第五話〜④

「カレル」


 呼び掛けにローフォークはぎくりと身を竦めた。


 グラッブベルグ公爵が、豪奢な造りの椅子から立ち上がり近寄ってくる。

 緊張した面持ちのローフォークの肩に、人の良い笑顔で手を置いた。


「今、来たのか。すまんな、驚かせてしまった。今追い出された男は宝石商を商っていてな、私も時々利用していたのだ。だが、あの男、石の買い付けで失敗してな。見事に粗悪品を掴まされて店に大損害を与えたのだ。かく言う私も奴の言葉に乗って新たに宝飾品を注文していた。私以外にも幾人か居たようで、仕立ての解約と手付金を返金する訴訟を起こされて評判が落ち、銀行からの融資も止められて店は倒産寸前になってしまった」


「……公爵閣下に慈悲を求めていました」

「それは私が公爵で法務大臣の地位にいるからだろう。妻は国王陛下の御息女だ。その私が奴を許せば己の汚名を返上出来ると考えたのだろう。だが、地位を使い特定の誰かを特別に扱う事は公平ではない。奴は取引相手を過信し、取るべき対応を取らず失敗した。それは奴自身が負うべき責任なのだ」

 そうして公爵は室内に目を向けた。

「そう思わんか」


「ええ、全くその通りで」

 そう返事をしたのは知らない男だった。男は王都の商人で、今度手掛けようとしている商売の為に、新たな法整備の陳情をしていたのだと言った。

 だが、公爵は男の陳情を断った。男が考える商売は現状の法の下でも充分に利益を見込めると思えたからだ。

 法を定めるのは法務大臣の仕事ではない。国王の御前で会議を開き、枢密院の八割の賛成が必要になる。


「しかし、法の詳細な解釈について相談を受ける事は可能だ。助言が欲しければまた話を聞こう」

 そう言うと、公爵はローフォークを伴い、さっさと娼館を後にした。

 娼館の下男が手配した馬車に乗り込んだ途端、公爵は苛立ったように溜息を吐いた。


「カレル。覚えておくと良い。宝石商の男と言い、ある程度の地位を得ると、ああいう輩が集ってくるようになる。あの場ではああ言ったが、あの男は自分の商売に都合の良い法律を私に作らせようとしていた。そう言った他人に聞かれると拙い相談事はな、顧客の情報を厳重に守る、あの手の店が面会の場に選ばれる傾向がある。これから先、お前も軍人となり出世した時にそういう事に出会すだろう。待ち合わせにどういった場所が指定されたか。場合によっては足下を掬われかねない。充分に注意するのだぞ」

 真剣な公爵の忠告にローフォークはぎこちなく返事をした。


 グラッブベルグ邸に到着後、母とアデレードに挨拶をして自室に退がったローフォークは、机の引き出しから数枚の紙を出して表情を歪めた。


 まだ書き込める場所があるからと練習用に取っておいた紙の束。

 重ねて書き込まれた文字の羅列。

 その中に、娼館で公爵に慈悲を請うた男が叫んだ物と同じ名前があった。一緒にしまい込んでいた封筒には、宝石店の店名も記されていた。


「違う、何かの偶然だ。公爵閣下はローフォーク家を救って下さったんだぞ。そんな事するわけが……」


 だが、無地の紙に筆跡を真似てまで、他人の氏名を記入する不自然さに気付いてしまった。

 押し寄せた言い表せない不安が、まだ十四歳の少年を苛んでゆく。


 その日から、ローフォークの足はグラッブベルグ邸から遠のいた。

 最終学年にもなれば課題も課外訓練の量も増える。言い訳は簡単に用意できた。

 しかし、長期休暇期間にはその言い訳は使えない。

 公爵に対して不審を抱いてしまった以上、グラッブベルグ邸で暮らしている母の身も心配だった。

 だが、育児に不慣れなアデレードは母に頼り切っているし、母はアデレードを見捨てる事はしないだろう。

 結局、またあの邸へ向かうしかないのだ。


「何故、シュトルーヴェ家はローフォーク家を助けなかったのですか」


 ジェズの問いに、フランツは困ったように声も無く笑った。

 シュトルーヴェ家の人々の行動を見ていれば、ローフォーク家の危機には真っ先に手を差し伸べると思うだろう。だが、これまでの話の中で、彼等の名前は一度も出て来なかった。

 ジェズにとっては違和感を覚えるものだ。


「当時の伯爵家当主の方針だ。カレルの父君が警護の責任を問われた時にローフォーク家との縁切りを決めた」

「どうして……」

「あの時、シュトルーヴェ家の当主は父ではなく祖父だったんだよ。そして、祖父は当時の宰相だった」


 フランツの祖父は、代々国軍の中枢に居続けた家柄を誇っていた。

 祖父自身も軍務大臣から王国宰相になった実力者であり、実母は先先代の国王の妹である事から自尊心も高かった。気難しく厳しい性格の人で、ふらふらと遊んでばかりいる実の息子とは非常に相性が悪く、むしろ隣家の真面目なアンリを実子の様に可愛がっていたくらいだ。


