銃だけでなく、毒の扱いまでも俺に教え込んだ。同時に田舎の発音を矯正させられて、綺麗なコルヴィヌス語を身に付けさせられた。


 殺人の訓練を繰り返して一年が経った頃、二番目の父親が荒々しい足取りで戻ってきた。

 庭で、猟師から買った兎の肉と内臓を丁寧に分けて遊んでいる俺を見付けると、肩を掴んで強引に立ち上がらせた。


「カラマンと本格的にぶつかる事になった。彼奴等きゃつらはすでに我等の国土に侵攻しつつある。我が国の姫を死に追いやっておきながら謝罪の一つすらなく、挙げ句に被害者面をしおって……! 本来ならば姫がいるべき場所に、何故あの狂女が居座っているのだ!」

 二番目の父親は、珍しく何かに憤っていた。


 大人の事情には興味ねえ。だから、まあ、俺は聞いてみた。

「父上、兎の皮を巧く剥ぐコツを教えて下さい」


 二番目の父親は、興味深げな目で俺を見下ろしたもんだった。




                  一、オリヴィエという子供 終わり



 

 


 

 

 

 

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