第五話〜⑦

     *   *



 ジェズの顔は蒼白だった。

 ローフォークとグラッブベルグ公との繋がりが、少年の想像を遥かに超えた物だったという事がよく分かる。


 全てを打ち明けられたあの日、フランツも言葉を失った。


 グラッブベルグ公爵の卑劣。

 親友が受けた理不尽。

 そして、その親友を助ける事が出来ない己の非力。


 全てに怒りを覚えた。


 だから、フランツは力を付ける決意をしたのだ。


 あの日、話し終えたローフォークはただ俯いていた。こちらの様子を窺っている様にも見えた。

 何もかもを話してから暫く、二人は無言だった。

 何でも良いから声を掛けるべきだったのに、言葉が見付からなかった。先に声を発したのはローフォークだった。


「俺は馬鹿だった。何故、父があの男を嫌っていたのか、それをもっと考えるべきだったんだ。なのに、あの時の俺にはローフォーク家の再興の事しか頭になかった。俺は最も取ってはいけない男の手を取ってしまったんだ」

「今からでも遅くない。母君と邸を出るんだ!」


 咄嗟に叫んだフランツに対して、ローフォークは横に首を振った。

「邸は厳重に監視されている。出掛ける時も護衛と称した見張りが付いているんだ。それに、アデレード様が御懐妊なされた。二人目だ。きっともう、自分達親子はあの男から逃げる事は出来ない。だから……」


 もう手紙は出さないでくれ、とローフォークは言った。


「お前達を巻き込んでしまう。ただ、俺に何かあった時、母だけは守って欲しいんだ」


 二人が腰を下ろしていた噴水盆の縁は、うっすらと雪が積もっていて冷たかった。だがそれ以上に、親友の言葉の方がずっとフランツの心を冷やした。

 なのに、冷えた心は不思議と、すぐに熱を持って全身に行き渡った。


 ああ、そうか。

 そう言う事だったのか。

 この時になって、やっと父の不可解な行動の意味が理解出来た。


「カレル!」

 フランツは立ち去ろうとしたローフォークを呼び止め、手に小さな包みを押し付けた。邸を飛び出す前に急いで包んできた物だった。

「大した物じゃないけど、お前が好きな菓子だ。カレル、誕生日おめでとう。今日で十五歳だな」

 ローフォークは吃驚してフランツを見返した。

 やはり忘れていたらしく、フランツは笑った後、親友の両手を強く握り締めた。


「今はまだ何も出来ないけど、必ずお前と母君を救ってみせる。だからカレル、諦めないで待っててくれ。俺を……、俺と父上を信じて欲しい」

 そう言うと、ローフォークはぐっと口を曲げて、泣きそうな顔で何度も頷いた。


 親友同士は、互いをきつく抱き締めて別れた。

 王宮庭園に戻ったフランツは、シュトルーヴェ家の屋敷ではなく、第一連隊の庁舎に向かった。そこでは陸軍から転属した父が第一連隊長として勤務していた。

 息子の突然の面会に父は驚いていたが、人払いをした執務室で息子の口から語られたローフォーク家の現状に、普段は穏和な父の両目が鋭く光った。


「父上、俺は治安維持軍への転属を希望します。王都の第二連隊です。そして、カレルも第二連隊へ入隊させて下さい。だから父上……」

 フランツは真っ直ぐに自分と同じ翠の瞳を見据えた。

「早々に軍務大臣に昇進して下さい」

 父は僅かに目を瞠った後、ニッとフランツに悪巧みを内包した笑みを浮かべて見せた。


 その後のシュトルーヴェ家は大騒ぎだった。

 実の息子の出世は諦めたものの孫には期待をしていた祖父は、その孫までが陸軍からの転属を希望した事を知って喚いた。


 転属を許した父を罵倒し、言うことを聞こうとしない孫を杖で殴りもした。あれこれ手を尽くして阻止しようとしていたが、この時の祖父は既に宰相職を退いており、祖父の推薦で任命された後任の宰相も当時の軍務大臣も、外部からの口出しを嫌い耳を貸さなかった。

 シュトルーヴェ家の勢力を抑えたい思惑もあったのだろう。

 その宰相も、やがてグラッブベルグ公爵に追いやられる事になるのだが。


「僕は、それでもローフォーク少佐を許す事は出来ません」

 ジェズはフランツに向かって言った。


「勿論、一番悪いのはグラッブベルグ公爵です。でも、だからと言って周りの人間を自分の不幸の巻き添えにして良い理由にはなりません。まして、コール家は公爵の利益と何の関係も無かった。コール家と同じように、本当は公爵と利敵関係の無い多くの人達が、公爵の気まぐれで、あの人の手によって殺されて来たんじゃないんですか?」

「ああ、その通りだ」


 第二連隊に入隊してからも、公爵は度々ローフォークに後ろ暗い役目を命じていた。それは主に弁護士時代に関わった疚しい仕事の『精算』が多かった様だ。

 平民弁護士から伯爵となり、王女を降嫁されて公爵となったグラッブベルグ公には敵が余りにも多かった。過去の話題を持ち出して脅迫し、集ろうとする者がいたのだ。

 それは訴訟を揉み消す為に使った不成者であったり、かつて公爵に不都合を収める様に依頼した資産家や貴族であったりした。

 公爵は、そういった連中を片っ端から事故や事件に巻き込まれたように装い、始末して行ったのだ。


 『精算』に目処が着く頃、軍人として素質を伸ばしていたローフォークは、公爵の手駒達の中心に立つようになっていた。


 フランツも伯爵も、当初は如何にしてローフォークの罪を隠し、公爵から引き離すかを必死に模索した。しかし、その間も母の命を盾にした公爵の残忍で身勝手な要求は、繰り返しローフォークを犯罪へと追いやった。

