第六話〜③
「いいか、ジェズ。気を引き締めろ。これから向かうのはトビアスだ。第一師団と真逆で組織の大半がグラッブベルグ派のつもりでいた方がいい。何よりトビアスにはマートンがいる」
その名前を聞いて、ジェズの表情が変わった。
グラッブベルグ公爵の手駒の一人で、公爵と共に少年だったローフォークに最初の殺人を迫った男だ。
そして、エリザベスの母親を殺した仇だった。
マートンの事はエリザベスには詳しく話せていない。
母親の殺された様が、女性であるエリザベスにとってあまりにも悍ましいものだったからだ。いつか、ローフォークが言っていたように、あの男が犯人の一人であると知ったエリザベスは、マートンに挑んで行くかもしれない。
エリザベスは母親が殺されようとしている瞬間を知っているのだ。
あの男の残忍さは、過去の手口から見ても公爵の比ではない。
本来なら、公爵同様に可能な限り接触を阻みたい相手だった。
だが、そうもいかない状況になってしまった。
トビアスに出向けば、マートンは必ずこちらに接触してくるだろう。そうなった時、エリザベスはどうするのか。そして、エリザベスを守る為に、ジェズがどう行動するのか、不安があった。
「大丈夫です、フランツ様」
フランツの心情を察したかのようにジェズが言った。
「僕はまだ大丈夫です。拙速な行動を取ったりはしません。でも、その時が来たら必ず許可を下さい。僕がそいつの頭を撃ち抜きますから」
フランツの位置からジェズの表情は確認出来ない。
しかし、静かな口調で過激な物言いをした少年からは、復讐の青い熱量を感じ取る事が出来た。
一層、不安が大きくなる。
「言っておくが、あいつは一筋縄じゃ行かないぞ。恐らく公爵派の中でも一番のキレ者だ。頭が良いだけじゃない。武術でも相当な腕前だ。いくら警戒しても足りやしない」
「大丈夫です。近付かなければ良いんでしょう? 僕が得意なのは射撃です。何処からだって仕留めて見せます」
ふと、少年が胸に抱く復讐心が、あの冬の日から自分に誓い、抱いていた物と同じ焔なのだと気付いた。
不本意にも苦笑が溢れ、すぐに表情を引き締めた。
連隊庁舎の正面玄関に、シュトルーヴェ家の家紋が入った馬車が寄せられていた。すでに妹達は馬車に乗り込み、フランツ達が来るのを待っていた。
アリシアの苦情を受け止めつつ乗り込むと、馬車はすぐに走り始めた。
緊張が満ちた車内で、フランツは目を瞑って考えた。
トビアスはサウスゼンとの交易の中心地の一つだ。サウスゼンはアンデラとも積極的に交易を行い、そこから流入した様々な商人が商売をしている。新機構の銃がアンデラの物と確定出来てない以上、実はサウスゼンから流れた武器である可能性も捨て切れない。
いずれにしても、銃が発見されているのは、グルンステインの中央以南に集中している。武器は南部の国々から流れてきているのだ。
公爵は本当に関与していないのだろうか。
トビアスという土地と、そこを拠点にしている師団の存在がフランツに一抹の不安を与える。
何かを見落としている気がしてならない。
王都とトビアスは一本の街道で繋がっている。何事もなければ丸二日で着く予定だ。
五ヶ月前には、一昼夜で駆け抜けた道だった。
もう一度、一から事象を洗い直して見るべきか。
フランツは目を開き、車窓の外を眺めて思った。
* *
「我々としては、捜査に積極的に協力頂いて感謝している」
質素な机を挟んで目の前に座った取調官は、眼鏡の奥の目を細めてほくそ笑んだ。
「こんな可憐な少女に逮捕状を出さずに済んだのだから」
その言葉に、ドンフォンと共にエリザベスの背後に控えるジェズは、取調官を睨んだ。
「私達に疚しい事など何一つありません。そのようなものは始めから不要です」
きっぱり答えたエリザベスに、取調官はくくっと堪えるような笑い声を洩らした。
「肝の据わった女性は嫌いじゃない。しかしね、君のところの従業員の証言を確認しないまま、迂闊な事は言わない方が良い。君のような華奢な女性の足元など、掬うのは簡単だ」
「ミューレス船長も事務長も否認していると、弁護士から聞いています」
「今のところはね。だけど、これからはどうかなぁ」
