第五話〜③
当時、王太子一家の警護責任者だったのは、ローフォーク家の嫡男クレールだった。
事件は背中を無数に刺されて廊下で死亡していたクレールを、彼の部下が見付けたことによって初めて発覚した。その時には室内は血の海で、王太子も妃もすでに息絶え、犯人は逃走した後だった。
クレールと女官が死亡した以外、殆どの兵士が無傷であった事実は、フィリップ十四世の逆鱗に触れた。
王宮近衛連隊は何を以てしても王家の安全を最優先にせねばならなかった。彼等は王家の最後の盾で在らねばならなかったのだ。
彼等の無事は、彼等が害意に立ち向かわなかった明確な証拠とされた。それは警護責任者であるクレールの失態と見做された。
ローフォーク家の王家への忠誠心を疑ってこなかった国王にとって、大きな失望だった。
アンリも反論はしなかった。
フィリップ十四世の勅命によって斬り落とされた首は、暗殺犯達と共に薬品を満たした瓶に詰められ、カラマン帝国へと送られる事になった。
だが、これをカラマン側が拒否した。
帝妹を殺された皇帝に対する誠意が足りない、と主張してきたのだ。
カラマン帝国の思惑を、フィリップ十四世は理解していた。
グルンステインは『聖コルヴィヌス大帝国』の中で、カラマンに次いで広大な領土を保有している国家だ。他国に先んじて行われた行政と軍事の制度改革は成功し、共に堅固な進歩を遂げている。
これ以上、グルンステインに強大化されると困る諸外国は、虎視眈々と攻め入る機会を窺っていた。返答次第では、この事件を大義名分に掲げて侵攻するつもりであったのだ。
王太子を失い、国内は暴動同然の混乱だ。
そして、レステンクールが滅亡した事によって、グルンステインとカラマンは直接国境を接する隣国同士となってしまった。この状態でカラマンが侵攻を始めたならば、周辺国も黙ってはいないだろう。
グルンステインは第二のレステンクールになりかねない状況だった。
そんな時、文官の一人が王女マリーを人質として差し出す事を提案した。
王女は母親である王太子妃に似ていて、兄妹仲が良かったといわれるカラマン皇帝の怒りを削ぐ事が出来ると考えられた。
また、マリー王女のグルンステインにおける権利の放棄を行わない事、先の戦争で取得した土地の一部を献上する事も追加され、帝国はこれを受け入れた。
こうして、わずか五歳の王女は、領土の一部と無数の生首を持参金に帝国へと送り出され、国内外の混乱は収束した。だが、国王の不興を買い、当主を処刑されたローフォーク家の苦難は、ここから始まった。
残された妻と十二歳の次男は、国王の最後の情けで爵号と領地は剥奪されずに済んだが、信頼を裏切った一族に王宮庭園での暮らしは許されず、追放処分を受けた。
王宮庭園の屋敷を引き払い子爵領に退がったローフォーク家は、長子と首の無い当主の遺体を領館の敷地に埋葬した。
領民達とは、アンリが彼等の暮らしに気を配っていた事もあり関係は良好で、領主家族の予期せぬ不幸に心を痛めてくれた。
時折、領民達が領館を訪れて二人の墓に祈りを捧げてくれる姿は、遺された妻と次男の心の慰めになった。
年を越えて、ローフォークは十三歳になった。
父や兄に憧れ、立派な軍人となるべく入学したばかりだった士官学校を休学して、半年が過ぎていた。
軍人への道すら閉ざされたものと諦め、せめて領民の為の領地運営に力を注ぐ事を決意していたある日、深夜の領館の敷地に侵入者があった。
夜回りをしていた使用人達が追い払ったが、翌朝、改めて敷地内を見回ると、埋葬されていた二人の遺体が墓から掘り返されて、汚物を撒かれている状態で発見された。しかも、クレールの遺体からは首が斬り取られ、無くなっていたのだ。
領民が総出で捜索にあたってくれたが、兄の首を見付けることは出来なかった。
遺体には汚物の他に、木板が添えられていた。
『死んで償え、裏切り者』
雑に書き殴った短い一文には、ローフォーク家を貶める言葉の全てが詰め込まれていた。
* *
「それから間もなく、奴がローフォーク家に現れた。金で買った官爵から、国を救った功績で王女アデレード様を降嫁された奴は、グラッブベルグ領を与えられて公爵を名乗っていた」
ジェズは隣に座るフランツを見上げた。
僅かに眉間に皺を寄せて、不快な感情を押し殺そうとしているように見えた。
「公がローフォーク家を訪れた目的は、二人を自分の保護下に入れる事だった。最初、カレルの母君はこの申し出を断った。そもそもカレルの父君はあの男を毛嫌いしていた。ローフォーク家は王家の為に命を懸けてきた一族だ。その働きを認められて得た子爵位を、何よりも誇っていた。貴族間を渡り歩き得た曰く付きの金で爵位を買ったような奴を、認める事などできるはずもなかった。宮廷に出入りする様になってから、身の程も知らずアデレード様に言い寄っていた事にも嫌悪していた。それはアデレード様の女官を勤めていた母君も同様だった」
だが、何処で知ったのか死体荒らしの件を持ち出して、妻が心配している、と説得を始めた。
暗殺事件で弟夫婦を失い精神的に参っていた所を、自分を幼少期から支えてくれていた女官とまで引き離されたアデレードは、毎日不安の中で暮らしていると言う。ローフォーク家を案じ、遺された妻と子が過剰な不遇に遭わされていないかと危惧していた。
