第四話〜⑧

 隊員達がエリザベスを取り囲み、書類運びが滞っているのだ。

 職務上の連絡事項でもあるのかと思えばそうではなく、怪我を気遣う振りをしてエリザベスとの御喋りを連中は楽しんでいるだけだった。


 ローフォークは度々その現場を目撃し、部下達をまとめて叱りつける事が多くなっていた。

 フランツやドンフォンにしてみれば、帰りが遅い部下を心配して様子を見に行ったらチヤホヤされているだけだったので、イラッとして職務の遅延を理由に八つ当たりしている様にしか見えなかったのだが、言いたい事は分からないでもなかった。


 今、第二大隊長の執務室は、復帰のお祝いと称したエリザベスへの貢ぎ物が日を追うごとに増えていっている。

 菓子を贈る者もいれば花を贈る者、手紙を贈る者もいて、そのいずれも女の子が喜びそうな可愛らしい包装がされているものだから、ローフォークにとって今の執務室は苦行の空間となっていたのだ。


 それでも部下の戻りが遅ければドンフォンも使って捜しに行くのだから、難儀な性格をしているな、とフランツは苦笑せざるを得ない。

 しかし、それも仕方ないだろう。

 エリザベスに対する当たりが柔らかくなったと言っても、全員がそうとは限らない。事件の噂はすでに広まっている。フランツは立場上、ありもしない馬鹿げた話だ、と一蹴したが、曲解して受け止めて、再びエッセンの様な馬鹿な真似をする者が出ないとは限らないのだ。

 どうせまた貢がれているのだろうと放置して、狼少年の様な目に遭わせるわけにはいかなかった。


「近い内に通達を出しておこう。引き続きエリザベスの事は全員で注意して欲しい。それと、じきに今年の新兵が入ってくる。受け入れの準備と指導をしっかりと頼むぞ。優秀な人材にはどんどん機会を与えてやってくれ」

「御意」

 大隊長達の返事にフランツは満足気に頷いた。

 しかし、心の内は表の笑み程、明るくはいられなかった。


 その日の夕方、帰宅後に私服に着替えながら、従僕にジェズの様子を訊ねた。

 従僕が少し困った顔で横に首を振ると、フランツは落胆の息を溢した。

 ジェズの部屋へ向かうと、すでに先客がいた。

 帰宅後に真っ直ぐ来たのだろう。軍服のままのエリザベスが、書き物机の椅子に座ったジェズに話し掛けていた。


 国軍競技会以降、ジェズは一日の大半をシュトルーヴェ家の与えられた自室で過ごしていた。

 敷地内から出なければ自室に留まる必要はないのだが、食事の時以外は部屋から出ようとしなかった。最初の二日程は真面目さに苦笑いを溢していたが、すぐに少年の異変に気付くことになった。

 ふとした拍子に見せるジェズの顔が、感情がするりと滑り落ちたかと思うほど虚ろだったからだ。


 今もエリザベスの言葉に頷いて時々微笑んでいるが、どことなく力が無い。その姿はまるで、地下で茫然と冷たい石床に座り込んでいた、あの日のエリザベスと瓜二つだった。


 フランツは自分の見極めの浅さを恥じた。

 ビウスの事件で両親を失い、家族を奪われ、心無い言葉を浴びせられて傷付いたのは、エリザベスだけではなかったのだ。

 ジェズもまた家族を理不尽に奪われた側だった。


 流行病で幼くして両親と兄弟を亡くしたジェズは、親戚中を盥回しにされてきた。時には食事を与えられなかったり、預かり先の子供達が孤児となったジェズを馬鹿にして暴力を振るう事もあったと聞いた。

 そんな時に手を差し伸べてくれたのがコール家の人々だったのだ。


 射撃の素質がありそうな新兵がいると耳にしてジェズに目を掛けるようになってから、フランツは沢山の事を少年から聞いていた。

 その口から出るのは殆どがコール家の話だった。


 コール家での暮らしは豊かだったとジェズは言った。

 金銭的な事も勿論だが、家族の一員として優しく接してくれる彼女達の存在は、心を、気持ちを、毎日毎日、温かいものでいっぱいにしてくれたのだと、嬉しそうな顔で語っていた。

 そんな存在を、ある日突然失った。

 どんな気持ちだったのだろうか。


 フランツはこの状況になって初めて、家族を失った悲しみと犯人への憎しみの言葉をジェズの口から聞いたことがないと気付いた。

 正確には、聞き出そうと考えた事がなかった。

 あって当然で、改めて確認する迄もないと……。寧ろ、ジェズの中にあるエリザベスを想う気持ちを利用して、彼女を守る為と称し、グラッブベルグ公との対決に利用できる都合の良い部外者として扱っていた自覚があった。