含みのある言葉にドンフォンが反応した。
「失礼ですが、それはどういう意味でしょうか。大尉」
「君に発言の許可は出していない」
これにドンフォンは口を噤み、浅く頭を下げて謝罪した。
隣のジェズが一層不穏な気配を醸しているが、取調官は気付いていながら無視をしている。
最悪だ。くそっ。
冷静な態度とは裏腹に、ドンフォンは内心で悪態をついた。
トビアスに赴けば、何処かで必ずコイツが出てくると思っていたが、初っ端からか。
エリザベスの向かいに座る取調官は、朱殷色の特徴的な癖毛の男だ。ドンフォンはこの男が腹の底から嫌いだった。
フランツ同様に、ローフォークに遠ざけられていた時期がドンフォンにもあった。
士官学校時代、ローフォークは同期生には距離を取られ、上級生には理不尽な指導を受け、下級生は彼を恐れて遠巻きにしていた。
声を掛けたくとも、ローフォークは決して幼馴染み達が自分に近付く事を許さなかった。学舎でも寄宿舎でも、いつも一人でいた彼の傍らにいつの間にか立っていたのがこの男だ。
ローフォークが明らかにこの男を嫌っていたのは、遠くから見ていても分かった。
彼等が卒業間近に殴り合いの大喧嘩をした時も、原因はこの男が執拗にローフォークを揶揄ったからだ。だが、先に手を出したのがローフォークだという事で、一方的に重い処罰を受けた。
ドンフォンが処罰の軽減を訴えても見向きもされなかったのに、もう一方は反省文だけで済んだ事も、今でも納得していない。
ドンフォンが第二連隊から派遣される情報精査の人員に志願したのは、エッセンの事件でエリザベスを守り切れなかった事をずっと悔いていたからだが、正直なところ、今は無条件で目の前の男を殴り飛ばしたい思いでいっぱいだった。
ドンフォンはチリチリと爆ぜる感情を圧し殺し、取調官を見下ろした。
取調官は調書を開いてペンにインクを含ませた。
「さて、そろそろ始めようか。エリザベス・コール。私は第十師団第三七連隊取調官の大尉、マートンだ。手荒な真似はしたくない。包み隠さず素直に答えてくれ」
「はい」
「では、名前と生年月日、年齢、コール貿易商会との関係性も答えなさい」
「エリザベス・コール。グルンステイン歴二八四年、三月三一日生まれ。十四歳です。コール貿易紹介は父ブラッシュ・コールが社長として経営していた貿易会社です。父は今年の五月に急逝し、私が会社の代表者として書類の手続きが行われましたが、社長という立場ではありません」
「代表者なのに社長ではない? それはどうして」
「父は会社の資産とコール家の資産を明確に分けていました。会社の資産は必ずしも私が引き継ぐべき物では無いからです」
「しかし、代表者ではある」
「社長を急に失った一時凌ぎです。従業員を守る為に必要な措置でした。護身用の銃の所持に、社長または代表者の署名が必要になります。それに私は父の取引先と顔見知りなので、私が代表者として会社に名前を載せる事で、コール貿易商会は畳む気は無いと示す必要がありました。実際に、現在も取引先とは良好に商売を継続出来ています。社長にならなかったのは、父の死があまりにも突然だったからです。検死も行いましたので、その為、私財や会社の書類整理に遅れが出て、正式に社長に就くのに時間が掛かっている状態です」
「へえ、では条件が整えば会社を継ぐ気はあると」
「分かりません」
「分からない? どういう意味?」
「私には商才が無いからです。父はいずれ私に婿をとってその方に商売を学んでもらうつもりでいたようです。だから、私は商売の事は一切勉強していないのです。ですので、状態が落ち着いた頃を見計らって、可能なら事務長か船長に会社を受け継いで貰おうと考えていました」
「では、君は商売に直接的に関与した事は無いということだね?」
「はい」
「会社の積荷に銃が紛れ込んでいた話は何処で? 随分と速い反応だったね。出来れば具体的に」
エリザベスは隣に座る弁護士を見た。
弁護士は頷き、エリザベスはマートンに向き直り答えた。
「第二連隊の連隊庁舎です」
「へえ」
マートンの口端がくっと上がった。
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