第五話〜②

     *   *



「フランツ様、大丈夫でしょうか。ジェズ、ちゃんと話を聞いてくれると良いのですけど……」

 アリシアが洗った皿を受け取って、エリザベスは呟いた。


 二人が仲違いをした数日後、アリシアとフランツの求めでマルティーヌがジェズと話をする事になった。

 マルティーヌはさりげなく庭仕事を頼み、いつも親切な伯爵夫人に反抗など思い付かないジェズは躊躇いつつも受け負った。

 庭仕事の後に茶席を用意して話をする予定だったが、マルティーヌはフランツが伝えて欲しい事は一切話さなかった。


 ただ庭の話をし、シュトルーヴェ家での暮らしに不便は無いかと日常を訊ね、これまでの夫と息子の対応の不手際を詫びた。ジェズが閉め切ってしまった扉をノックはしても、強引に抉じ開ける様な真似はしなかった。

 そして、フランツにもう一度、きちんと己の不備を詫びて話をする様に促したのだ。


「多分、大丈夫よ。お母様も仰っていたじゃない。あの子は、ちゃんと状況を分かってる。ただ、今までの蚊帳の外扱いの度が過ぎた所為であんな事になってしまったの。ずっと溜め込んできた不満が、競技会の事件をきっかけに爆発してしまったのよ」

「私の所為だわ。あの時ちゃんと逃げる事が出来ていたら……」

「いいえ。それは違うわ」


 エリザベスの言葉をアリシアはキッパリと否定した。

 そして、「悪いのはお兄様よ」と断言する。


「本当にね、もっと早くに話すべき事だったのよ、これは。貴女達が我が家にやってきた日にでも、その翌日にでも。しっかり、包み隠さず、全てを正直に話すべきだったの。そうすれば、貴女もジェズも心の準備が出来た筈なのよ。どんな事があっても、戦う為の心の準備を整える事が出来たの。それなのに、お兄様もお父様も貴女達に情報を与えない癖に仲良しごっこをして、貴女達の純粋な心を自分達の目的の為に都合良く利用して来たわ。競技会の一件は、それが破綻した一例に過ぎないの。だから、断じて貴女の所為ではないわ。そして、ジェズの怒りは正当なのよ」

「……アリシア様、もしかして怒ってらっしゃいますか?」


「ええ。怒っているわ。勿論よ。私はずっと怒っているの。十一年前からね。だって、私もずっと蚊帳の外だったのだもの」

 アリシアは頬を膨らませて言った。


 エリザベスは皿を拭く手を止めてアリシアを見上げた。

 栗の実色の瞳を瞬いていたが、意味をすぐに理解して、『ああ、そう言う事だったのか』と、拭き終わった皿をバスケットにしまいながら思った。


 フランツ達が、一向に事情を説明してこなかった理由が分かってしまった気がした。


 ビウスの事件でフランツがエリザベスの保護に成功した時点で、エリザベスもジェズも、フランツにとって全くの他人ではない、庇護すべき対象となってしまったからだ。

「どうしようもない人達なのよ」

 アリシアの一言は、エリザベスの胸にすとんと落ちた。



     *   *



 ローフォーク家は、王家の信頼も厚い名門の家柄だった。

 元々は幾度も戦火を交えた隣国の貴族だったが、数代前の王家同士の婚姻を機に統合され、グルンステインに属する事になった。


 時折、宰相を輩出して国政に直接的に関わってきたシュトルーヴェ家とは異なり、爵位を持たない騎士階級の貴族だった一族は、その実直で献身的な働きによって幾度も王家を助け、ローフォークの爵位と徴を賜り、近衛部隊の隊長職を一族で引き継ぐ事を認められた。

 先代国王フィリップ十三世の御世に、国政組織の大改革が行われて以降は王宮近衛連隊の連隊長職を代々勤め続けてきた。


 ローフォークの父と兄も、フィリップ十四世とエドゥアール王太子の側近として仕え、最も小規模な部隊ながら、最も身近で王室の命を守るローフォーク家は、その気があれば背後で国王を操る事も可能な立場にあった。


 その地位が失墜したのは、十一年前の王太子夫妻の暗殺事件がきっかけだった。


 事件より五年前、グルンステインはレステンクールという王国と戦争をした。

 厳密にはカラマン帝国とレステンクール王国が戦争状態に陥り、協力した国にはレステンクールの領土を公平に分割すると言う帝国の呼び掛けに応じて参戦した形だ。


 カラマン、グルンステイン、サウスゼン、シュテインゲンの四ヶ国に包囲陣を築かれたレステンクールは、開戦から僅か半年で滅亡する事となった。


 開戦の理由ははっきりとしていない。

 国境の街でカラマン軍人がレステンクールの女性に狼藉を働いて、街の男達と揉めて人死が出ただの。両国の農民が畑の境界を巡って争い、それが発展したものだとも言われていた。