元々、王女アデレードには心に弱い部分があった。
最初の妊娠が判明したばかりで悪阻で苦しんでいる時に、死体荒らしの噂を耳にして取り乱し、寝込んでしまったのだ、とグラッブベルグ公爵は告げた。
アデレードには王都郊外に用意した屋敷で静養してもらい、ローフォーク夫人には傍でアデレードを支えて貰いたい。
遺体を侮辱した連中は、いつか家人を襲うかもしれない。先代当主と長子の亡骸はグラッブベルグ家の名で屋敷近くの教会に埋葬し直せば、今後このような罰当たりな事件は起きないだろう。
アデレードの傍にいれば母親の身の安全が確保される。息子も休学中である士官学校へ安心して復学出来る。
それが、グラッブベルグ公爵の主張だった。
「君と母君には同情する声も多い。カラマンとの折り合いもあってすぐには無理だろうが、軍人として国家の為、陛下の為に働き、尽くせば、必ず陛下は君を見直しローフォーク家の追放を解いて下さるだろう。私は君の父君に嫌われていたが、それでもローフォーク家が没落してゆく様を見るのは忍びない。私の事は嫌ってくれたままで構わない。どうか、ローフォーク家の先を考え、アデレードの為にも話を受けてはくれないだろうか」
一族と領民、そして母の為にも、ローフォークは父と兄の汚名を濯ぎたかった。グラッブベルグ公爵の申し出は、そんな少年にとって願ってもないものだった。
アデレードの名を出されて困惑しながらも、結論を出せずにいた母をローフォークは説得した。
公爵も慎重に行動した。
ローフォークはともかく、母親はまだ自分を疑っていたからだ。
時間をかけて、公爵は母親の説得にあたった。
時期を見てアデレードを王都郊外の城館に移動させ、そこにローフォーク親子を一度招待した。体調が優れず臥せっていたアデレードは、予期しなかった親子の訪問に堰を切ったように泣き出し、青褪めた顔で今にも気絶しそうなアデレードの姿は、ローフォークの母親の迷いを断った。
親子は公爵の申し出を受け入れる事にした。
領地を出て、母親はグラッブベルグ家の城館でアデレードの看護を行い、ローフォークは士官学校の寄宿舎での生活が始まった。
休日や長期休暇にはグラッブベルグ邸での行儀見習いをし、貴族の子弟として身に付けなければならない礼儀作法や、士官学校では学びきれない外国語や芸術的な教養を習得した。
領地へも定期的に戻り、領主として領民の生活に不便はないかを気遣い、母親に報告した。
そして、士官学校での遅れも取り戻し無事に進級が叶った年。ローフォークが間も無く十四歳になろうという年末に、アデレードは最初の子供を出産した。
ベルナールと名付けられた赤ん坊はアデレードに似た男児だった。
冬期の休暇でグラッブベルグ邸に居合わせたローフォークも、赤ん坊を抱かせてもらった。
その後、グラッブベルグ公の頼みで数多の礼状書きの手伝いをする事になった。
公爵は人当たりの良い顔でローフォークに礼を言い、息子の良き兄代わりとなってくれるように望んだ。
ローフォークも快く返事をした。
しかし、この何気無い手伝いが、後にローフォークの最初の犯罪に繋がって行くことになるなど、誰も気付く事は無かった。
グラッブベルグ公爵以外は。
* *
礼状書き以降、ローフォークはグラッブベルグ公の仕事を手伝うようになっていた。
ある日、名前が記された開封済みの封筒と無地の紙を渡され、指定した箇所に筆跡を真似てその名前を書くように指示された。この頃にはすっかり公爵を信頼していたローフォークは何も疑う事なく、幾度も練習をして任された役目をしっかり果たした。
似たような手伝いはその後も度々続き、ローフォークはそれを当たり前のようにこなしていた。
グラッブベルグ公爵が与えてくる手伝いに疑問を抱くようになったのは、士官学校の最終学年への進級を目前にした夜の事だった。
翌日は安息日となっており、いつも通りに寄宿舎から郊外のグラッブベルグ邸へ向かうつもりでいた。しかし、直前になって公爵から手紙が届き、指定された場所に出向いたローフォークは動揺した。
そこが高級娼館だったからだ。
話は通っていたのか、娼館の下男はローフォークの名を確認すると中へ案内した。まだ陽も出ている内から半裸で戯れる男女を横目に、最奥の部屋へと通された。
下男が去り、廊下に一人残されて戸惑いながらも、扉を叩こうと恐る恐る腕を上げた時だ。
室内から怒声が聞こえ、男が転がり出てきた。
驚き硬直するローフォークに見向きもせず、疲れ切った顔をした初老の男は慈悲を請いながら這いずって室内に戻った。だが、再び、今度は数人の男に脇を抱えられながら室外に連れ出された。
「わ、私はあんな契約などしていない! あれは私の字では無い! 誰かが店を潰そうと私に成りすまして偽造したんだ! 公爵様、どうか御慈悲を。私めはずっと堅実な商売をしてきました。あんな出鱈目な契約をするわけが無いのです!」
懸命に訴える男は叫び声を上げながら連れて行かれ、やがて声も姿も確認出来なくなった。
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