 しかし、近衛連隊長であるアンリに厳重な処罰を下すように求めたのは、宰相である祖父だった。


「カレルの父君と兄君に対する失望が、祖父にもあったのだと思う。そしてシュトルーヴェ家を巻き込まない為にも、ローフォーク家との関係を断つべきだと判断したんだろう」


 暗殺事件の直後から、フランツは士官学校の寄宿舎から出る事を祖父に禁じられた。ローフォーク家の危機に黙っているような孫ではないと分かっていたのだろう。何をするかは知らないが、子供の浅知恵が事態をより混乱させる事を危惧していたのだ。

 その意向を汲んだ学校長もフランツを個室に閉じ込め、幾度も脱出を阻止して厳重に監視を置いた。この軟禁状態は一月余り続き、その間、フランツは家族にも親友にも手紙すら出せずにいた。


 家族ぐるみの付き合いをしていた隣家の当主が処刑され、親友が母親と共に追放処分を受けたと知ったのは、全てが終わってからだった。

 急いで向かったローフォーク家はもぬけの殻だった。


 今更、祖父を非難するつもりは無かった。

 自分の祖父がどういう人間であるのか充分に理解していた。

 父には何故ローフォーク家を助けてくれなかったのか、感情の有りっ丈をぶつけた。歳は離れていたが、アンリを実の兄の様に慕っていたのは他でもない父だったからだ。

 父はただ無感情に、黙って罵倒を受け入れていた。


 ローフォークと再会出来たのは、事件から七ヶ月後の、五月も末になってからだ。


 士官学校に戻ったローフォークは、会うなり絶縁を言い渡して来た。

 無理もない。あれだけアンリを可愛がっていたにも関わらず、ローフォーク家の窮地にはあっさり手の平を返し、死刑を薦めた男の孫になるのだから。


 フランツの父に対しても同様だった。

 親友だったはずの男は、刑執行を阻止する為に動いてはくれなかった。彼にとってシュトルーヴェ家は裏切り者の集団でしかなかった。


 ローフォークの復学は順調には行かなかった。

 七ヶ月の空白を埋める事は当然容易では無かったが、教師陣が上を忖度して正当な評価を下そうとしなかったのが一番の原因だ。

 そして、学校中の生徒がローフォークを犯罪者の息子と侮辱した。

 だが、それもグラッブベルグ公爵の後見を受けていると噂が広まると、すぐに鳴りを潜めた。


 この頃、シュトルーヴェ家では一つの動きがあった。

 父がそれまでの所属である陸上国境守備軍から、治安維持軍への転属を願い出たのだ。


 フランツは、祖父が怒り狂った姿で父を罵倒する様子を想像したが、そうはならなかった。

 軍務大臣になるには陸軍での最高位を目指す事が一番の近道であるが、祖父はすでに父に対して期待はしていなかったのだ。


 暗殺事件から父と祖父の関係は一層悪くなっていた。

 父の転属はそんな祖父への反抗心からきたのだと思い込んでいたフランツは、この後に及んで友人家族の心配よりも、嫌いな親への反発を示している父に呆れたものだ。


 結局、避けられ続けて碌に話もできないまま、士官学校を卒業することになってしまった。


 サウスゼンとの国境軍に配属されて王都から離れたフランツは、それでも知人を介してどうにか親友の様子を知ろうとした。その間も、ローフォークへ送った手紙に返事は無かった。


 事態が変わったのは、軍人になって最初の新年の休暇期間を間もなく終えようとしたある日の事だ。

 ローフォークから初めての返事が届いた。


 帰り支度を放り出し向かった場所は、王都の幼年学校近くの公園の一角だった。

 久し振りに再会した親友は、フランツの姿を確認した途端に安堵を浮かべ、次いで追い詰められたように表情を歪めた。

 そして、震えながら告げたのだ。


 人を殺してしまった、と。


 戸惑うフランツに、ローフォークは全てを告白した。

 領地に退がってからの事。グラッブベルグ公爵の後見を受けるようになった経緯。ベルナールの誕生をきっかけに公爵の私的な仕事を少しずつ手伝うようになり、気付けば数多の書類の偽造に加担させられていた事を、ありのままに話してくれた。


 多くの人を陥れ、資産を奪うことになってしまったローフォークが、意図的にグラッブベルグ邸を避けている事に気付いたのだろう。長期休暇に入ったある日、邸に戻って来たローフォークを、公爵は夜半になってから敷地内の別邸に呼び出した。


 そこで、ローフォークは壮絶な体験をしたのだ。

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