 気付けば、手にかけた命の数は両手では数え切れなくなっていた。


「だから、許さなくて良い」

 許してはならないのだ。

 どんな事情があったとしても、ローフォークがしてきた事はもう誤魔化しは効かないし、許されるべきではない。


「俺も父上も、カレル本人も、もう分かっている。元の場所には戻れない。今の俺達は、公爵がカレル一人に全ての責任を擦り付けて逃げ果せる事を阻止する為に動いているんだ。俺達はいつか公爵を告発する。彼等には正当な裁きを受けてもらう。お前達には酷な物言いになるのは分かっているが、その時の為に力を貸して欲しいんだ」


 ジェズは困惑を浮かべていた。

 こちらの本心を計りかねているのだろう。だが、フランツはありのままを話した。

 親友を救いたい。けれど救う事は出来ない。

 ならば、その親友を騙し、追い詰めたあの男を徹底的に叩きのめすだけだ。

 例え、それが失敗に終わりこちらが自滅したとしても、タダでは済まさない。


 不意に背後から声が掛かった。

 振り返った先に、笑顔のアリシアと少し心配そうなエリザベスが立っていた。

「お兄様、いらっしゃったわ」

「そうか」

 フランツは立ち上がり、ジェズ達を伴って礼拝堂へと向かった。


 礼拝堂では、司祭と母マルティーヌの傍に二人の貴婦人と兄妹らしき子供達が立っていた。大人達が穏やかな笑顔で談笑しているのとは対照的に、子供達は少々退屈そうに見える。

 妹の方が近付いてくるフランツ達を見付けて、慌てて貴婦人達のドレスの陰に隠れた。それを合図にしたかのように、大人達がこちらに振り向いた。


 一人は細やかな美しいヴェールで顔の下半分を隠した、くすんだ金髪の女性だ。その瞳の色は、宮殿のバルコニーで拝見したフィリップ十四世やシャルル王太子と同じ、明るい青だ。


 もう一人は、薄く淹れた紅茶色の髪を後頭部で品良く纏めた年配の女性だ。マルティーヌより幾らか歳上に見える。その顔立ちは、何処か見覚えがあった。


 アリシアが、ジェズとエリザベスにそっと耳打ちする。

「グラッブベルグ公爵夫人アデレード様とその御子様達よ。そして、隣の御方がローフォーク夫人。カレル様のお母様オーレリー様ね」

 フランツは背後で二人が驚愕して息を呑む気配を感じた。

 先で待っているオーレリーもまた、フランツ達を見て水色の目を丸めていた。


 フランツとオーレリーの再会は十一年振りだった。



     *   *



 市街の街路樹が本格的に色付き始めた。

 朝夕の冷え込みが強くなった反面、日中は汗ばむほどの日もあれば、雲が掛かった瞬間から鳥肌が立つほどの肌寒い日もあり、着る物の選択に悩む事が増えた。


 グルンステインでは各地で主要農産物の収穫が始まり、来月末には国王が出席する大規模な収穫祭が催される予定だ。

 この時期には王宮庭園の貴族達もそれぞれの領地に帰っている事が多い。

 第二連隊でも高位階級の軍人に爵位を所有する者やその嫡男が多く、隊内で調整を行いながら交代で領地へ戻っていた。


 九月後半に入り、ジェズは謹慎が解けて職務に復帰した。

 同期から半月遅れで一等兵への昇級辞令が下り、日々の訓練と新たに入隊した新兵達の面倒を見るのに駆け回って、忙しそうだ。


 復帰したその日、ジェズは同期達に取り囲まれてエッセンを殴り飛ばした事を褒め称えられた。誰もジェズが悪い事をしたとは考えていないようだ。寧ろ「何度も殴ったからやり過ぎだって叱られたんだろ? 一発で仕留めろよ」と言われて、近くで話を聞いていた上官に「そういう事じゃない!」と一緒に叱責されたらしい。


 市井では、コルキスタ王国のアン王女の肖像画が出回っていた。

 王太子シャルルとアン王女の婚姻の日取りが正式に決まり、グルンステインとコルキスタ両国による、アン王女の本格的な宣伝が始まったのだ。


 王家が外国から花嫁を迎え入れる事は政略の常套手段であるが、これまでは『聖コルヴィヌス大帝国』の枠組みの中でのみ行われてきた。母国語も異なる異民族であり、積年の敵国として戦争を繰り返したコルキスタとは初めての試みだ。


 これから迎える花嫁が、何故、王太子の妃に望まれたのか。如何にグルンステインの未来の王妃に相応しいかを周知し、風習も文化も異なる異国で孤立せぬように評判を上げておく必要があった。

 これに失敗したならば、コルキスタと結ぶ不可侵条約は頓挫しかねない。

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