 滅んだ国家の王侯貴族の処遇は大きく二つに分かれる。

 勝利した国家に忠誠を誓い臣籍降下して生き延びるか、一族郎党、誇りを持って悉く処刑され、その血を断絶させるか。

 レステンクール王家が選んだ道は後者だった。


 彼等はカラマン帝国の皇帝に屈する事を拒絶し、王族は未成年の者も含めて戦火の中で自死を決行し、王族に近しい血筋の貴族達はカラマン帝国帝都での処刑が執行された。

 主流派の貴族達は爵位と領地を含めた資産を没収され、一部は処刑された。それ以外の地方貴族は各国家の裁量によって処遇を決定された。


 サウスゼンは主流派と同等に全てを取り上げて、老若男女問わずに流刑島に閉じ込めて放置した。


 シュテインゲンは土地を取り上げはしたが爵位の保有は認めた。しかし、気象の変化が激しい荒涼とした山岳地帯での監視付きの重労働を命じられ、有爵貴族でありながら地元民より苛烈で惨めな暮らしを強いられた。


 一方で、グルンステインはこれまでの爵位と資産、領地を取り上げ、その代わりに小さいながらも新たに国王直轄領を下賜し、グルンステイン貴族としての爵号を与え、王家への忠誠と国家の繁栄に尽力するように要求した。旧来の貴族との結婚も容認した。


 この政策に国の内外で否定的な反応が少なからずあったが、レステンクールにはフィリップ十四世の叔母が嫁いでいた関係もあり、当時のグルンステインに出来る最大の温情だったと言われている。


 新たな地位を得たレステンクール貴族達は、祖国で冷遇されていた経緯もあり、グルンステインの為によく働いた。あくまでも敗戦国からの帰順であるので厚遇されていたわけではないが、働きに応じて褒賞も与えられ、出世も可能だった。


 だが、旧レステンクール領では連合軍の包囲から逃れた貴族の子弟達が、王国の再建を目指して度々武力蜂起を起こし、各国が対応にあたっていた。グルンステインでも例外はなく、彼等は敵国に帰順した者達を裏切り者と誹り、国内からの蜂起を促した。


 武力集団に対してフィリップ十四世は手加減をしなかった。

 国に帰順した者とそうでない者を明確に分け、グルンステインに向けられた害意を徹底して叩き潰すように命じた。フィリップ十四世にしてみれば、一度差し出した手を払われたのだから、二度は無い、と言う事になる。


 グルンステインに割譲された旧レステンクール西部には、新たに治安維持軍と陸上国境守備軍が配置され、五年も経つ頃には治安も安定していた。そして、開戦の年に生まれた王太子の第二子である王女が五歳になったことを機に、国王は家族旅行を兼ねて新領土の視察を王太子に命じたのである。

 いずれはこの地の一部を、彼等家族に下賜する考えがあった。


 その視察旅行の最中、王太子家は宿泊していた城館で襲撃を受けた。

 夫妻は死亡。当時八歳だったシャルル王子は一命は取り留めたものの大怪我を負い、妹姫は無傷ではあったが一連の殺傷事件の目撃者となり、恐怖の余りその時の記憶を喪っていた。


 数日後、犯人として捉えられたのは、グルンステインに帰属した旧レステンクールの子弟達だった。

 それも、家を繁栄させようと懸命に国家に尽くし、フィリップ十四世の覚えも良い若者達だった。彼等は恭順しているように見せていたその裏で、グルンステインへの報復を行う算段を組み上げていた。


 拷問の中で、随従の女官が内から手引きした事も分かった。

 その女官は犯人の一人と恋人関係にあり近く結婚の予定が立てられていたが、犯人の特定を送らせる時間稼ぎに殺害されていた。

 フィリップ十四世がかけた温情が、全て裏目に出た形となってしまった。


 たちまち国中が荒れた。

 国民はフィリップ十四世を裏切り、王太子夫妻を殺害した彼等に怒りを爆発させた。

 国内の各地で、グルンステインの民衆による旧レステンクール人虐殺が始まった。その憎悪は悪質な伝染病の如く国中に拡がり、彼等の血が流れなかった土地が無かったほどだ。


 フィリップ十四世は国内だけでなく、国外への対応も行わなければならなかった。

 カラマン皇帝の憤怒を鎮める必要があったのだ。


 戦後、グルンステインがとった政策が各国が懸念した通りの結果になった事で、その責任の所在を明確にし、落とし前をつけろと迫ってきたのだ。フィリップ十四世が最初から厳しく対応していれば、妹が死に至る事は無かったと言うのがカラマン皇帝の主張だった。

 その状況下で、フィリップ十四世は直ちに孫息子であるシャルル王子を王太子に擁立し、国中に通達した。


 続いて暗殺犯の処刑を執行し、民衆の暴動から辛うじて逃げ延びていた貴族達の爵位を剥奪、平民に落としてから国外追放に処した。

 不穏分子の暗躍を察知できなかった治安維持軍では、新領土に駐留する師団長の更迭を始めとした上層部の大規模な入れ替えが断行された。


 そして、本来であれば王族の最側近として、何よりも王太子一家を死守しなければならなかった王宮近衛連隊では、連隊長であるアンリ・ヴィルヘルム・ローフォークの処刑が執行された。

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