 当事者その者であったというのに。


 いつかアリシアから手厳しく受けた指摘が、今になってじわじわとフランツを責めてゆく。


 国軍競技会での一件は、ジェズの奥底でくつくつと煮え続けていた感情を爆発させる切っ掛けになってしまったのだ。

 エリザベスも、そんなジェズの姿に心を痛めている。

 ジェズの前でも隊員達の前でも笑顔を絶やさず気丈に振る舞っているが、相当の無理をしている事は明白だった。

「話すべきなんだろうな」

 とは言え、巻き込まれた二人にとって言い訳にしかならない話だ。


 金髪の中に手を突っ込んで、渋い表情で頭を掻いた。

 一つ息を吐き出し、意を決して部屋の扉を叩く。こちらへと振り向いた二人は揃って疲れた顔をしていた。

「夕食の時間だ。一緒に行こう。それと、食事の後で話がある。俺の部屋に来て欲しい」

 そう告げると、二人は互いに相手の顔を見合っていた。


 夕食後、約束通り二人はフランツの部屋へやってきた。

 長椅子を勧め、使用人に紅茶と焼き菓子を運ばせる。フランツが紅茶を一口飲むと、エリザベスとジェズも倣って紅茶を飲んだ。

「あの、お話って何でしょうか。お仕事の事ですか?」

 エリザベスの問いに、フランツは横に首を振った。


 最近は密輸武器の新たな情報は入っていない。それは不気味な程パッタリと途切れてしまっている。

 確かに気になるところだが、今話すべきはその事では無かった。


 フランツは茶器を置いて姿勢を正した。

「カレルの事だ。今日は二人にあいつの事をちゃんと話したいと思った。何故、あいつがグラッブベルグ公に与しているのか。爵位を保有していながら王宮庭園の屋敷をあんな有様にしているのか、全てを話す。力を貸して欲しいんだ」

 フランツは二人の、特にジェズの表情の変化を見逃さなかった。ただ驚くエリザベスと異なり、明確に嫌悪を浮かべたジェズは、口をきつく結んでフランツを睨んでいた。


 手にしていた紅茶のカップを乱暴に置いて、ジェズはエリザベスの手を取って立ち上がった。

「行こう。あんな奴の半生なんて、僕達にはどうでも良い事だ」

「でも、ジェズ」

「話を聞いてどうするの? どうせ、最後にはこう言う事情があったから許してやれって言うに決まってる。許す心を持てって。聞くだけ無駄だ。今までみたいに自分達にとって都合の良い事しか言わないんだから」

 引き止めようとしたエリザベスに対してジェズが放った言葉は、これまで接してきた善良な少年からは想像できない辛辣な言葉だ。

 エリザベスにとってもそうだったのだろう。少女はただただ、吃驚した顔でジェズを見上げていた。


「ジェズ。許してくれなんて言うつもりは無い。カレルがコール家にした事は、どれ一つ取っても許される様な事ではないのは分かっている。ただ、俺は……」

「貴方もだ!」

 ジェズは叫んだ。


「僕にとっては貴方だってそうだ! 誰も彼も! グラッブベルグ公爵も、あいつも、エッセンも! みんなみんな、同じ嘘吐きの卑怯者だ! 貴方は最初から僕達を騙し続けてきたじゃないか! エリザベスを助けたのだって、あいつを助けたかったからだ! なのに、今更何を聞けって言うんだ! 貴方の話を聞いて、僕達にどうしろって⁉︎ 誰の為の話をするつもりなんだ! 間違っても僕やエリザベスの為じゃないだろっ。貴方が口を開くたびに僕はいつも裏切られた気持ちになるんだっ。僕は、僕はっ……!」

 ジェズが言葉を切って俯いた。

 足元に、水滴が落ちた。

「あいつを助ける為の手伝いなんて、絶対にしない!」

 それは決意の言葉だった。


 フランツが何も言えずにいると、ジェズは洟を啜って涙を拭い、足早に部屋を出て行った。

 エリザベスは暫しおろおろとしていたが、すぐにフランツに御辞儀をしてジェズを追い掛けて行ってしまった。


 エリザベスまで去ってしまった部屋で、フランツは頭を抱えた。

「ほら、御覧なさい。これがあの子達を蔑ろにしてきたツケというものよ」

 嗜める口調に顔を上げると、部屋の入り口にはアリシアが立っていた。

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