第八話〜⑪

     *   *


「おーい、メシー。おーい」


 気の抜けた呼び掛けに応じて、男が一人、部屋へと入ってきた。

 手に持つ盆には二人分の水と簡素な食事の他、包帯と紙の束が乗っていた。


「静かにしろ、オリヴィエ。今見付かったら今度こそ逃げきれないんだ。もう少し黙っていられないのか」

 男が苛立ちながら窘めると、オリヴィエと呼ばれた男はクククッと笑いを返す。身体に掛かっていたシーツを剥いで寝台に起き上がった。


「退屈なんだよ。暇で暇でしょうがねえの。文句なら俺達をこんな目に遭わせた、あのそばかすの下っ端に言ってくれ。あのガキ、本当に良い腕してやがった。アンデラの新銃ならともかく、ウチで採用している軍用小銃であの距離を当てるか?」

「何処ぞの馬鹿がちょっかいを出さなければ、本当に国軍競技会初の二等兵優勝もあり得たかもな」

「けっ、面白くねえ」


 男は不貞腐れるオリヴィエの前に食事と紙束を置いた。

 紙束は最新の新聞だ。オリヴィエがパンを齧りながら新聞を広げている間に、隣の寝台で眠っているもう一人に声を掛けた。

 その一人が目を覚ますと、上体を起こすのを手伝ってやった。


「傷の具合はどうだ」

「最悪だ」

 オリヴィエではない方の男は、苦痛に顔を歪めて答えた。

 男は落馬時に受け身に失敗しており、右肩を石畳に強打していた。足も一瞬だが倒れた馬の下敷きになっており、恐らくは肩だけでなく、脛骨も骨折していると思われた。


「医者に見せてやりたいが、済まんな」

「構わん。いざとなったら私の事は捨てて行け。どのみち、医者に見せたところでこの傷は完治しないだろう」

「おお。遠慮なくそうさせてもらうぜ」

 茹でた鶏肉を指で摘み、口に放ったオリヴィエは言い放った。


 二人の非難の視線が向けられたが、当人は全く意に介していない。

「お前等、随分と積極的に噂を流してくれたようだな。仕事に精を出すのは結構だがな、目立ち過ぎんだよ。お陰で王都に潜伏してた連中は軒並み捕まったらしいじゃねえか」

 そう言って、オリヴィエは眺めていた新聞を隣の寝台の男に放り投げた。不自由な両手で新聞を広げた男は、一面を見て呻いた。


「暗殺計画は頓挫しちまった。おじゃん。ぱあ。御破産。台無し。大失敗。あんな簡単なお遣いもまともにこなせねえんじゃ、最初から国王の暗殺なんて出来っこなかったんだよ。なあ、この計画を立てた時、俺がなんて言ったか覚えてるか? コール家の密輸とシュトルーヴェ家の関連性を匂わせたら、さっさとずらかれって言ったよな。引き際って言葉知ってるか? なあ?」


「王都の動きまで逐次分かるわけが無いだろう! 文句なら捕まった連中に言え! いいか、オリヴィエ。お前はそう言うがな、私達が今ここでこうしている事と王都の失敗は別だ。私達のこの負傷は、他でもないお前の失敗の後始末の際に負ったものだ。お前がわざわざ意味もなく捕まるから、我々が助けに入らなければならなくなったのだぞ!」

「助けてくれなんて言ってないもーん」

「ぐ、この……!」


「よせ、子供の喧嘩か。傷に触るぞ」

 寝台の上で愚にも付かない言い合いをする仲間に、男は呆れた。

 だが、彼の言い分も最もだ。オリヴィエが逃げ出す機会は幾らでもあった。

 何故、敢えて逮捕されたのか。


「そもそも俺は失敗してねえ。元から王都のお偉いさんが来る機会を見計らってトンズラする予定だったんだよ。ロイソン辺りは、どうせ逃げられやしねえって高を括ってただろうからな。逃げる機会なんて幾らでもあった。失敗しても、伯爵なり公爵なりの密輸か内乱の証言でも適当にしとけば、また国は騒ぎになる。わざわざ火薬庫を大爆発させてまで、お前等は俺を助ける必要なんざ無かったんだよ。俺達の怪我はあのクソ狙撃手のガキの腕を甘く見てたのが原因だ」

 一応、意味もなく捕まった訳ではないという事だ。


 オリヴィエは口元に笑みを浮かべながらも、苛立った口調で話し続けた。

「第二連隊を舐めて掛かるからだ。フランツ・シュトルーヴェは家柄だけで出世したボンボンじゃねえ。一体、俺が何年かけて宮廷や軍部の情報を流してきたと思ってんだ。グルンステインを混迷させる為の楔に、伯爵と公爵の対立の情報を教えてやったのも俺だ。忠告の意味も理解出来ねえでイキリやがった結果がこれなんて、笑っちまうぜ。今までの苦労を全部パアにしやがって。文句の一つも言わせろ、クソが」

 悪態を吐き散らしたオリヴィエは、黙り込んだ仲間達に向かって言った。

「捕まった連中の事を助けようなんて思うなよ。見捨てる以外の選択肢はねえぞ」


 グルンステインでの出来事は、すでに外国の中枢にも大使や商人達を通じて知られているだろう。アンデラは完全に見切りを付けたと考えた方が良い。

 だが、アンデラで報復の地盤を築いてきた同胞達は、果たしてそれで納得するだろうか。


「おい。まだやる気なら、今はとにかく静かにしてろって他の連中に連絡しとけ。これで事態は一旦収まったと、この国の連中に錯覚させなきゃならねえ」

「何か案があるのか?」

「面白味のねえ話だがな。るだろ? 騒いでもらっちゃあ困る事が。来年の春によぅ。巧く行きゃ、公爵様もお喜びだ」

 特徴的な朱殷色しゅあんいろの癖毛を掻き上げて、オリヴィエ・マートンは堪えるようにクククッと笑った。

 男達は、両目を鋭く光らせて、互いの顔を見て頷いた。






                          第八話・終わり

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